第9話 魂の宴がはじまる
太郎は厨房の中央に立っていた。目の前には大鍋と、無数の注文票。店の外には、長蛇の列。
灯籠の光が川を彩り、並んだ幽霊達は興奮して目を輝かせていた。
(逃げたい……でも、逃げられない)
脇から冷たい汗が流れてくる。
老幽霊はたすき掛けをして、長い着物の袖が邪魔にならないように準備を調えた。女子高生幽霊は、ピンクの髪を「黄泉アクセサリー」で留めて化粧を直している。子供幽霊はカウンターの下から太郎を見上げ、ニヤリと笑っている。
太郎が作った料理を運ぶのだと、3人の幽霊が申し出てくれた。
前日から予約注文していたキリスト教の天使、ヒンドゥー教の修行者、エジプトの魂も、遠くから見守っている。
(死んだってのに、こんなプレッシャーあるんだ……)
太郎は心の中で呟きながら、大きく深呼吸をした。
厨房で起こした爆発や砂嵐の失敗が頭をよぎったが、同時に幽霊達の笑顔もよぎった。
(失敗しても、みんな笑ってくれる……かな?)
「開店!」
イザナミの声が響き渡った。どこからともなく、拍手が巻き起こる。
太郎の後方に立つ彼女からの視線を感じたが、怖さよりも誇らしいような気持ちが芽生えていた。
注文票のメニューを確認する。作ったことのない料理名もあったが、なんとかなるだろう。そう決心して、太郎は手を動かし始めた。
最初の料理は「勇気の焼き魚」。
魚籠に入っていた魚――三途の川を泳いでいたものを捕まえてきた――を、太郎は素手で持ち、コンロの火の上にかざす。炎は熱いのかと思いきや、手は平気だった。いい感じに焼き色がついた魚を皿に載せ、老幽霊に運んでもらう。
次の料理は「未練の団子」。
黒い未練の根を鍋に入れ、おたまの背で潰すようにかき混ぜる。適度な柔らかさになったら手で丸め、串に刺して皿にのせ、上から記憶の霧をふりかけた。女子高生幽霊は、ポケットから取り出したスマホで写真を撮ってから、運び始めた。
その次は「戦士のスープ」。
記憶の霧と未練の根を鉄鍋で慎重に混ぜ、魂の灯火を加えて、影の果実をほんの少しだけ足した。
(前回はスープを作る時に爆発したが今度こそ……!)
しかし、緊張のあまり手が滑り、灯火が多すぎて鍋がキラキラ輝きはじめた。
「うわ、ダメだ!」太郎は叫んだが、子供幽霊が「花火みたい! すごい!」と喜び、笑いながらそれを運び始めた。
「ライブ感ある!」女子高生幽霊がスマホを向け、老幽霊が後ずさりしながら拍手をしてくれる。
キリスト教の天使の「聖なるパン」を作る順番になった。
光の粉をこねていると、突然パン生地が浮き上がった。
(ふふふ……予想通り)
太郎は浮き上がったパン生地を誘導させようとした。すると、空中に浮いたままでパン生地が聖歌を歌い始めた。
「お、お前、歌えるの!?」
太郎は予想の斜め上を飛んでいくパンに驚いたが、なんとか生地をつかまえて焼いた。
「神の賛美だ」天使が満足そうに微笑む。
子供幽霊と同じぐらいの背丈だが、クリクリとカールした髪の毛に、背中の羽が気持ちを表すように時折動いた。頭の上には光る輪っかが浮いていて、太郎は、パン生地が浮くのはこいつのせいじゃないだろうかと疑った。
パン生地が焼けると、天使はその場で一口頬張り「これは試練の味」と呟いた。
「試練って……俺のせいじゃないよね?」
太郎の呟きは、幽霊達の喧噪に消されてしまった。
ヒンドゥー教の修行者には輪廻のスープ、エジプトの魂には死者の果実をそれぞれ渡すことができた。
事前に準備していた通りの手順で料理を作り、手渡す。
どちらも満足そうに微笑んで、それらを口にし、去って行った。
注文した料理をテーブルに並べ、宴会をする幽霊達も出てきた。手伝っていたはずの老幽霊が仲間に加わり「これが儂の魂を救ったスープなんじゃ」と自慢げにスープを勧めている。
女子高生幽霊は「これ、バズるから今のうちに食べたほうがいいよ」とデザートを運んだテーブルの人たちと、集合写真を撮っているし、子供幽霊はみんなの足元をくるくると周りながら、黒い塊を爆発させて魂を驚かせている。
太郎は不思議だった。
最初はあんなに怖かった幽霊が、もう怖くなくなっている。
店の外には見ず知らずの幽霊達がたくさん集まっていて、こちらを見ているのに。
「こちらのルールが分かれば、生きやすくなると言ったのは本当だっただろう?」
イザナミは、勝ち誇ったように顎をくいっと上げた。
「はい……いい仲間に巡り会えて良かったです」
「それは違うぞ、太郎」
「え?」
「お前があいつらを救ったんだ。魂を救う料理で」
魂の声を聞き、何が必要なのか、どう料理すればいいのか、考え選び作り上げた。太郎が作った料理で、幽霊達の魂が救われ、仲間になった。
「やはり、私の目に狂いはなかったな」
うんうん、と目を閉じ頷く彼女に、太郎は首を傾げた。
「そういえば……最初に会った時に、俺のこと、特別だって言ってましたよね?」
魂には原則名前はないが、特別だから太郎という名前をつけた、と。
「……覚えていたのか」
2人が話をしている間にも、注文票がどんどん山積みにされていく。太郎は、うっと小さく呻いた。
「と、とりあえず、この注文をこなしてからにしましょうか」
「それがいいな」
「材料、足りるかなぁ」
「私が裏から持ってこよう」
イザナミは、すっと身体を半透明にして、店の壁をすり抜けていった。
「ひぃっ!」
突然のことで、心の準備もなくまともにそれを見てしまい、太郎は悲鳴を上げた。
「いや、やっぱり幽霊って、ちょっと怖いかも」
けれど、自分がどういう意味で特別だったのかは気になる。それを聞くまでは――いや、目の前の注文票を全て片付けてから考えることにしよう。
残り少なくなっていた魂の灯火が、励ますようにチカチカと瞬いていた。
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