2−7 ジョハル・カフカース 1 (ジョハル視点)
私のこれまでの人生は苦痛に満ちていた。
カフカース領は北方の国であるニヴルヘイムに隣接する唯一の領地だ。
ニヴルヘイムに住む部族は昔から比較的気候が穏やかな我が国に憧れていて、ニヴルヘイムの国境に接するカフカース領に度々戦争を仕掛けてきた。
祖父が領主だった時にニヴルヘイムとの大きな戦争が起こり、祖父はその戦争で受けた傷が悪化し四十過ぎで亡くなられた。
その時、父は二十歳を過ぎたばかりの若造で、ニヴルヘイムとの戦争は終わったというのに、度々仕掛けてくる少数民族の国境への攻撃に心を痛めておられた。
そして父も、ニヴルヘイムの少数民族との戦いが原因で亡くなられてしまった。
私の代に変わっても度々国境を越境してくる行為に業を煮やし、何度も王宮にニヴルヘイムへの抗議と我が領への支援を要求したが、全く聞き届けてもらえない。
もうすぐニヴルヘイムとの終戦から四十年が経とうとしているのに、未だに我が領の復興はままならない。
そんな鬱屈した気分を紛らわそうと思い、王宮で開催された夜会に出席した時に私の人生の転換点が訪れたのだ。
……王都にいる連中は本当にくだらない。こんな金があるんだったらカフカースに援助してくれればいいものを。
会場に流れる優美な音楽、美味しい食事に酒、華やかな衣装で着飾った貴族達。どれも気に食わない。いっそこの会場の中心で、魔物でも現れてくれたら愉快なのに。
「ジョハル様、お久しぶりです。このような場にジョハル様が出席なさるとは意外でした」
私に話しかけてきた若造は、カフカースの北東に隣接するウェズリー領の次期領主であるリチャード・ウェズリーだ。
「リチャード殿、私も本当はこの様な華やかな場所は苦手なのですが、神の恵みをより多くダグザ様の麓に届ける為には仕方がありません。出来れば他の方々にもダグザ様に神饌を捧げて頂きたいのですが、少々口下手故、中々上手くはいかないものです」
挨拶をするなら金をくれと遠回しに言ってみたが、この若造は意味を全く理解できなかったようだ。
「なるほど、わかりました。私から父上に頼んでみましょう。父上もダグザ様へのお供えならば文句は言いますまい。他の方にもお頼みして参りますね」
こいつバカか!只の皮肉を言葉通りに受け取ってどうする!本当に貴族学校を卒業したのか?
こんな奴が次期領主だなんて、ギャレットの奴も頭がおかしいのではないか?私ならこんなバカは即刻廃嫡にするぞ。
「いやいや、リチャード殿のお手を煩わせる訳には参りません。他の皆様にお話しするのは私の役目であります故、リチャード殿にはご遠慮頂きたい」
少々不躾な口調になったが、このバカの事だ気がついていないだろう。
リチャードから離れてテラスで風に当たっていると、背後に一人の女性が立っていることに気づいた。
「お休みの所失礼とは存じますがよろしかったでしょうか?」
「いや、失礼。貴方の様な麗しい女性のお誘いをお断りするなんて不躾な真似はできませんよ」
「ふふっ、お上手ですこと。申し遅れました、わたくしクン・ヤン教国の大使を務めておりますアンナ・ティルトンと申します」
「なんとクン・ヤンの大使殿でございましたか、大変失礼いたしました。私、ジョハル・カフカースと申します」
アンナは実に知的な女性で、長時間話をしていても全く苦にならず、実に有意義な時間を過ごした。
私達はその後も幾度となく出会い、そして愛し合った。
妻とは政略結婚だった為、実に冷め切った夫婦関係だった。ずっと王都のタウンハウスに篭っていて全く領地に寄りつこうとしない。派手な散財こそしなかったが、真面目なだけの女で全く面白味に欠けていた。
だがアンナは違う。いつでも私の会話を楽しそうに聞いてくれて、そして朗らかに笑う。
そして、常に私を立ててくれて私の言う事をきちんと聞いてくれる淑やかな女性だ。
ああ、今の妻とは離婚をしてアンナを新しい妻に迎えたい。しかしアンナはクン・ヤン教国の大使だ。勝手に婚姻を結ぶことは国際問題にもなりかねない。
しかし、私の胸に灯った情熱の炎は真っ赤に燃え盛り、決して消えることはないだろう。
長い長い逡巡の末、私は意を決してアンナに告白することに決めた。
「アンナ、私と結婚してくれないか。私はもう君から離れる事ができないんだ」
「しかし、貴方には奥様も子供もいらっしゃるではないですか。それに私はトゥルー教の司祭よ、結婚は禁じられてるわ」
クン・ヤン教国の国教であるトゥルー教の聖職者は結婚が禁じられている。アンナと結婚をするには、アンナが司祭を辞さなくてはならない。
「妻とは離婚をするし、子供は君との間に子供が出来るまでは手元に置いておくが、子供が出来たら廃嫡をするから安心しておくれ。だから、君も司祭をやめて欲しいんだ」
「……わかったわ。でも、私の上司でもある司教様には貴方からも説得して欲しいの」
「勿論だとも。よかった、君が前向きな返事をしてくれて」
私はアンナの決断に安堵した。断られないとは思っていても、いざ話をしてみれば緊張するものだ。やはりアンナは私を必要としてくれている。
数日後、私とアンナはクン・ヤン教国の大使館に訪れた。アンナの上司である司教がたまたまケルト王国に訪れていたからだ。
「司教殿、私とアンナの結婚を認めてください。私達は深く愛し合っているのです」
「ふむ、愛する二人には申し訳ないがトゥルー教の聖職者には結婚は認められていない」
「そこを曲げてお願いしているのです。司教殿、何とかお力をお貸し頂けませんか」
「……わかりました。ですが簡単に了承すれば他の敬虔なトゥルー教徒に示しがつきません。そこでジョハル様、さるお方がお出しする試験をクリアすれば二人の結婚を認めましょう」
司教は部下に合図をだし、何者かを呼びにいかせた。
……まるで示し合わせた様だな?いや、気のせいだろう。
しばらくして、黄色の外套を纏った男性が部屋に入ってきた。
司教はもとよりアンナや周りの者全てが席を立ち跪いた。
「ジョハル様、このお方は枢機卿猊下であらせられるイタカ様でいらっしゃいます」
イン・ヤン教国の枢機卿だと!それはトゥルー教の重鎮ではないか。
私は慌てて席を立ち、アンナの隣で跪いた。
「ほう、司教相手だと上から物を言うが枢機卿だと跪くか、全く度し難いな」
なんて横暴な口の聞き方なんだと思いながらも頭を全く上げられない。
この目の前にいるイタカという人物からは、強烈なオーラの様なものを感じる。
「……貴方は、貴方様は一体……」
何者なのか?と問い正したかったが、心の奥底でこのお方に逆らう事を拒絶している自分がいた。
「下賤な者なれど、余の威圧を感じ取れるか。まあ良い、疾く励め」
その言葉に私は全身で感動していた。そう、まさしく感動で身体が震えていたのだった。
その時私の愚かな頭でも完全に理解した、私はようやく真の主に出会えたのだと。
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