好きか、嫌いか、分からない。

ゆうらしあ

酷く自由なもの

第1話 傍観者

 何も人の目を気にせずに生きれたら最高だろうなと、クラスの男子が言っていた。

 私もそう思う。

 でも、自由を夢見るほど、足が地面に縛りつけられる。


 キーン コーン カーン コーン


 柔らかく響いた音に、五十嵐皐月の意識は現実へ引き戻される。

 前髪で出来た御簾越しに見える壁時計を見上げれば、針はすでに18時を回っていた。


「もう、こんな時間なんだ……」


 角ばった椅子から立ち上がると、彼女は自分しか居ない美術室をそそくさと出た。

 少し薄暗い廊下、授業の資料を運ぶ教師、遠くからは甲子園ももう終わったのに野球の県大会でやるであろう応援曲が聞こえて来る、そんな廊下の端をトボトボと進む。


 昇降口にはもう人は居らず、昇降口のタイルが濡れているのに気が付いて、そこでやっと今は雨が降っている事に気が付く。

 霧の様な粒の細かい雨が空気を濡らし、じわりじわりと自分の胸を締め付けてくる気がした。同時に、思う。


「淡い青……」


 この景色ならスフマートを使えば、色々な表情を見せられるかもしれない。空気遠近法を使って手前にある下駄箱をハッキリと、奥にある校門はぼやけさせる。

 昇降口前にある大きな窓から見えるグラウンドでは、サッカー部の男子達から霧雨に負けない熱い炎が出ていて、ベンチにいる監督からは霧雨を吹き飛ばす様に火炎放射器のような怒号を飛ばす。


 今のこの光景を切り取れたら、このイメージを思い通りに絵に出来たら。

 少し考える素振りをして、皐月は呆れる様に鼻で笑う。

 そして、それを笑っている自分に嫌気が差し、俯く。


 こんなにも世界は色鮮やかで自由だというのに。頭をキツく縛り付けて来る鎖に、醒めた感想が浮かんで来る。


 私なんかに夢は思い描けない。


 そんな感想を思うのと同時に、昇降口前の廊下から軽快な音が聞こえて来て顔を上げた。

 そこでは汗を掻きながら陸上部の人達が走り去って行くのが見えた。皆んな一心不乱に前だけを見て走っている。その姿が辛そうだと思うと同時に、とても羨ましく思う。


 それに比べて。

 いつも美術室でボーッと中庭を眺めるだけの臆病者、休み時間にクラスメイトと話も出来ない1人で居るコミュ力弱者、夢を追う事もしない愚か者が、此処には居る。


 周囲に居る全ての人が希望に溢れ、夢に向かっている。それなのに私は……。


 そう感じられ、皐月は逃げる様に傘を手に取って、昇降口から出る。

 傘を差すものの水は傘に落ちる事なく、ジンワリと身体全体を少しずつ濡らす。嫌に纏わりついてくる制服に何もかも自身を否定されている様で、皐月は大きく息を吐いた。


 何の意味もない傘を差すのを止め校門を出ると、学校の駐車場が見えた。

 田舎特有の広い駐車場、そしてそれに反比例する学校近くの狭い車道には車が列をなしていた。車のヘッドライトやブレーキランプで色づく濡れた車道。仕事帰りや学校に迎えに来る保護者の車がごった返して、雨の日は特に、学校前は混雑する。

 車が駐車場に入って来る度に薄い水溜りがパシャパシャと飛沫を上げ、そんな飛沫を上手く避けながら私は駐車場の横を通り過ぎる。

 学校併設の人工芝で出来たテニスコートを抜け、赤い梯子車が収納された建物、最近新しく建てられた病人を診る建物を通り過ぎた。

 そのどれもが雨に降られ、暗く、幽々としている。


 しかし、皆んなはいつも通り毎日目標に向かって生きている……雨の日は特に、今の自分が情け無く感じる。


 何も、何もしていない自分。


 カンカンカンッと踏切が降り立ち止まる。

 数秒後通る各駅停車の電車がゴオッと低音を響かせ通り、窓からの照明が皐月を照らした。電車には向かい合って談笑する生徒の姿が見えた。

 目標に向かう者達を電車で例えるなら、私は駅で乗車しようともしない、踏切で立ち止まってそれを見てる傍観者。


 でも、その例えも正確には合っているとは言えないのを皐月は知っていた。

 もう電車はあっという間に住宅の陰になって見えなくなるのに、現実は夢を追う人で溢れていて、見えなくなる事は無い。

 周りに居る者全てが、無意識に自身を責め立てている様に感じられる。それが無慈悲な現実だ。


 踏切が上がるとほぼ同時、皐月は線路へと一歩を踏み出す。

 現実でもこんな簡単に、作業的に一歩を踏み出せたなら、と彼女は心の内に吐き捨てた。

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