金星人栽培キット

宇嶌玲

金星人を育てた男

 数年ぶりに大雪が降ったある日のこと、SFマニアのトウマは、偶然見つけた本屋でこんなタイトルのSF雑誌を見つけた。


『金星人栽培キット 創刊号』

 

 驚いて思わず手に取ると、いつの間にか雑誌を手にしたまま店の外に立っていた。

狐につままれたような気がして後ろを振り返ると、本屋の店主に微笑まれた。

「金星人、大事に育ててくださいね。次号からはご自宅にお届けしますね。」

 お代を払っていたことに安心しながらも、住所まで教えたのかと内心ヒヤッとした。しかし、身体は夢の中にいるかのようにふわふわとしていて、ぼーっとしながら帰路についた。


 家に帰り、早速栽培キットを開けてみることにした。

「最近はぬいぐるみを育てるのも流行っているようだし、そんなようなものだろう。店主は大袈裟に言っていたけど、どうせロボットか何かを作らされるんだろうな。」

そんな軽い気持ちでいたが、キットを見て驚いた。箱に入っていたのは、金星に見立てたかのような金色の丸い鉢植えと、金星の土と書かれた黒いパッケージ(中身はただの土のようだった)、そして重くて冷たい黄金のりんごのような物体だった。

からかわれているのかと思い、説明書を読んだ。

『金星人は植物性の生物です。種の色によって個体の色が決まります。種の形は不規則ですが、地球の果物と似ています。』

『鉢植えに、金星の土と卵の殻を入れ、種を植えてください。砂糖と塩、シナモンを混ぜた水を朝昼晩の3回あげてください。』

『根っこが育ち金色の芽が出ると、金星人の赤ちゃんが誕生します。赤ちゃんが泣いたら土の外に出し、月明かりに照らしてください。1日3回太陽光で温めた羊のミルクをあげてください。』


 やがてトウマは金星人を育てることに夢中になり、生活の全てを金星人に捧げるようになった。

 仕事は毎日定時であがり、金曜日は必ず休み山に登る。金星人の成長は、月の光と金曜日の金星の光を山の頂上で浴びることが大事だからだ。金色の芽が出た時には少しばかり動揺したが、栽培キット2巻の付録が羊だったので、落ち着いて金星人の赤ちゃんを育てることができた。赤ちゃんを育てる間、トウマは羊の世話をするために毎朝3時に起きる生活をした。もし栽培キットを手に入れる前のトウマがこの姿を見たら、何かがおかしいと気づくことができただろう。だけどもう芽が出てしまえば手遅れなのだった。

 金星人を育て始めてから、トウマは周りの目が気にならなくなり、他人への興味関心もなくなった。SNSもろくに見なくなったので気づいていないが、この頃トウマと同じような生活をする若者が増えていた。グランピングや星の観測会も流行していたし、羊を飼っている人も爆発的に増加していた。それもこれも、多くの人々が金星人を育てているからなのだった。


 金星人の成長は早かった。3か月もすると人間の3歳児くらいまでに育っていた。その頃になると、鉢植えには身体が収まらず、人間の子どものように生活するようになった。

『金星人は大人になるまで月光を浴びた月光水とダチョウの卵で育ちます。1日5リットルの月光水と、ダチョウの卵を3個与えてください。』

『金星人は適度な運動も必要です。かといって激しい運動は体に悪いので、風にふかれることが大切です。一日6時間ブランコで遊ばせてください。』

 普通の人間には到底こなせないことだが、トウマは説明書に忠実に従った。世界的にも水の消費量とダチョウの卵の売れ行きが上昇したが、トウマは知る由もなかった。

 公園は金星人を連れた若者であふれかえり、時にはブランコを巡ってトラブルも起きた。

 トウマは面倒ごとを避けるために自宅にブランコまで購入した。ブランコを置き、周囲との関りを避けるために、トウマは社会人2年目にしてローンを組み、1Kのマンションから庭付きの一軒家に引っ越した。

 トウマの金星人は、雪のように真っ白な肌と黄金の髪と瞳をもち、とても美しく成長した。ただその姿は、栽培者が美しいと思う姿になるのであった。頭にはりんごの苗のようなものが生え、花のつぼみがついていた。金星人を見ているだけで幸せな気持ちになり、自分のもつもの全てを彼に与えてもいいとすら思えた。金星人は人の形をした木のようなもので明確な性別はないが、幼少期からずっと弟が欲しかったトウマには、少年のように見えていた。

 

 トウマと金星人の間には、一見絆があるように見えた。少なくともトウマには、金星人の親であるという自覚があり、懐かれているとすら思っていた。

 金星人は言葉を発することはないが、瞳で訴える生物だった。水が欲しい時、ブランコに乗りたい時、金星を眺めたい時、常にトウマの目をまっすぐ見つめ、願望を伝えた。

 だがそれは、トウマを頼りにしているからではなかった。金星人は、トウマはあくまでも自分の従者のような存在だと思っていた。金星人が言葉を持たなかったことは、トウマにとって、すべての地球人にとって、唯一の幸せだったといえるだろう。


 トウマが金星人を育て始めてから三度の冬が巡り、金星人の頭のつぼみが花開いたころ、地球にはある異変が起き始めた。

多くの若者が原因不明で目覚めなくなったのだ。


 親栽培者の傍から離れようとしなかった金星人たちが、一本の大きな樹に集まり始めた。地球上の水という水がその大樹に集まり始め、各地で砂漠化が起こった。

トウマの金星人も、トウマを眠らせた後、大樹へと向かっていった。眠らせたのは優しさではない。トウマの自分への執着を知っているからこそ、その執着が煩わしくなったから眠らせたのだ。

 各地の金星人が大樹に集まり、円を描くように大樹を囲んだ。金星人たちは根を張った。

 やがて、その円は大きく大きく広がり、金星人たちによる森ができた。金星人は皆色とりどりの花を咲かせ、森は幻想的な姿を見せていた。しかし、その様子を実際に見ることができた地球人は一人もいなかった。

 眠りについた地球人たちは、長く幸せな夢を見ていた。家族との思い出や、恋人との幸せなひと時、金星人の存在がなければ出会っていたかもしれない誰かとの時間。

 

 金星人による森は地球上に広がり、青かった地球は黄金の星へと変化していった。


「地球人は自分たちが金星人を育てていると思っていたようですが、金星人が自分を地球人たちに育てさせていたのです。地球人は傲慢ですからね。こうなるのも運命だったのです。美しい金星人との生活が、人間たちにとっては幸せなものであったことが、せめてもの救いでしょう。」


 



金星人に花が咲き、その香りが人間を眠らせた。

その花が落ちると、羽根が生え、金星人たちは飛び立っていった。

眠った人間の開いた口に口づけをすると、人間には金星人の種が植えられた。


こうして地球は金星へと姿を変える。

しかしその金星も永遠ではない。寄生先の人間が消えた地球からは、金星人も消えてしまうのだった。

しかし、種は残る。また地球人のような生命が誕生すると、金星人の種は風にのり寄生先を探す。

この話は歴史には残らない。なぜなら生命の終わりの話だから。


(end)



 

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金星人栽培キット 宇嶌玲 @yu-ri9734

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