Chapter 6 Reset Button

– Please Reinsert Cartridge

(カセットを差し直してください)


「いたいた!AIと打てるんでしょ?──じゃ、俺の席ここな!」


その声が飛び込んできた瞬間、

フロアの空気が、一瞬だけ緩んだように感じた。


ひときわ派手な声とともに、会場の空気が一変する。


無駄に明るい。けど、なぜか無理がない。

無邪気な笑顔。妙にこなれた手つき。

だが──空気は彼に合わせて変わっていく。


胸元にでかでかと書かれた『POKER JACK』の文字。前髪の一部を赤く染めた青年。

にこやかな笑みを浮かべながら、どこか無敵感すら漂わせていた。


トンプソンが座っていた空席に座るなり、チップを並べだした。


晴花がそっと芭蕉に小声で尋ねる。


「……誰ですか?あの人」


芭蕉はほんの少し眉をひそめた。

けれど、怒っているわけではない。むしろ、疲れてるだけだ。


「……勝美。前からあんな調子だ」


この場の誰よりも軽く見えるのに、不思議と目を離せないやつ。

場の空気を読めるのに、最終的に読まないやつ。


勝美は、テーブルの面々をひと通り見渡したあと、口を開いた。


「うわ、芭蕉さんじゃん!

 なにこれ、殺し合いのあとっすか?

 てか、俺のこと呼んでたでしょ?無意識に」


「呼んでねぇよ」


晴花が小声で芭蕉に尋ねた。

「……お友達、ですか?」


「……悪い意味で、な」


《プレイヤー名:勝美》

《VPIP:37.2% / 検証ハンド数:4,155》

《特徴:オールイン》


HUDが表示されるより先に、場の空気が彼を認識していた。


芭蕉は一瞬だけ、困った顔をする。


(……今度は、“こいつ”か)


──テーブルに、変な静寂が流れていた。


芭蕉が沈黙し、晴花が言葉を飲む。

誰もが手を止める中、勝美だけが、チップをいじっていた。


「AIさん、超ショートじゃね?200点ぐらいかな?」


TENETは応答しない。

正確には、応答する価値がないと判断している。


勝美は構わず、手元のカードをめくる。

T♣ 9♣──数字は中途半端だが、彼の目が光る。


「ま、やってみっか」


彼は勢いよくチップをまとめながら話しかける。


「よし、AIさん、じゃんけんしよ?ショートだし、ダブルアップのチャンスじゃん?」


勝美はまっすぐにチップを全投入する。

その目は笑っていたが、指の動きは妙に正確だった。


「オーールイン!!!入ったばかりだからピッタリ2,000点!」


TENETはBBから静かにコール。

その動きは相変わらずブレがなく──だが、ほんのわずかに処理が重かった。


──ショウダウン──


勝美はパッとカードを開く。

「T♣ 9♣!俺、こういうの好きなんすよ」


TENETの手札は、8♢ 8♠。

「おお…」と小さくざわついた。


そして立ち上がった勝美が叫ぶ。

「よっしゃ!ツーオーバー!」


ディーラーがゆっくりとボードを開いていく。


《フロップ:J♣ Q♠ 7♠》


勝美がボードを指さす。

「オープンエンド頂きましたー!」


《ターン:6♣》


「フラドロもあるぜー!」


《リバー:8♣》


「うぉおおお!!決まったぁああ!

 スットレートフラーーーッシュ!

 ……あ、ちがう。

 でも勝ったーーー!」


誰もが固まった数秒後──

ディーラーが静かにチップを、勝美の前に押し出した。

TENETのスタックはゼロに。


勝美はその光景を見届けて、勝ち誇ったようにあの漫画のセリフの真似をした。

「おめえはすげよ、よく頑張った、たったひとるぅいでぃっ!…」


(色々ヤバいwww)

