第8話 宴の準備はにぎやかに
「宴の準備だ」
イザナミが突然切り出した。
太郎が子供幽霊との遊びを終わらせ、店に入ってくるなり、である。驚くなという方が難しい。
「魂の宴は黄泉の国で最も重要な日だ。すべての幽霊の未練を清める料理を作れ。失敗したら……まあ、魂が少し腐るだけだ」
(少しって、どれくらい!?)
太郎は叫びそうになったが、なんとか冷静を装った。
「イザナミさん、俺、爆発させるのしか得意じゃないんですが……」
「それが君の強みだろう」
意外なことを聞いて、太郎は目を丸くした。
「失敗から学ぶ。大事なことだ」
「あ、失敗なんですね、やっぱり」
イザナミは店の外に置いてあった木箱を厨房に引き入れた。
「新しい食材が手に入った」
(どうやって!? 宅配便??)
黄泉の国の仕組みが理解できない太郎は、恐る恐る箱の中を覗き見た。
「この布袋に入っているものが『光の粉』、こっちの袋には『時間の種』、そしてこの丸くて小さな粒々の中には『砂のエキス』が入っている」
説明しながらイザナミが材料を作業台に並べていく。
「材料が増えて良かったな」
「……へ?」
「注文が来ている。キリスト教の天使からパンの注文。ヒンドゥー教の修行者が輪廻のスープ、エジプトの魂が死者の果実だ。全部お前が作るんだぞ」
「……へ? え? なんで? 黄泉の国って日本だけじゃなくて、世界中の宗教が入り混じるの?」
これだから若いものは、という目でイザナミは太郎を見つめた。
「旅人のようなものだ。ここに常駐している訳ではない」
死者の国というのは、隔てがなく、入り混じっているらしい。
「文化が違うからな。失敗したら魂が腐るどころの騒ぎではなくなるかもしれんが」
「ひぃ……怖いこと言わないでくださいよ」
「おもてなしの気持ちがあれば大丈夫だ」
太郎はまず、老幽霊の「家族への謝罪を込めたスープ」に近そうな「輪廻のスープ」を作ることにした。
記憶の霧と未練の根を慎重に混ぜる。古い鉄鍋をコンロにかけて(適度な大きさの炎よ、出て!)と願う。ぼわっと炎が立ち上り、鍋が温まってきた。
ここまでは順調である。
(輪廻って生まれ変わることだよな……となると、時間が必要?)
新しい食材である、時間の種を袋から取り出した。硬い殻に覆われていて、中身が知れない。とりあえず入れてみるかと、鍋にぽとりと落としてみたらスープの中身が逆流して、記憶の霧と未練の根が混ざってない状態に戻った。
「あ、もしかして、時間が逆戻りした?」
「黄泉の国に時間はない。落ち着け」イザナミの冷静な声に、太郎は抗議した。
「落ち着ける訳ないでしょ!」
諦めず鍋の中身を掻き回すと、今度はうまく混ざってくれた。とろりとしたスープのようなものが完成し、太郎は老幽霊に試食をお願いした。
「これは……過去と未来の味がする」感心したように小さく頷く。
「もう。俺、死ぬほど緊張してるのに、からかわないでよ」
「からかうなど、とんでもない」老幽霊は真剣な顔をした。
「大丈夫だよ、たろっち。もう死んでるから」
女子高生幽霊が、きゃははと声をあげた。
次に、キリスト教の天使が注文した「聖なるパン」を作る。
太郎が光の粉を手に取ると、粉が突然輝きだし、厨房が聖堂のような雰囲気に変わった。
「お前、純粋すぎるだろ」イザナミの冷ややかな声に、太郎は振り返った。
「純粋じゃないでしょ、これ。ただ失敗してるだけ!」
光の粉に記憶の霧を混ぜると、パン生地のようにもちもちした物体が出来上がった。太郎がその生地をこねていると、なぜか記事が空中に浮かび上がり、カウンターの上を踊り出した。
「浮くパン!?」彼は驚き、慌てて押さえつけようとしたが、ひらりとかわされる。
子供幽霊が「これ、飛ぶおやつにしようよ」と提案した。
ふわりと浮き上がるパン生地を、太郎はうまくコンロの上まで誘導して炎で焼いた。少し焼け焦げたが、なんとかパンらしいものが出来上がった。
「ありがとう……アドバイスしてくれて」
「ううん。楽しかった! それにこのパンも美味しいよ」
焼いてもなお少し浮いているパンを、子供幽霊はうまく操り、手で持つことなく一口かじった。
「真に純粋というのは、こういうことを言うんだろうな」
太郎の背後で、イザナミが勝手に納得している。
最後はエジプトの魂の注文「死者の果実」だ。
(エジプトと言えば、砂でしょう)
太郎は、砂のエキスを手に取った。小さな粒が枝にくっついている。鍋の中に入れようと、枝からもぎると、粒は砂に姿を変えた。おたまで混ぜようとすると、砂が舞い上がり、砂嵐になって厨房を襲ってきた。
「砂漠! 砂漠すぎる!!」太郎は顔を手で覆い、らくだになった気持ちで座り込む。
小さなハリケーンのような砂嵐が過ぎ去ると、厨房の作業台の上に、黄金色に輝く丸い果実が現れた。
「これ、フィルターかけたら映える!」女子高生幽霊が、写真を撮り始めた。
「食べたら宝探しができる?」子供幽霊が果実を指先で弾いた。
厨房の壁と一体化して砂嵐を避けていたイザナミが、果実を一口食べてみる。
「うん……甘酸っぱくて、旅の味がする」
「旅の味ってなに?」
過去と未来の味だとか、旅の味だとか、太郎には理解できない食レポの数々に、目眩がしそうだった。
「まあ、なんとか形になったな」イザナミのつぶやきに、太郎は呆れる。
「時間を逆戻りさせて、パンを浮かせて、砂嵐を起こしただけですが?」
自嘲気味に笑ったが、心のどこかで達成感も感じていた。
「宴、楽しみですな」老幽霊が静かに頷く。
「爆発! 爆発のデザートもつくろ!」子供幽霊が挙手したが、太郎は「絶対にやめて」と大きな声をあげた。
幽霊達の笑い声に包まれ、太郎は恐怖がずいぶん薄らいでいるのに気づいていた。
(これが魂の宴の準備か……死んだのに……こんなに楽しいはず、ないのに……)
太郎は厨房を片付けながら、三途の川のほとりに立っていた時の自分を思い出していた。
幽霊なんて実体がなくて、何を考えているのかわからなくて、人間を怖がらせてきて。死にいざなうもの。
だから怖くて怖くて、仕方なかった。
食堂で料理を作っているうちに、彼らが何を考えているのかわかるようになってきた。人間を怖がらせようと近づいてくるのではなくて、寂しいから近づいてくるのではないかとも思った。
「明日は宴だ。失敗してもいい。だが、魂は救え」
イザナミの厳しい目が太郎を見つめていたが、厳しさだけではなかった。どこか、誇らしげな優しさがあった。
(イザナミさん褒めてる? ……いや、褒めてはないか)
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