Chapter 4 The Neo Predator

– No Table Safe for Sharks

(強き者でさえ、まな板の上の鯉)


──フロアの奥から、スタッフの声が響く。

「ただいま、AIロボ導入テーブルに空席が出ております。

 ご希望の方は、フロントまでどうぞ」


その声に、晴花が顔を上げた。

芭蕉も、視線をそちらに向けていた。


「AIの…テーブル?」


「試験導入中のやつだ。メガカジノ大阪の目玉らしい。」


芭蕉は椅子を引いて立ち上がると、軽く振り返った。

「行ってみるか。ちょっと空気が変わるぞ。」


「えっ、あ、はい!」


慌てて荷物をまとめながら、晴花も後を追う。


芭蕉は、背中に追いかけてくる足音を感じながら無言で歩いていた。


あの秘書が辞めたあとに、雇った子だ。

会社が傾き始めていた頃、ろくに教育する時間もなかった。

一緒に過ごした時間も、短い。

それでも──不思議と、今もこうして近くにいる。

本人は、その理由すら気づいていないのかもしれない。

いや、それとも、何かを気づいてくれているのだろうか。


──テーブルに着くと、プレイヤーの数は少なく、4~5席の空席。

その中で、明らかに“異質”な存在が、静かに座っていた。


フードにキャップを重ねた、機械のような顔の男。

感情のない目が、静かにすべてを観察している。

着ているグレーのパーカーには、白と赤のラインが斜めに走っている。

シンプルでありながら、わずかに未来めいた印象を残すデザインだ。

一見すると、普通のプレイヤーのようにも見える。


その男、いや、それが“人間”かどうかすら、芭蕉には確信が持てなかった。


《対戦プレイヤー:TENET(β)》

《VPIP:プレイログ同期中 / ハンド数:プレイログ同期中》


スマートグラスの表示が、答えを告げていた。


TENET─メガカジノ大阪が試験導入した、AIポーカープレイヤーロボ。


晴花は、緊張した面持ちで芭蕉の隣に腰を下ろした。


「……これが、AIロボ……?」


「そう。感情も、揺らぎもない。

 だから、やっかいかもな。」


──その視線は中空を見つめている。


まるで、すべてが予測通りであるかのように、

TENETのチップの動きには、無駄がなかった。


(なんだ……この感じ)


晴花は、目の前のAIを見つめながら、ふとつぶやく。

「……どこか寂しそうな顔…(芭蕉さんみたい)」


その時、別のテーブルから一人の男が移ってきた。

さっきのトンプソン隼人が無言で着席する。


(……こいつも来たのか)


HUDが更新される。

《プレイヤー名:トンプソン隼人》

《VPIP:30.5% / 検証ハンド数:1286》

《特徴:トリプルバレル 》


──数ハンドもなく、TENETとトンプソン隼人でヘッズアップが始まる。


芭蕉のスマートグラスが即座に状況を投影した。

《ブラインド:10/20-20》

《BTN TENET:2,360 / BBトンプソン:3,800 》


TENETがオープン。

「レイズ60」

表情はなく、動きに揺らぎもない。


トンプソンは無言でコール。


《ポット:150 》

《BTN TENET:2,300 / BBトンプソン:3,740 》


そしてフロップの《Q♣ 9♡ 3♢》が開かれた瞬間、

トンプソンからドンクベット先打ちが入った。

「80」


本来、ポーカーではフロップ以降、

"最後にアクションしたプレイヤー"が先にベットする権利を持つのが自然な流れだ。

ドンクベットは、その自然な順番を無視して──

本来打たないはずの側(ポジションが悪い側)が、いきなり打ち込むことを言う。


しかしTENETは全くの無表情でコール。


《ポット:310 》

《BTN TENET:2,230 / BBトンプソン:3,660 》


「……あいつはあのドンクが怖い」

芭蕉が小声で話した。


「え…そうなんですか?」


バリュー手が入ってるか、

 それともブラフか、

 晴花に想像はつくか?」


「…たしかに。

 さっきフラッシュもあったし、

 どっちなんだろう…」


そして次のカードが開かれた。

《Q♣ 9♡ 3♢ - 8♢》


すぐにトンプソンからのセカンドバレル。

「220」


TENETは同じテンポ、同じ呼吸で、コール。


《ポット:750 》

《BTN TENET:2,010 / BBトンプソン:3,440 》


ディーラーが最後のカードを開いた。

《Q♣ 9♡ 3♢ 8♢ - 2♢》


空気が張る。

カチャリ、とトンプソンがチップを触る音が響いた。

「850」


──ポットオーバーベット

芭蕉が最初に感じたのは、“撃ち切った者の手応え”だった。

(トップヒット、あるいは88ポケット8とか

 あってもなくても、そういう手で、

 “通すために”打ってる。

 それを受ける側も普通なら悩む…

 AIなら…!?)


