2−2 ケネス・パーネル 1

 ケネス・パーネル、三十五歳。結婚していて子供は男子が一人。職業は行商人でウェズリー領とカフカース領の間で行商を行なっている。確か、出身地はカフカースの領都だと言っていた記憶がある。

 私が知る限りでは、今までぼったくりや詐欺まがいな取引は無く真面目な商売人という印象だった。

 いつもお菓子をくれたりしてくれていたので、私の中では優しいおじさんって感じだったけど、裏ではそうでもなかったって事なのかな。


「……アリアちゃん、誤解だよ。ちょっと驚かそうとしただけなんだ」


 ケネスさんはしどろもどろになりながら反論してきた。


「……驚かすだけなら麻袋は必要ないと思いますけど?それとも、カフカースでは麻袋にいたいけな少女を入れて驚かす遊びでも流行っているんですか?」

「……こ、これはジョークだよ。こうした方がよりビックリするだろう」

「……ケネスさん、貴族の令嬢を麻袋に詰め込む行為はジョークでは済まされませんよ。ケネスさんに私がどう見えてるかは判りませんが、こう見えても私はニュートン準男爵の娘でクーパー男爵の姪です。貴族の家族に傷を負わせた平民がどうなるのかはわかっているでしょう?」


 ケネスは黙り込んでしまった。私が父さんに報告すれば、父さんはウェズリー辺境伯にも貴族を害した者として報告するだろう。そうなれば、ケネスの商売は成り立たなくなるし、元よりケネス本人がどうなるかもわからない。


「……私は見なかった事にしておきますから、ケネスさんは早々に立ち去ってください。早くしないとクリスが戻ってきてしまいますよ」


 私は、自分でも甘いなぁと思いながら木陰に戻り腰を下ろした。

 それでもケネスはその場から動かず、じっと私を見つめていた。

 うーん?何か言いたいことでもあるのかな?せっかく穏便に済ませようと情けをかけたのに、このままだとそれも無駄になっちゃうよ。


「……駄目なんだ。君を連れて行かないと……。私だけが助かっても……」


 ケネスはブツクサと独り言を言いながら、腰に差していた短刀を抜いた。


「……アリアちゃん、君を傷つけたくない。頼むから一緒に来てくれないか」


 切羽詰まった様子でケネスは私にジリジリと近づいて来た。


「……それは本当に冗談では済まされませんよ」

「……ここで私だけが助かっても仕方がないんだ。アリアちゃんを連れ帰らないと私は……、私達は……」


 ケネスは正気を失ったかのような瞳で喋り出した。

 これは正直怖いかも。


「……ケネスさん、一旦落ち着こうか。私もお腹が空いたし」


 私は神霊術を使ってケネスを昏倒させた。

 ケネスはその場で崩れ落ち、ピクピクと痙攣しながら倒れていた。

 すると、ケネスの口からゲロが吐き出され、ズボンを見るとおしっこを漏らしていた。そしてこの臭い……もしかして大きい方も漏らしたのかっ!