晴花は心の中で即座に突っ込む。


芭蕉は肩をすくめて笑いながら言った。

「こんな、お騒がせ噛み噛み野郎にトドメ刺されるとか……哀れすぎんだろ、TENET」


《Winner:CO 勝美》

《勝美:J♣︎ T♣ 9♣ 8♣ 6♣︎ / フラッシュ》

《TENET:Q♠ J♣ 8♢ 8♠ 8♣ / スリーカード》


TENETの内部処理領域でもこの現象を処理しきれずにいた。

<Learning… Logic breach. Retry.>

<Learning… Logic breach. Retry....>

<failed.throw new FatalAIException()>


勝美がニッと笑う。

「えっ、壊れた?……あ、ごめん。リバイする?」


TENETの目が、ほんのわずかに光った気がした。

そして──完全に、沈黙した。


晴花がこっそり芭蕉に耳打ちする。

「……あの人、頭いいんですか?バカなんですか?」


芭蕉は苦笑を漏らす。

「両方だ。で、そこが厄介なんだ」


ディーラーが、ちらりとTENETの方を見ると、

さりげなく耳元のインカムに手を添え、短く何かを話す。


──状況確認、TENET停止。現在プロセス応答なし。

──プレイ継続、該当シート一時無効。


ディーラーは、短く頷くと、進行を止めずカードを配り始めた。


テーブルに残された沈黙は、誰にも咎められることなく、当たり前のように次のハンドに溶け込んでいく。


晴花は、その空気の変化を感じ取っていた。

“異常”があったはずなのに、誰もそれを深くは語らない。

それが、この場所の“普通”なのかもしれない。


そして──新しいカードが、自分の前に滑り込んできた。


晴花はBB(ビッグブラインド)。

向かいには、さっきAIを壊した男──勝美がいる。

その顔には、何もなかったような笑顔が浮かんでいた。


芭蕉はSB(スモールブラインド)。

晴花の視線の端で、彼が静かにカードに指を伸ばすのが見えた。


(……リスタート、か)


気持ちを切り替え、晴花はそっとカードをめくった。

K♣ 7♠

(うーん……悪くはない、けど……)


勝美が、いつもの調子で軽くチップを放る。

「リンプで〜!」


芭蕉は小さく首を傾げて、コール。


晴花は一応、全員のスタックを確認する。

芭蕉さん5,000点ぐらい、勝美さん2,000点ちょい、自分も2,000点ぐらい。

無理はしないと決めて──そっと机を叩いた。

「……チェック」


3人でのフロップに突入。


《フロップ:K♢ 4♠ 9♣》

《ポット:80》


(トップヒット。K♣ 7♠だとキッカーが弱いかも……)


芭蕉はすぐにチェック。


アクションを“決断しなくてはいけない”のが、晴花だった。

そのことが、じわじわと不安を引き寄せてくる。

(先に大きな金額を打たれたら怖い…)

「30点」


勝美はにこっと笑って──

「レイズ、100点で!」


芭蕉はカードを伏せる。


(……芭蕉さん、降りた?)


そのことにも、不思議と揺さぶられた。

勝ってる? 負けてる? ツーペア? ブラフ?

頭の中が一瞬で騒がしくなる。


「……コール」


チップを前に出す。でも、その手は少し震えていた。


《ターン:2♠》

《ポット:280》


まったく関係ないカード。

でも、“最初に”動かなきゃいけない。

晴花は手元のカードを確認する。

手元のK♣ 7♠がなんだか頼りなく思える。

「……チェック」


声が硬かった。


勝美はすぐにベットを重ねた。

「じゃ、200点で〜!」


晴花は再び、スタックを確認する。

(BBとさっきのコールで140点……)

それでも、これ以上“自信のない判断”を重ねるのが怖かった。


自分の番になるたび、答えを出さなきゃいけない。

それが怖くて、でも──


「……フォールド」


カードを伏せた瞬間、勝美が笑顔でカードを開いた。


「K♠ 9♠!ツーペア! たぶん降りて正解!」


(負けてた。でも……それより)


“最後”に動ける人の余裕と、

“最初”に動かなきゃいけない自分の不安。


晴花は黙ったまま、自分の席を見下ろした。


芭蕉がポツリと呟く。

「それが……ポジションの差ってやつだ」


──ゲームは進む。


晴花はチップを指先でいじりながら、さっきの勝美との一戦を反芻していた。


(私、何を信じて戦えばいいんだろ)


