止まった歩みの中で
松ノ枝
プロローグ 彼が生まれるよりも前の日
白い家が山奥に佇んでいる。
その家の二階、本が整然と並べられた五段作りの本棚に砂時計が二つ。
この家には夫婦が住んでいる。
家の周囲は人気が無く、街への道は通じているが通る人間は多くない。
日が昇ってから間もなく、砂時計のある部屋を訪れる者がいた。
夫だ。
彼は部屋に入るやいなや窓を開けた。
「山の空気は美味しいな」
目いっぱい息を吸う。三回深呼吸をし、彼は本棚に向かった。
本棚に置かれた砂時計を見に行ったのだ。
本棚の前に来た彼はどこか懐かしむ目をしていた。
「‥‥あの日からもう十年経つのか」
そう呟く彼は妻との出会いを思い出していた。
十年前、彼らは出会った。
「未来は決まっている」
「いや、決まっていない」
二人の男女が講義室で言い合いをしている。
「ミーシャ、いい加減やめなよ」
「ダンテ、そろそろ飯食いに行こう。もう二十分は経ったぜ」
互いの友人が止めに入る。
しかし言い合う両者はその静止を振り切る。
「いや、まだ終われないわ。こいつを言いくるめるまでは」
「ラント、飯は後にしてくれ」
友人はそんな二人を見て、軽くため息をつきながら帰っていった。
「未来が決まっているというのは決定論的考え方よ。そんな考え、決定論の否定で無くなったと思っていたわ」
「それはそうだが、確率的に予測できる未来はあるはずだ」
「それは決まった未来といえるのかしら?」
二人の言い合いは次の講義開始を知らせるベルによって終わりを告げた。
「えっ、もう講義が」
二人は次の講義室に向かって走る。
「これで終わると思うなよ」
「あら、それは負け惜しみかしら?」
雪の降る冬。窓の外は白く、さながら銀世界。
「いらっしゃいませ」
ダンテはスーパーのバイトをしていた。
「立って仕事するのは腰がつらい」
そんな愚痴をこぼしながら仕事を続ける。
すると、どこかからあの女の声が聞こえてきた。
「ここでバイトしてたのな。会うのはあの日以来ね」
「ああ、そうだな。何か用か?」
顔も向けずにそう返す。本当なら今すぐにでもあの日の恨みを込めて言い返してやりたいが、今は仕事中、そうはいかない。
ダンテは喉まで登った思いを飲み込み、冷静に対応する。
「議論なら無理だぞ。見ての通り仕事中」
「そんな事は言われなくても分かってる。今日は少し相談があって」
ミーシャのそんな言葉にダンテは驚きと共に疑問符が浮かんだ。
「何で俺なんだ。相談なら友達がいるだろ。あの講義室に一緒にいた子が」
「あの子には相談できないの。それに私、友達って呼べる人少ないし」
「とにかくあなただけなの、話せる人」
そういうミーシャはあの日と違い、ダンテにはどこか弱弱しい子犬を見ているようだった。
「‥‥分かった。話は聞いてやるよ」
「本当?ありがとう」
彼の知る限り、人生でミーシャを一番可愛いと感じた瞬間だった。
「じゃあ、仕事終わりに駅前で。これ、わたしの電話番号」
ミーシャは去り際に紙を一枚、ダンテに手渡した。
ダンテはその紙を手に持ったまま、仕事の手を止めていた。
「おい、ダンテ。ぼうっとしてるな」
「すいません、すぐやります」
こんな思いは人生史上初めてだった。心臓の鼓動が早い。息が少し荒い。頭の中がぐちゃぐちゃする。この思いが恋と知るのはまだ先のこと。
「すまん。待たせたか」
「いや、時間ぴったり。でも男性ならもう少し早く来て欲しいかな」
ミーシャは冗談半分に言う。しかしダンテは真に受けた。
「分かった。今度からはそうしよう」
ミーシャはそれを聞くと少し笑った。
「冗談よ。真に受けないで良いわ」
ミーシャの心は読めない。そんな風にダンテは思った。
「?どうしたの。私の顔をじろじろ見て」
ダンテはミーシャに指摘され、彼女の顔をずっと見ていたことに気が付いた。
「いや、その‥」