 そういえば、入院していた時に全身麻酔を使う時は絶食・絶飲をするって言ってたような。それに確かT字帯とかオムツも着用するって聞いたことがあったような。

 私はゲンナリしながら、ケネスが嘔吐物で窒息死しない様に横を向かせ洗浄術で強引にゲロと糞尿まみれのズボンを洗浄した。


 ……うううっ、ちょっと食欲が無くなっちゃったよ。


 その後クリスが戻り、私のそばで倒れていたケネスには一瞥もせずに私の食事の準備をし始めた。

 私が大ぶりのチキンソテーが挟まったサンドイッチを大きく口を開けて頬張ると、クリスは私の口元についたソースをナプキンで拭いながらケネスについて質問した。


「この無様に転がっている男はなんですか?」

「ケネスさんだよ。クリスも会ったことあるでしょう」

「名前では無く、なぜここに転がっているのかを教えて貰いたいのですが」

「さあ?それは本人から聞いてみないと判らないよ。とりあえず、食事が終わってから尋問しましょう」


 クリスはため息を吐きながら、霊術で縄を作り出しケネスを縛っていった。

 ……クリスには、さっきまで汚物まみれだった事は黙っておこうっと。


「でしたら、食事を終えたらダグザの所に移動しましょう。ここでは人目に着きますから」

「そうね。その方がいいかもね」


 あーあ、今日はせっかくラベンダーを見て最高な気分だったのに、台無しだよ。

 私はお茶を飲み終え、クリスが後片付けをしたのを見届けるとケネスを引きずりながらダグザの住処に向かって転移した。




「お目覚めですか、ケネスさん」


 ケネスは倒れる前までいたラベンダー畑ではない事に気がつき、立ち上がろうとしたが縄に縛られていた為にまた転んでしまった。


「ケネスさん、無理に立ち上がろうとしなくてもいいですから」


 ケネスが周りを見渡すと、私だけではなく、クリスやダグザがいる事に気がついたようだ。


「これからケネスさんに質問しますけど、正直に答えてくださいね。嘘を言うとここにいる怖い人達が何をするかわかりませんから」


 ケネスは素直に頷いた。どうやらダグザが精霊であることはわかっているみたいだ。まあ、ダグザは今は獣の姿をしているし、この特徴的な姿を見たら誰でもわかるか。


「では、ケネスさん。なぜケネスさんは私を誘拐しようとしたのですか?その動機を教えてください」


 ケネスは恐る恐る答え始めた。


「……カフカースの領主様に命令されました。精霊の弟子になったアリアちゃんを攫ってこいと」

「はあっ!領主が誘拐を命令したんですかっ?」

「正確には違います。領主の息がかかっている領都の大商会であるヨセミテ商会の商会長から領主の命令書を見せられました」

「それに黙って従ったんですか?犯罪行為ですよ?ケネスさんの今までの人柄から考えても不自然に感じますが?」

「……従うしかありませんでした。アリアちゃんを攫って来なかったら家族を殺すと脅されて仕方なく……」


 ケネスはそこで泣き崩れた。

 私を攫えば誘拐犯、失敗したら家族と取引先を同時に失い自分もどうなるかわからない、どちらにしてもケネスにとっては辛い決断だっただろう。そして、他人の私よりも家族の無事を選ぶ方がケネスにとっては必然の結果だったのだろう。


「……誘拐の動機は分かりましたが、そもそも何故カフカース領主が私が精霊の弟子だという事を知っていたのですか?これは、まだ公になっていないはずですが」


 私が精霊の弟子である事は、私の家族以外ではギャレット・ウェズリー辺境伯とその側近連中、後は国王陛下と護衛騎士達と魔術師だけなはずだ。しかも国王が口外禁止にした為、それ程広がっていないはずなのだが。


「……それは私が報告しました。アリアちゃんは、私が各地の情報を商会や貴族に売っているのを知っているだろう。私がオウルニィの住人やクーパー男爵邸の使用人達から聞いた情報をヨセミテ商会に売ったんだ」


 なるほど。後で伯父さん達にもクーパー家の情報が漏れている事を教えなきゃ。


「アリアちゃんが精霊様の弟子になったと報告して、その報酬を貰いにヨセミテ商会に行ったら、アリアちゃんを誘拐してこいと言われたんだ。私ならアリアちゃんを知っていてオウルニィの住民にも顔がきくし不審に思われないから」


 ケネスはオウルニィの町に何度も訪れている馴染みの行商人だ。住人達がケネスを見かけてもまた来たかと思われるだけだろう。しかも、運よく私を誘拐できたとしても、行商人だから馬車の荷物の中に私を閉じ込めておいたらまずわからないし、町を離れても疑われない。


「……私も最初は当然反対したんだ。でも、家族を人質に取られてしまって」

「確かに貴方の境遇には同情しますが、貴方が行っている事は犯罪です。姫様、ここはクーパー男爵様に引き渡すのがよろしいかと」


 クリスの案は、伯父さんにケネスさんを私の誘拐未遂の犯人として引き渡すといったものだ。

 確かにそれが一番良い選択かもしれないが、この案だとケネスは犯罪者として処分され、ケネスの家族はどうなるかわからない。しかも、カフカースの領主にシラを切られれば、こちらとの身分差を考えれば、その後の追及は難しいだろう。因みにカフカースの領主の爵位は侯爵で、男爵よりも遥かに上だ。


「ならば、我輩達がカフカースの領主を成敗しましょうか?」

「……因みにどんな理由でカフカースの領主を成敗するの?」

「勿論、姫様を拐かそうとしたと……」

「その理由でなら却下します。魔術師学校の入学を控えてる以上、これ以上私が目立つ事は避けたいもの」


 だがダグザの案にも一考の余地がある。

 カフカースの領主をなんとかしないと私はいつまでも狙われる可能性がある。

 出来れば早めに対処しておきたい。


「では、姫様のお考えをお聞きします。どう対処なさいますか?」

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