TENETは微動だにせず即答。

「コール」


二人は即座にカードを開いた。

トンプソン:A♠ 8♣(ミドルヒット)

TENET:K♠ 9♢(セカンドヒット)

《ボード:Q♣ 9♡ 3♢ 8♢ 2♢》


晴花が口を開いた。

「え……セカンドヒット……」


トンプソンはわずかに息を吐き、カードを投げた。

一言もない。表情も変えず。


TENETは手に入れた1500点強のチップを精密に仕分けていく。

芭蕉は、TENETの手元を見ていた。

(読みも、サイズも、悪くなかった)


人の皮を被ったAI、その下のメタルボディで、トンプソンの銃撃は弾かれた。

それが、AIとの戦いだった。

撃ち切る人間は、たしかに強い。

だが──“撃たれても揺れないもの”には、勝てない。


TENETは、次のハンドを待っていた。

視線は中空を見据え、テーブルの全ての情報をその眼で、ただ拾っていた。



「……やっぱり、こいつは読めないか」


芭蕉はテーブルに肘をつき、手元のカードを伏せながら目を細めた。


トンプソン隼人でさえ完封された。

3発撃ち切って、それでもまるで動じなかった“AIの怪物”。


──TENET。


あれから、誰もが息をひそめ、チップの音すらやけに響く。


「バチッてましたね、さっきの」

隣で晴花が小声で言った。


芭蕉は頷いたまま、同期が完了・更新されたHUD情報を見つめていた。

《プレイヤー名:TENET(β-1.1.34)》

《VPIP:28.2% / 総合ハンド数:425 》

《スタイル:GTO準拠・自律学習型AI》


芭蕉はつい言葉がでた。

「ん?こいつ、赤ちゃんなのか?」


「…どうしたんですか?」


「HUD情報を見てたんだが、総合ハンド数が少ないんだ。

 俺のスマートグラスって実際に戦った相手のハンド数を検証してくれてんだけど、

 こいつのはWEBを介して同期をするから戦ってなくても全部でるんだよ。

 それにこんな大きなカジノで稼働してたらさ、

 プレイ数は数十万とかになってるはずだろ。

 …でも、総合で425しかない。

 毎回、リセットして学習効率とかを測ってるのかもしれないな。

 さしずめ、対人練習中ってところか」


芭蕉は、もう一度、椅子に深く腰を下ろした。

テーブルに、冷たい静けさが戻っていく。


UTG1番目のTENETがリンプイン最低金額参加


BTN4番目の芭蕉が手元のカードを確認し、すぐにアクション。

K♣ Q♡

「レイズ60点」


TENETは変わらない速度でチップを追加し、コールした。


フロップが開かれるとほぼ同時に、HUDが自然に起動する。

《UTG / ハンド:K♣ Q♡ 》

《フロップ:A♠ 7♢ Q♣ / ワンペア》

《ポット:140 / スタック:芭蕉 2,180》


TENETが、即座にチップを前に出した。

「ベット、50点」


芭蕉の眉が動いた。

ドンク先打ち……?)


Aがあるなら、チェック・レイズカウンター

Aがないなら、撃つ意味がない。

でも──“これは、そうする順番だった”という打ち方だった。


「……コール」


ターンカード。

…3♢

《UTG / ハンド:K♣ Q♡ 》

《ターン:A♠ 7♢ Q♣ - 3♢ / ツーペア》

《ポット:240 / スタック:芭蕉 2,130 》


TENETはチェック。


芭蕉は、ほんのわずかに息を吐いた。

(さっきのドンクの意図が読めない)

「……チェック」


そしてリバーカード。

…4♠


《UTG / ハンド:K♣ Q♡ 》

《リバー:A♠ 7♢ 4♣ Q♢ - 4♠ / ワンペア》

《ポット:240 / スタック:芭蕉 2,130 》


TENETはチップを静かに出した。

「ベット、270」


芭蕉の目が、わずかに揺れる。

(普通に考えればAヒット系、

 強ければA4あたりで4が刺ささりフルハウスか…

 フロップ強気、ターンチェック、リバー超強気の説明がつく)


何よりフロップからのドンク先打ちが不気味だった。

ポジションが不利なはずのTENETが、当然のように先に打った事実。


(打ちたかったんじゃない。

 ただ、“打つ番だった”だけか…

 それとも…何か引っかかる)


芭蕉は、ほんの一瞬だけチップを触れた。

そして──静かに、力を抜いた。


「……やめとくか」


カードをディーラーに投げたフォールド


TENETは何も見せず、ポットを引き寄せる。

ディーラーも、HUDも、ただ沈黙のまま次へ進む。


スマートグラスに残った表示がゆっくりと消えるのを眺めながら、

芭蕉は思考を巡らせた。

(…もしや…今の、ブラフだったのか?)