「?」
何か理由を考えなくては。ダンテは頭をフル回転させる。
「‥雪が、顔についている」
苦しまぎれの言い訳だ。しかし言わないよりはマシだった。
「そう。まあ、良いわ。それじゃ、行きましょうか」
「相談は?」
「行き先で話すわ」
二人は近場のショッピングモールに向かった。
冬の街。雪が降り続ける空。風は冷たく、肌を撫でる。
歩いて向かう二人の肩には少し雪が積もっていた。
互いの間には静寂の時が流れている。
そこまで親しくもない仲だ。話す話題どころか相手の名前くらいしか知らない。
先に静寂を破ったのはミーシャだった。
「来てくれてありがとう。実を言うと不安だったの」
「何が?」
「あなたが来てくれるかどうかが」
「相手の頼みを無視するような人間だと思ったのか?」
ダンテは少し不本意だった。確かに話した回数も少なく、互いを良くは知らないが自分を決めつけられるのは嫌だった。
「そうじゃないの。私自身の問題なの」
「お前の?」
「そう。あなたをこうして誘ったけど、少し怖かったの。」
「何が怖かったんだ?」
ダンテは不思議そうに聞いた。
「‥‥私、友達があんまりいないって言ったわよね」
「ああ、スーパーで聞いた」
「理由はいくつかあるけど、私の性格が原因なの。ほら、私って結構相手にきつく言いがちだから」
「そんなわけで誰かに頼み事したり、お喋りしても中々上手くいかないのよ」
ダンテは静かに話を聞く
「それが怖いの」
「誰かと友達になりたい自分がいるのに、相手に強く言って距離を取る自分がいる。仲良くなりたいはずなのに」
ミーシャは少し俯きながら心情を吐露する。人付き合いが上手くない彼女は相手に向ける言葉の加減が思うようにいかない。自分の問題だと分かっているがすぐに問題解決出来るものではない。この事実が彼女から人をより遠のかせる。
今回、相談相手にダンテを選んだのはあの日の議論があったからだろうか。
あの短い時間でミーシャはダンテに不思議と親近感を持っていた。彼になら自分を受け止めてもらえるのではないか、友達になれるのではないかと。しかし自身の性格を知っているがゆえに来てもらえない、そんな考えが彼女に不安を与えていた。
「あなたとも数十分話しただけだし」
聞きに徹していたダンテが口を開く。
「確かに俺たちは仲が良いとは言えない。たかが数十分議論しただけだ」
(やっぱり‥、友達にはなれないか。分かってはいましたが心に‥きますね)
ミーシャは相談に乗ってもらえたことで少し希望を抱いていたが、現実は答えてくれないと感じた。
「それがどうした」
ミーシャはその言葉に驚いた。
「たかが数十分、されど数十分。この時間で相手の事が分からないと言い切れるか?」
「お前は何故俺を相談相手に選んだ?数日前まで話したこともなかった男だ」
「あの日のたった数十分で、俺に何か感じたから頼みにきたんじゃないのか」
「ええ、私と似たところがあると思って頼みました」
「だろ、友達も少ない、人間関係が苦手なお前は初対面だったやつに相談を持ち掛けた」
「お前は本心を相手に話せてるのか」
ミーシャの頭に、殴られたような衝撃が走る。
「俺はあの日、心の底から言葉を出してお前と議論をしてた。お前はそれを感じたんじゃないのか。心を乗せた言葉の力を」
ダンテが喝を入れるが、ミーシャにはやはり一つの悩みが付きまとった。
「でも、人と話すとそうは思ってなくても強く言い返してしまうの」
「なら、俺が相手になってやる」
「えっ」
「人と上手く関係が作れるように俺が手伝ってやる」
「言い返したくなったら言い返せ。ただ強く返すのではなく、上手く言い返せ」
ミーシャは聞く。
「友達になってくれるってこと?」
「そうだ。お前の友達になってやる。まあ、なってやるはちと上からだが」
ミーシャは少し明るさの混じった声で言う。
「‥ありがとう、‥‥ダンテ」