ふいに、芭蕉が隣から声をかけた。


「……ちょっと悩んでるだろ」


晴花は小さく頷いた。


「ポジションのこと、少しはわかった気がします」

「でも……じゃあ、私みたいな位置のとき、どんな手で戦えばいいのか……」


芭蕉はわずかに笑うと、チップを並べながら答えた。


「それが“ハンドレンジ”ってやつだ」


晴花は首をかしげた。


「レンジ……?」


「プレイしていい手の範囲。ポジションによって、それは変わる」


芭蕉の目は、真っ直ぐテーブルを見ていた。


「たとえば、前の方のポジション──

 UTGとか、SBとか、早く動かなきゃいけない席なら、強い手じゃなきゃ無理だ」

「なぜなら、後ろにまだ、何人も“アクション前の相手”が残ってるから」


「でも、ボタンとか、カットオフとか──

 順番が後ろの方なら、未知の相手は少ないし、先に誰かが強めのベットをしてたら降りることもできるだろ?」


晴花は息をのんだ。

頭の中で、過去のプレイがいくつか繋がっていくのがわかった。


「……じゃあ、強い手っていうのは……」


芭蕉は淡々と話した。

「Aと絵札がくっついてたら、だいたいどこでも強い」

「ペアもそう。J以上なら前でも戦える」

「逆に、K7とかQ6みたいな“ちょっと弱い手”は、後ろじゃないと怖い」

「結局、“どこに座ってるか”で、その手が強いかどうかが変わるんだよ」

「詳しく知りたければ世界のタテサワってやつが動画だしてるから見てみるといい」


晴花は自分の席を見下ろした。

目の前にあるのは、たった二枚のカード。

でも──その価値は、自分の“座ってる場所”で変わる。


(なるほど……)


ようやく、カードを見る目に、新しい感覚が宿り始めた。


TENETの席は、いまだ沈黙したまま。

勝美はドリンク片手に、少し離れたカウンターで誰かと喋っている。

あいかわらず楽しそうだった。


テーブルには、それとは対照的な静けさがあった。

淡々と、しかし張り詰めたような空気が流れている。


COにいる芭蕉が、手札を軽く見て──

「フォールド」と一言。


BTN(ボタン)に座る晴花に、順番が回る。


フードを深く被ったSBの男は、正面を見たまま動かない。

無言。無表情。なのに──

カードの扱い、指先の動き、間の取り方、すべてが“緩さ”ではなかった。


(この人……強いかもしれない)


晴花の中に、自然と緊張が走る。


カードをめくる。

Q♣ 9♢


(前なら、絶対に降りてた)


でも今はボタン。

フロップ以降、最後に動ける位置。

後ろから、相手の動きを見てから判断できる。


(……私が“選べる側”)


深く息を吸って──


「レイズ、60」


チップが滑る音が、静寂を切り裂いた。


SBの男は表情ひとつ動かさず、チップを出してコール。

BBはカードを伏せた。


《フロップ:J♢ 7♢ 3♣》


SBはチェック。


(ヒットしてない。でも、ダイヤでフラッシュができるかも…)


「100」


指先がわずかに震えながらも、声は自然に出ていた。


相手はカードを見直し──コール。


《ターン:2♠》


相手はまたもチェック。


(…いける)


「150」


チップが前に滑る。


少しの間。

男は静かにカードを伏せた。


チップが晴花の前に戻ってくる。


(……勝った)


晴花は、勝てたことがよほど嬉しかったのか、照れ隠しのようにカードを一瞬だけ芭蕉に見せた。


Q♣ 9♢


芭蕉はそれを目の端で確認すると、軽く頷き、ボードに残った4枚を見てわずかに目を細めた。

《J♢ 7♢ 3♣ 2♠︎》


(……SBはたぶんセカンドヒット。フロップに付いてきてるあたりから、例えばA7でダイヤがなしのあたりか)

(ダイヤでのフラドロなし。ポジションなし。ターンで止めるべき手)

(晴花に“押された”んじゃない。自分で“引いた”んだよ)


声には出さなかった。


晴花が“勝った”と感じているその横で──

芭蕉はもうひとつ先の景色を見ていた。


少し離れたカウンターでは、勝美の笑い声が響いていた。


誰も見ることのなかった“リバー”を、

彼だけが密かに楽しんでいるかのように。

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HumbleNuts Hasewo @hasewo0323

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