(いや……こいつ、もしかして…)


次のシャッフルが始まる。


テーブルでは何も語られなかった。

しかしTENETに配られたカードは、

──8♣ 7♣

ボードはA♠ 7♢ Q♣ 3♢ 2♠。

Aもない。ストレートもない。

完成した役は、7のワンペア(セカンドヒット)。

誰も見えない裏側、TENETの処理系にはこう表示されていた

─Partially Applying:Thompson's Lineトンプソンのラインを一部適用


晴花がつぶやく。

「…この人、弱点とかあるんですかね?」


芭蕉の目元が静かに笑った。

「今から見つけてみるさ」

(楽しくなってきた。今度は“誘導”でいく。

 さっきフォールドしたことで、

 俺は“慎重なプレイヤー”に見えているはずだ

 そのためのハンドとボードを待つ)


数ハンド後──芭蕉にA♡ 6♠が配られた。


プリフロップ。

芭蕉はCO3番目から60点オープン。

TENETはBBで即コール。


フロップのカードが開かれた。

《CO / ハンド:A♡ 6♠ 》

《フロップ:6♢ 6♣ Q♠ / スリーカード》

《ポット:150 / スタック:芭蕉 2,030》


TENETのチェックに対して、芭蕉はゆっくりとチップを取る。

Aはヒットしてない。

だが、トリップススリーカードだ。

表情には何も出さずに発声した。

「40点」


クイーンに怯えてるようなサイズ感。

チェックをするより、この方が“演出”として効く。


TENETは中空を見据えたまま、

「コール」


ターンカード

…2♡


《CO / ハンド:A♡ 6♠ 》

《ターン:6♢ 6♣ Q♠ 2♡/ スリーカード》

《ポット:150 / スタック:芭蕉 2,030》


なんでもないラグカード。

普通、誰も2なんて持っていない。


(QQと22とQ6以外に負けてない…

 確実にバリューを取りにいく)


TENETはチェック。

芭蕉は“迷い”を演じながら──

「チェック」


リバーカード

…K♢

《CO / ハンド:A♡ 6♠ 》

《ターン:6♢ 6♣ Q♠ 2♡ K♢/ スリーカード》

《ポット:150 / スタック:芭蕉 2,030》


TENETは依然として中空を見据えたまま、

「チェック」


芭蕉は少ししかめっ面をしながら考える(フリをする)。

(Kは好都合…。

 TENETがKQであれば最高だ。

 Q持ちでも、K持ちでも、

 レイズをしたくなる額をだす)


「60点」


TENETは一瞬の間もなく、カードを前に出した。

「フォールド」


芭蕉の獲得ポットはたったの150点。

チップが目の前に流れてくる。

だが、それは風に流された紙片のようだった。


芭蕉はしばらく、何も言わず、何も考えず──

ただ、視線をボードに落としていた。


(勝った。でも、何も起きなかった)


トリップスで誘導して、釣って、勝ったはずなのに、

こちらの拳は空を切っただけの感覚。


誰も心を動かさない勝利。

ここは“戦場”じゃない。ただの計算機の中。


芭蕉はチップを積み直しながら、そっと呟いた。

「……なあ、ポーカーって、もっと面白かったよな」


TENETは何も言わない。

その沈黙さえ、最適解なのだと伝えてくる。


チップを積み直しながらも、芭蕉の手は止まったままだった。


カードのシャッフル音。ディーラーの手の動き。

そのすべてが、どこか遠くに感じる。


(読みは通じない。

 バリューも取れない。

 じゃあ俺は、何を信じて戦う?)


思考が、深く沈んでいく。

スマートグラスに浮かぶ<<Visual Stream:Standby>>の表示。

ずっと、そこにあるのに、見ていなかった。


(俺は──ずっと、一人でやってきたつもりだった)


“違う”、と胸の奥が言った。


ふと、親指がグラスのフレームをなぞる。

ほんの、わずかな圧力。


音もなく、画面が切り替わる。

<<Humble Nuts connected – Visual Stream: Active>>


(……居るのか?)


「…おはよう、パパ。ずっと見てたよ」


いつもの声。

だが、芭蕉の中にはこれまでとは違う緊張が走っていた。


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