「‥どういたしまして、‥‥ミーシャ」
そうしていると目的のショッピングモールが見えてきた。
モールから漏れ出す明かりは二人を照らし、その光景は彼らの仲を祝福するようだった。
雪が積もる道を歩いて、二人はショッピングモールに着いた。
「‥ところで、相談って何についてだ?」
「誕生日の贈り物についてで」
「誰に?」
「ダンテも知ってるわ。リーシアよ」
「もしかして講義室にいた子か」
「そうよ」
「なるほど。だから俺か」
ミーシャが何故リーシアに相談をしないのか気になっていたが相談内容がリーシアへのプレゼント選びならば納得だ。
「相談したいことは分かったが、俺はリーシアを良く知らん。頼りになるか分からんぞ」
「でしょうね。私が彼女の好みを知ってるからそれを聞いてアドバイスしてほしいの」
「分かった。役立てるよう努力する」
ミーシャは微かに口角を上げながら、プレゼントの選定へと歩みを進めた。そんな彼女を見るダンテは不安を抱えていた。
(プレゼントなんてしたこと無いから勝手が分からん)
ダンテはそんなことを考えていたが、ミーシャもプレゼントなど生まれてこの方初めてだった。
「ダンテ、置いてくぞ」
「えっ」
自分を呼ぶ声に目をやると豆粒のように小さいミーシャがいた。
「ちょっと待ってくれ、置いていくな」
ダンテはミーシャの元へ駆け足で向かった。
プレゼントの経験あるなしなど一人悩んでもどうにもならない。ひとまずは考えるのはよそう。
その後二人は服やバッグなどを見て回ったがどうもリーシアの好みに合いそうなものはなかった。
「本から探してみるか」
「いいですね」
「リーシアはどんなジャンルが好きなんだ?」
その言葉にミーシャは考える。リーシアはどんな本が好きなのかと。
リーシアと本の話はあまりしたことが無く、ジャンルと言われてもこれというのは出てこない
(彼女、本は結構持ってるのよね。被ってないかつ彼女にぴったりのジャンル、何があるかしら)
リーシアの部屋にいった事があるが、天井にまで届くかという大きな本棚に様々な本が綺麗に整列していた。ミーシャは部屋に多くの本があっていいなと思ったのを覚えている。
「あっ、そういえば」
「どうした?」
「リーシアが欲しいと言っていた本があったの」
ミーシャは過去にリーシアが言っていた記憶を辿る。
「確か‥羊が夢を見るかみたいなタイトルだったわ」
「じゃあ探すか」
二人は本屋の中をしらみつぶしに探す。タイトルはぼんやりと思い出せるがジャンルはてんでさっぱりだった。
そうして探していると目当ての本を見つけた。
「羊ではあるが、ほんとにぼんやりだったんだな」
「仕方ないでしょ、昔にちらっと出ただけの名前だったんだから」
ミーシャは本は好きだがあまり他人と本を話題にはしない。本を話題にすれば少なくとも話せる人は増えるだろうに。
「これでプレゼントは買えたな、この後は何かあるか?」
「そうね‥」
ミーシャは少し考え込む様子を見せる。元よりプレゼント選びだけが目的だったので、後のことなど考えていなかった。
顎に手を当て、辺りを見ているとある店が目に入った。
「あそこに行きましょう」
「雑貨屋か、欲しいものでもあるのか」
「特には無いけれど、あなたのいう運命があるかもしれないから」
「それは嫌味か」
「まだ議論に幕を引くつもりは無いわ」
ダンテは厄介な友人を持ってしまったなとどこか嬉しそうに言った。
雑貨屋はこじんまりとし、店内では小さくクラシックがかかっている。
「雑貨屋に初めて来たが、色々あるんだな」
ダンテは興味深そうに売り物の皿を眺めている。ガラスの皿で、青い色が入っていて綺麗だという。
「雑貨屋、読んで字の如くね」
本当に色々なジャンルのものがある。誰が買うんだろうと需要不明なものも含めて。
「何だ、これ?象、いや人か?」
