夢幻怪談

沖田 了

やまびこ

 これは首都圏に住む20代会社員の女性・伊佐美さんから伺った話である。


***


 これが始まった原因は、おそらく1年前の登山だと思います。

 私は、3年ほど前に職場の先輩に誘ってもらったのがきっかけで、週末はよく近場の山に登る様になっていました。といっても、私が登るのは高くても標高1000メートルを超える程度、登山というよりかはハイキングの様な、日帰りでできる気楽なものです。

 最初は職場の先輩と関東周辺の山を中心に登っていたのですが、その先輩が転勤で首都圏を離れてからは、一人で登る様になりました。


 あの日登ったのは、神奈川の丹沢山系でした。関東周辺で登山をする人なら、高尾山に次いで人気のスポットといっていいかもしれません。有名な表丹沢から大倉尾根を縦走するルートなんかは、春や秋は多くの初心者ハイカーで賑わいます。

 といっても、その時私が登ったのは丹沢南部の大野山を目指すルートでした。

 その時はちょうどゴールデンウィークでしたから、縦走するルートは人でごった返していると思ったので、人気のないルートを選んだのです。本来なら下準備をして登るべきだったのですが、ゴールデンウィーク前に仕事が立て込んでいた影響で、その日の登山はルートもろくに調べずに登ることになりました。

 人気のないコースといっても、丹沢に属するルートですから、迷うことはないだろう。

 そう思っていたのが間違いと気づいたのは、太陽が真上より少し西に傾いた頃でした。

(まずい、どこで分岐を間違えたんだろう)

 どうやら獣道をルートと誤認してしまったらしく、先ほどから歩いていた道が、目の前でぷつりときれていました。その先には丹沢湖から流れているのだろう、川が道を遮っており、自分がルートを間違えたのは明らかでした。

(おそらくそこまで遠くまで外れていないはず。来た道を引き返そう)

 こういう場合、最も正しい対処は来た道を引き返すことです。幸い日もまだ高かったので、元来たルートを引き返すのに苦労はしないと思いました。

 そう思い、きびすを返そう外したときです。

 目の前を流れる川の近くに、人影があるのに気づきました。

 他の登山者でしょうか。

 もしかして、私と同じくこの道に迷い込んだのでは、と思いました。しかも、川向こうへ足を向けているということは、川を渡るつもりなのではと思いました。

(あれ以上先に行くと遭難しちゃうんじゃないかな?)

 山というものは怖いもので、あの有名な高尾山ですら毎年多くの遭難者が出ています。特に初心者は、多少道に迷っても市街地と同じような感覚で「多分大丈夫だろう」「歩けば着くだろう」と考えて先に進んだ結果、完全に迷ってしまうパターンが多いのです。

 私はとっさにその人影に声をかけました。

「あのー! そっちは道じゃないですよ!」

 すると人影が声に気づいたのでしょうか。

 川の方へ進もうとするのをやめ、こちらに振り返ったのがわかりました。

 良かった、せっかくだから元来た道まで一緒に進むことにしよう、そう考えながら人影を見るうちに、ふとあることに気がつきました。

 人影がこちらに進むにつれて徐々に輪郭や装備がはっきりとして来ました。

 背格好から察するに、私と同じくらいの背丈の女性のようでした。

(マウンテンパーカーお揃いじゃん)

 近づいてくるうちに、同じなのはマウンテンパーカーだけではないことに気づきました。

 下に履いているショートパンツも、被っている帽子も、背負っているザックも同じ。

 そしてーー 顔も。

 その瞬間、私はそれが人ならざるものだということを理解しました。人助けをしたつもりが、とんでもないものを呼び止めてしまった。私は踵を返すと、来た道を後ろを振り返らずに必死に走って戻りました。

 そのあとはよく覚えていないのですが、無事に麓まで下ることができ、近くの駐車場に止めていた車で自宅に帰ることができました。


 と、これで終われば良かったんですが、この話には続きがあるんです。

 あの私そっくりの人影を見た後から、どうやら私のドッペルゲンガーが出没しているらしいんです。えぇ、多分あの私そっくりの人影なんだと思います。

 最初は会社の同僚から、休日に私が何処何処にいるのを見た、という話から始まりました。でも、私はその日外に一歩も出ていなかったんです。

 そんなことが何度か続いて気味が悪くなったので、一度会社に休みをもらって高名な神社でお祓いをしてもらったこともあります。祈祷は数時間にも及ぶものでしたが、これでこの異常現象が終わるのなら、と思いました。

 ですが、有給休暇の翌日会社に行くと、上司から呼び止められたんです。

「伊佐美さん、昨日お願いした先月の売上分析の件、できてる?」

 なんのことだかわかりませんでした。

「課長、昨日は私お休みを頂戴していました。誰かとお間違えでは?」

「え? でも昨日伊佐美さんいたよね?」

 ゾッとしました。

 しかも、課長だけでなく同僚も私が昨日会社に居たというのです。

 ですが、私は確かに昨日有給休暇をもらって、山梨の神社で祈祷を受けていたのです。都内のオフィスビルにいるはずがないのです。

 しかし、さらに驚いたのが、パソコンを開けてデスクトップを開くと、見覚えのない資料が保存されて居たのです。中身を見ると、課長の言っていた先月の売上分析の資料でした。

「これこれ、なんだ出来てないからトボけてるのかと思っちゃった」

 課長はそう言って資料を受け取っていきました。


 その日から、異変は加速していきました。

 その時間会社にいたはずなのに、外で歩いているのを見かけた、というのは序の口。まっすぐ家に帰ったはずなのに、職場の同僚と飲みに行っていた。休日の何処何処でランチをとっているのを見た。

 一番堪えたのは、先述した登山を教えてくれた先輩から久々に連絡が来たときのことです。

 「この間はお疲れ様。いきなり来たからびっくりしたよ。関西来たら六甲山って、急すぎない?笑」

 そんなメッセージが突然来ましたが、もちろん関西なんて行っていません。ですが、同時に送信された写真に間違いなく私が写っていたのです。


 そんなことがあったのが半年前。

 それから私はずっと家に引きこもるようになりました。

 でも、毎月きちんとお給料は口座に振り込まれているんです。

 私の代わりに会社にいるのは誰なのでしょうか?

***


 この話を伺ったのが、本書発行の1年ほど前である。

 本書の出版にあたり再度伊佐美さんに許可を取るため、取材時に教えてもらった電話番号に電話をかけてみた。

 電話に出た彼女に「先日教えていただいた怪談を本にしたいが、いいか?」と問い合わせると、思わぬ答えが帰って来た。

「この前話した怪談ですか? なんのことでしょうか?」

 私は背筋に冷たいものを感じた。私は適当に話をごまかすと、一言礼を言って受話器を下ろした。


 今話したのは、果たして伊佐美さんだったのだろうか。

 確かめた方がいいのだろうが、もう一度電話をかける勇気が、私にはない。

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