第5章:リタの涙と、おかあさんの手

その日、優香は朝から忙しくしていた。

干し野菜の整理、パン生地の仕込み、ミレーヌとの交換の準備、トムじいさん宅への配達――そして、久しぶりに村の見回りの人が我が家に立ち寄る日でもあった。


「おかあさん、これ、かごに入れてもいい?」


「ありがとう、カイル。助かるわ」


「ニナも、パンならべた!」


「えらいえらい、ふたりとも!」


その光景を、リタは少し離れた場所から見ていた。

自分もやるべきことは終わらせていた。でも、優香の「ありがとう」は、なぜか自分には向かってきていないような気がした。


(……わたし、一番ちゃんとやってるのに…)


リタの胸の奥で、何かがもやもやと渦巻いていた。


***


 見回りの村の青年団の人たちは穏やかに優香たちと話していた。

この村に優香が来てから、屋敷の周囲はきれいに保たれ、畑も整備されている。前世で得た知識を活かし、最近では畑の周囲に柵と壕を設け、村への野生動物やモンスターの侵入を阻む対策まで行っていた。村の住民からの評判も上々だ。


「奥さん、ほんとに働き者だなぁ。料理も美味しいしよくお裾分けしてくれるし。いつもありがとうな。困ったことがあったらいつでも言ってくれよな。どんな手伝いでもするからさ。それに子どもたちも素直で礼儀正しいし、感心するよ」


「いやぁ、そんな……子どもたちがよく助けてくれてるんです」


優香は朗らかに笑って答えた。

けれど、その言葉にリタは密かに傷ついていた。


(“子どもたち”? 誰のこと……?)


自分が、ただの“子どものひとり”として数えられた気がして。

“お姉ちゃん”としてのプライドが、小さくひび割れた。


***


その夜、リタは夕食を食べずに、自室の端っこで本を読んでいた。

優香は何度か声をかけたが、「おなかすいてない」と返されるばかりだった。


カイルもニナも心配そうだったが、優香は無理に踏み込まなかった。


夜更け、食器を片付けていた優香は、ふと気づいた。

キッチンの棚に、小さな羊皮紙の切れ端が残されていた。それには文字が書かれていた。優香が物知りおばさんから教わったこの世界の文字を、リタに教えたのだ。リタは一生懸命それを覚え、今では日常的な言葉を自在に操ることができるようになった。この手紙にはリタの必死な想いが込められている、と優香は感じた。


《わたし、ちゃんとしてるよね? まちがってないよね?》


その文字を見たとき、優香は胸がぎゅっと締めつけられた。


***


翌朝。

リタはまだ、少しだけ距離を置いていた。


「……干し野菜の整理、もう終わってるから」


そう言って渡された籠はきれいに整頓され、ラベルまでついていた。完璧な仕事だった。

それでも、リタの顔はどこか不安げだった。優香の顔色を窺うような、そんな表情だった。


「リタちゃん」


優香は、その手をそっと取った。


「昨日、あなたが残してくれたお手紙、読んだよ」


「……っ」


リタの手が、小さく震える。


「あなたは、間違ってない。誰よりも一生懸命で、ちゃんとしてる。だから、ありがとう」


「……でも、優香さんは、“おかあさん”って呼ばれて、村の人にも褒められて、みんなに“ありがとう”って言ってて……わたしは何にも出来てない!それなのにわたし、カイル達にも嫉妬しちゃって…そんな自分が嫌で…私の心がどんどん黒く重くなっていっちゃったの…」


「うん。村の皆が助けてくれるしカイル達もたくさんお手伝いをしてくれてる。皆のお陰で私はここで生活出来ているの。そして、リタが誰よりも私を支えてくれているし、弟妹のお世話をしっかり見てくれるから私は安心していろいろなお仕事が出来ているの。いつも本当にありがとう。感謝しているわ。私だって少し疲れちゃうときもあるけれどね、そんな時にわたしが“おかあさん”でいられるのは、あなたが“お姉ちゃん”でいてくれるからよ」


優香は真剣な表情でまっすぐリタを見つめながらゆっくりと、しかし実直に自分の気持ちを紡ぎリタに伝える。それから優しく微笑むのだった。


「わたし一人じゃ、この家は“家族”になれなかった。あなたが、子どもたちを支えてくれたから、今があるの」


「……ほんとに?」


「ほんと。だからこれからも、いろいろ間違ってもいい。失敗しても大丈夫。私がいる。リタは私にとっても、カイル達にとっても最高のお姉ちゃんなの」


リタの目から、ぽろぽろと涙がこぼれた。


「……ありがとう、優香さん」


優香はそっとリタの頭を抱いた。優しくリタを撫でながら、瞳に涙を浮かべ、それをこぼさないようにこらえながらリタにつぶやいた。


「こちらこそ、ありがとう。わたしの娘になってくれて」


そのぬくもりに包まれて、リタはやっと――やっと、肩の力を抜いた。


***


その夜の野菜たっぷりスープは、リタが味つけをした。

少しだけしょっぱかったけれど、みんな「おいしい」と笑っていた。


それは、ひとつの家族の味になった。


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