傍観者死神

れおりお

第0閑話「世界の片隅で」

ぼくたちの世界からは、人間界がよく見える。

とはいえ、すべてが見えるわけじゃない。

担当になった人間の人生だけが、小さな「穴」から覗ける仕組みになっている。


その日も、ぼくはその「穴」の前に座って、ひとりの老女を見ていた。


彼女はもうすぐ死ぬ。

時間で言えば、ちょうど一年と少し。

ぼくが彼女の担当として割り振られたのは、昨日のことだ。


「相変わらず、真面目に覗いてるね」


背後から、馴染みの声がした。死神Aだ。

あいかわらずやる気のなさそうな顔で、ぼくの隣に腰を下ろす。


「別に真面目にってわけじゃない。……ちょっと気になっただけ」


「ふーん。そのわりに、さっきから3時間くらい見てない?」


ぼくは何も言い返せなかった。

老女は、認知症の夫を介護しながら、ひとりで静かに生きていた。

息子夫婦は遠くにいて、めったに顔を見せないらしい。


「何か言いたそうだね」と、Aが呟く。


ぼくは、ため息をついた。


「彼女……このまま死ぬことを、知らないまま終えるのが……ちょっと、もったいない気がするんだ」


Aは鼻で笑った。


「言いたいことはわかるけど、やめときなよ。

人間の死は、人間のものだ。ぼくたちはただの案内人で、演出家じゃない」


「……でもさ。もしかしたら、知ることで、彼女は何かできるかもしれない。

思い残すことを減らせるかもしれない。

家族に、何かを残せるかもしれない」


「それって、君の自己満足じゃない?」


Aの言葉は鋭くて、少し痛かった。

けれど、それでも、ぼくの中のざわつきは収まらなかった。


「一度だけ、試してみたいんだ。……もし、それで彼女が良い最期を迎えられたら……」


Aは肩をすくめた。


「いいよ。止めない。けど、責任は君がとることになるよ」


ぼくはうなずいた。


その夜、ぼくは老女の夢に入り、優しく告げた。


「あなたの命は、あと一年です。どうか、残りの時間を大切に」


彼女は朝、目覚めて少し泣いた。


そして数日後から、彼女は少しずつ周囲に連絡を取り始めた。

遠くの息子に電話をし、夫の介護を施設に委ねる決意をし、町の集会所に顔を出すようになった。


そしてちょうど一年後――彼女は、眠るように穏やかに息を引き取った。


そのとき、彼女のまわりには、息子夫婦と孫たちがいた。


彼女は、笑っていた。


魂を回収した帰り道、死神Aが言った。


「……まあ、今回はうまくいったみたいだね。でも、全部がそうなるとは限らないよ?」


ぼくはうなずいた。


「うん。でも……ぼくは、もう少しだけ、人間に寄り添ってみたいと思う」


それが、ぼくの「死神」としての、新しい生き方のはじまりだった。

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