最近文学的な証明とは確かだということではなくて、不確かなままだということをすっかり確認することなのかな思ってます。数学でいう予想みたいなものなのかな?
この文章の火とか、油フライパンのテカリ、熱で跳ねる油粒、野菜の水分とトマトソース、緩い麺。
どれも結局それが美味しいのかは食べてないし、存在さえしないかもしれないからわからないのだけど、どうやらやってみるべきだと思います。
どんな素晴らしい文学も誰かのこれからの序章であって、その先へ向うためにあるのだと漠然と感じてます。証明は実世界で読んだ人がすべきです。
自分語りが過ぎて申し訳ないのですが、そういう最近の個人的な気づきがもうすっかり書かれていて勝手に嬉しくなりました。玉ねぎは嫌いなので抜きですが、ナポリタン作ってみます。
ごちそうさまです。おすすめです。