第17章 騎士の眼差しと少女の決意
あの日の優香との夜の出来事から、リタは少しずつ変わり始めた。
夜に目を覚ます回数は減り、優香の料理を「おいしい」と笑顔で言える日が増えていった。畑仕事を手伝いながら、村の子どもたちとも遊ぶようになり、日だまりの中で穏やかな時間を過ごすことが増えた。
それでも──時折、ふとした物音や、怒鳴り声に似た響きに、リタはびくりと肩をすくめる。心の傷が完全に癒えるには、まだ時間がかかるのだと優香は理解していた。
そんなある日、ノアが屋敷の裏庭で剣の素振りをしているのを、リタは物陰からじっと見つめていた。
彼の動きは無駄がなく、静かで、力強い。風を切る音だけが庭に響く。
ノアは手を止め、振り返らずにつぶやいた。
「……リタか」
見つかったことに驚き、リタは思わず身を縮めたが、ノアは優しい声で言った。
「隠れなくていい。これは君に向けた剣じゃない」
少しの間があって、リタはおずおずと彼に近づいた。
「……その剣、すごく切れそうですよね…ノア先生は怖くないんですか?」
ノアは少しだけ目を伏せ、言った。
「……怖いさ。私にとっても。これは命を奪う道具だ。だが同時に、誰かを守るための手段でもある。敵を殺すか、大事な人を守るかは武器を使う人間次第だ」
リタは黙って頷いた。彼の言葉には、どこか重みがあった。
「昔……私も家族を守れなかったんだ」
その一言に、リタははっと顔を上げた。
「君が背負ってるもの、全部はわからない。でも、それを語れるようになったなら──もう一度、前を向いてみないか?」
風が吹き抜け、リタの髪を揺らした。彼女は、ほんの少し、唇を噛みしめた。
「……怖いです。でも、優香さんや、ノア先生がいてくれるなら……私、変わりたい」
ノアは静かにうなずき、部屋に愛蔵していた装飾の綺麗な小剣を一本持ってくると無造作にリタに渡した。
「じゃあ、まずはこれだ。構えてみろ」
「え?」
「怖さと向き合うには、まず知ることが大事だ。剣が何をするものか、自分の手で確かめろ」
リタは迷いながらも、その小剣を受け取った。以前優香が留守の時木剣での稽古をつけてもらったことがあった。あれは半分お遊びだったが、今回は違う。小剣とはいえ本物の剣だ。人を殺すこともできる。それゆえか両手に握られた小剣がずっしりと重く感じた。リタが小剣を両手でぎこちなく構えると、ノアは彼女の後ろに立ち、手を添えながら姿勢を直した。
「ここはこう。力は入れすぎるな。剣を握るときは、心を落ち着かせ、自分を信じろ」
「……うん」
日が暮れるまで、リタはノアの指導のもと、小剣を振り続けた。手は豆だらけになるし筋肉は疲労で鉛のように重く、疲れすぎて食事が喉を通りそうもなかったが優香たちを心配させたくないので無理やり飲み込んだ。お風呂を行水のように済ませると倒れ込むように寝台に飛び込むと泥のように眠った。その夜、久しぶりにリタは夢を見なかった。
翌朝、筋肉痛で痛む身体をリタはそれを感じさせないように軽やかに操り食卓に座った。朝食の席で彼女は明るい声で優香に尋ねた。
「優香さん、今日もノア先生と剣の稽古していい?」
「ええ、もちろんよ。でも、怪我しないようにね?」
「うん!」
その笑顔は、少しだけ大人びて見えた。
──小さな歩みでも、自分の意思で一歩を踏み出すこと。
それが、リタの“癒やし”の始まりだった。
お母さんはレシピを持って異世界転生しました 月白紬 @shin-korori
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