夢の入り口から出口までは長ければ長いほどいいはずだ
秋乃光
夢の形はさまざまで
オヤジとお袋の休みと、土曜がかぶった日。俺はオヤジの運転する車に乗って、隣町のイオンまで行った。あの頃、三人で出かけられるような日は非常にレア。けれども、お袋は「もっと遠くへ出かけたかったわ」と行きの車内でぼやいていたのを覚えている。
寡黙なオヤジはむすっとした表情でスルーしていた。記憶の中のオヤジは、だいたい、むすっとしている。笑った顔を思い出せない。
俺は、家族で出かけられるのなら、どこでもよかった。当時の俺はまだ反抗期でも、思春期でもなくて、オヤジとお袋の間に流れるびみょーな空気にも気付かないような子。
この時の俺が、たとえば、イオンじゃなくて、お袋の言うような『もっと遠く』の場所に行きたがっていたら、現在の仕事には就いていなかっただろう。アルパチーノのボケ担当の大五郎は存在していなかった。だが、もし『もっと遠く』に行っていたとすれば、オヤジとお袋は別れていなかったかもしれない。ケースバイケースってやつだ。ちょっと違うか。
俺は、この日、イオンで、運命さんと出会った。
イオンの一階にある特設ステージは、その日はたまたま、ユキモト所属の芸人がお笑いライブをする日。次の日だったら仮面バトラーのヒーローショーだったし、来週なら、ゆるキャラの着ぐるみとの撮影会だった。三階のレストラン街のポメの樹でオムライスを食べて、二階の本屋とか服屋とかを見て、一階のスーパーで買い物して帰ろっか、ってなタイミングで、俺は運命さんに声をかけられる。
「十四時からライブなんだけど、君、見に来ない?」
運命さんは、この時はまだまだ全然テレビに出ていない。テレビっ子な俺は、お笑い番組が好きで、お笑い芸人を結構知っているほうだと思い込んでいたが、運命さんのことは存じ上げていなかったんです。テレビに映らなくて、こんな、お袋が行きたがらないような、田舎のイオンでライブするような芸人なんておもろないんだろう、と、高をくくっていた(ここ削ったほうがいいかな……)。
いや、あの、芸人になってから、地方の営業の大事さを学びましたよ?
先輩も売れっ子芸人さんたちも、ああいうところでコントしたり漫才したりしているわけですし、俺たちも呼ばれたら喜んで行っています。
あくまで、少年時代の大五郎の所感なので、間違えないでくださいね。
「いいじゃない。ライブを見ている間に、買い物を済ませちゃうわ」
お袋が背中を押した。俺が買い物についていったら、余計なお菓子やらオモチャやらを買わされると思ったのだろう。オヤジと俺を、特設ステージに押しつけたほうが安上がり。確かにそうだ。
「ああ」
二階を巡っているときから、たびたび二人は別行動をしている。俺は、オヤジにはついていかなくて、お袋にくっついて回っていた。これといった理由はない。自然と、オヤジではなく、お袋を選んでいた。だから、オヤジと二人きりにさせられても、特に何も思っていない。俺は、この、呼び込みをしているお笑い芸人の運命さんに興味を示していた。誰と見るかじゃなく、誰を見るかのほう。
「よっしゃ。ご新規二名様ご案なーい、おーらいおーらい!」
運命さんが俺とオヤジを特設ステージ前のスペースに誘導する。スペースは、半分ほど埋まっていた。年齢層はバラバラ。最前列におねーさんたちがいた(運命さんのファンの子たち、と、運命さんと現場がかぶったときに気付いたが、当時は意外と思っていた)。俺とオヤジのように、運命さんに声をかけられて来たんだろうな、みたいな人たちもいる。
「どうもどうもっ!」
「やーやー、お集まりいただきまして、有難う御座い増し!」
十五時きっかりに、運命さんの
しかし、始まったら始まったでなんだなんだと足を止める人たちがいる。スペースに入ってくる人がいれば、その外で見ている人もいるし、一度は止まってくれたけれどもどこかに行ってしまう人もいた。
人生で初めて見る生のお笑いライブによって、俺はお笑い芸人を志す。
運命さんのネタから(誤解されそうだけど、あえて書く)お笑い芸人って、人前でおちゃらけてふざけていれば金がもらえる商売なんだと、思っちゃったんですよね。すごく簡単じゃん、と。大五郎少年は勘違いしてしまったわけですよ。
オヤジはちっとも笑っていなかった。
周り(俺を含む)は大爆笑していたのに。
「俺、芸人になる」
運命さんが舞台袖にはけてから、俺は宣言した。小さな声だったから、隣ぐらいにしか聞こえてなかったと思う。すると、ずっと難しい顔をしていたオヤジが「芸人になりたいのなら、将来はユキモトの養成所に通うんだな」って、教えてくれたんだ。
芸人になるまでに、他のルートだってある。近年は高校生や大学生のお笑いの大会が開催されているぐらいだ。しかし、堅物なオヤジから『ユキモトの養成所』という単語が飛び出したのが、めちゃくちゃ印象的で、俺はその『ユキモトの養成所』を目指そうと思った。
お笑い芸人になったキッカケ、これです。
ちなみに前回の大会の後に運命さんとご一緒になった収録があって、この話をしたら、運命さんは全然覚えていなくてウケました。
オヤジの一言、なんだったんだろう。オヤジも実は、芸人になろうとしてたのかな。この記事が出たら、オヤジに連絡を取ってみようかしら。これ、お袋にはナイショにしているんですが、俺、オヤジとたまに会っているんですよ。お袋にはバレたくないのであとで消しといてください。なんだか怒られそうな気がする。
あとからユキモト以外にも養成所があると知ったけれども、俺は頑なに「ユキモト以外のお笑い芸人はすべてニセモノで、ユキモト所属しか勝たん」と信じ込んでいた。運命さんはマジで面白かったし、テレビに出ていなくても面白い人たちがたくさんいるユキモトこそが正義。他の事務所の芸人と戦いたくないからここもカットしましょうか!
いつか、オヤジを笑わせたいんです。
……えーと、時を飛ばして、俺が養成所を出てからの話をしますか。しますね。
俺は養成所時代にトリオを組んでいたけど、俺以外の二人は芸人を辞めてます。俺も辞めようと思っていた時期があります。相方を探しながら、ピン芸人をしていた。さらには劇場の出演料だけじゃ生活できないから、メシの配達員をやる。楽して稼げると思いきや、突きつけられる現実。
俺、はっきりとした金額は言えないけれども、配達員としてそこそこ稼いでいたんですよ。そりゃまあ生活していかないといけないから、生活できて、さらに後輩に奢るぶんを足で稼がないといけない。
ですが。
ある日、事故った。
俺は交通ルールを守っていたから、向こうが一〇〇%悪い事故。
入院した俺は、お袋に泣きつくしかなかった。配達員なのに配達できないから金は入ってこない。治療費を払わないと治せなくて、わずかばかりの貯金がどんどん減っていく日々。
「自分とコンビを組まないかい?」
お先真っ暗。落ち込みまくり。そんなところに現れた、相方。
「どちらさん……?」
病室に入ってきた見知らぬ黒いスーツ姿のイケメン。芸名は幸四郎。本名を尾崎豊。
――ここからの話は、また今度。
夢の入り口から出口までは長ければ長いほどいいはずだ 秋乃光 @EM_Akino
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