第2話 昔の距離、今の温度

校舎の窓から吹き込む春風が、柚葉(ゆずは)の髪をふわりと持ち上げる。昼下がりのキャンパス。学食のテラス席では、楽しげな笑い声やトレイを置く音、ジュースのストローがカップの中をかき混ぜる音が、ざわざわと心地よく響いていた。


 柚葉は、手元のプリンをスプーンですくいながらも、それを口に運べずにいた。


 ──いた。あの席。


 そこに座っていたのは、陽向(ひなた)だった。


 数人の友人と一緒に談笑している。少し茶色がかった髪が光を弾いていて、白いシャツの袖から見える腕が、思っていたよりも大人びて見えた。背が伸びた分、姿勢まですっかり変わっていて、それでも笑ったときにくしゃっとなる目尻だけは昔のままだった。


 柚葉は思わず自分の手の甲を見つめる。目に入るのは、日焼けもしていない、白くて細い指先。昔、鬼ごっこで転んでできた膝の傷跡は、今も微かに残っている。


「なんでこんなタイミングで会っちゃうかなあ……」


 小さくぼやいた声は、もちろん誰にも聞かれていない。プリンのスプーンを回しながら、視線は彼の方へと戻る。楽しげに笑いながら話す姿。あれだけ近くにいたはずなのに、今はまるで別の世界の住人のようだ。


 ──“ひなくん”なんて、今さら呼べるわけないじゃん。


 中学を卒業して以来、連絡もろくに取っていなかった。高校も別、住む場所も違って、当然、大学も。――偶然がすぎる再会。


 けれど、この偶然を、柚葉はずっと心のどこかで願っていたのかもしれなかった。


 その夜、柚葉は自分の部屋の窓辺に座っていた。カーテンの隙間からは、夜風がそよそよと入ってくる。部屋の明かりはつけず、外灯のオレンジ色の光が淡く床を照らしている。


 手元にあるのは、小さな紙箱。中学の卒業式の日に、陽向からなんとなく手渡されたお守りが入っている。


「“なんとなく”で渡すって何よ……ほんと、昔からそう」


 つい口に出てしまった言葉が、部屋の静けさに溶けていく。お守りを指先でつまみ、柔らかな紐をいじりながら、柚葉は目を細めた。


「ちゃんと持ってたんだよ、私……ずっと」


 ──あの頃、伝えたかったこと。

 ──今でも、伝えたいと思ってること。


 だけど、もう子どもの頃のようにはいかない。距離も、時間も、気持ちも、何もかもが変わってしまった気がして――でも、それでも。


「……また、話せるかな」


 自分でも驚くほど小さな声で、そんなことを呟いた。


 あの頃の距離じゃ届かないかもしれない。けれど、今の自分で、今の彼と、もう一度ちゃんと会話ができたら――。


 カーテンの隙間から覗く空は、次第に星を浮かべ始めていた。

 甘いプリンの味は、まだ口の中にうっすらと残っていたけれど、その甘さとは別の苦さを、柚葉は確かに味わっていた。

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