首から上が象になっているような置物も売られている。
「あまり詳しくはないがどこかの国の神様に、このような神がいた気がするな」
インドあたりの国の神だろうか。インドカレーの店には大体いるイメージがある。
「ダンテ、ちょっとこっち来て」
ミーシャの呼ぶ声がする。どこか嬉しそうな声だ。
「どうした?」
呼ばれた先には時計コーナーとでも言おうか、数多くの時計が置かれている。丸形もあれば、中には四角、三角と奇抜なデザインの時計が売られている。
「時計がどうかしたか」
とダンテが尋ねる。時計を見つめる彼女は笑みを浮かべているので、何だか不思議な気持ちだ。
「私と良ければ時計を買わない?」
予想外の提案だった。ダンテにとっては。
「何で時計なんだ?」
ダンテからすれば買うのは構わない。しかし時計と限定されているのが不思議だった。
「あの日、講義室で未来が決まっているかどうかで話し合ったじゃない、だからどちらの意見が正しいのか時計で決めようと思って」
時計で決める。中々面白いなとダンテは思った。彼女は続けて話す。
「時計は人の時間を表すものだと私は思うの。だから今日、あなたと私は二人で時計を買う。そしていつの日か、互いにどちらが正しいと思うかを言うの」
ダンテはミーシャの言葉を聞き終えると、考える間もなく答えた。
「分かった。買おう」
そんな短く答えられるとは思っていなかったのか、ミーシャの顔が少し赤くなる。
「は、早いわね。も、もう少し考えなくていいの?」
「いい、答えは出た、買うさ」
更に顔は赤くなる。何故こうもダンテが即答するのか分からなかった。
「じゃあ、どんな時計にしましょうか」
時計が人の時間、つまり人生を表すのならそれに合った時計を見つけたい。
「こんなのはどうだ」
とダンテがある時計を指さす。
「水時計ねぇ、何か違うかな」
ミーシャとしては液体の水を用いているのは好ポイントだが、デカいのが良く無かった。
「それじゃ、こっちは」
続いて出たのは日時計。太陽の光とその影を用いた時計だ。
「それも違うかな、ダンテはどうなの」
ダンテの意見も聞いてみる。
「自分で出してあれだが、ちょっと原始的すぎる」
だよね、とミーシャは言い、少しばかりため息を吐く。自身のイメージにぴたりはまる物は中々ないのだなと少し弱気になる。
そんな様子のミーシャを見て、ダンテは次こそはと店に並ぶ時計と顔を見合わせる。そうしていると一つ、これだと感じた時計があった。
「「あっ」」
二人の手が砂時計を下に、重なる。ダンテが手を伸ばすと同時に、ミーシャもまた同じくと伸ばしていたのだ。
「同じものを選びましたね」
「そうだな」
二人は手に取った砂時計に目を向けた。同じものを選んだということはこれで決まりを意味するだろう。だが一応意見を聞くことにした。
「異論はないですね?」
「ああ、これにしよう」
二人は砂時計を購入した。いつの日か、講義室で語った話の答えを見つけるために。
これが二人の出会いであった。
十年も前のことを今になって思い返すとは、と懐かしく思ったがこれもこの砂時計のおかげなのだろう。
ダンテの中には、一つの答えが見えている。あの日、砂時計を買ってから自身の未来が大きく変わったと感じている。未来は穏やかで、運命の転機など無いと思っていた自分が未来の流れに期待していると。
ダンテの後ろから物音がする。振り返ると砂時計を手に取り、こちらを見つめるミーシャがいた。
ミーシャの中には、一つの答えが見えている。彼と出会い、この時計を買った日から、心の中に一つの思いが生まれている。未来など予測不能、決定不能の道であると、信じてやまなかった自分がいつしかこの出会いに運命を求めていると。
「あの日の答えを言おうと思う」
「ええ、私も」
「同時に言おうか」
「そうしましょうか」
せいのと声を合わせて二人は言った。
「私は未来が決まっていてほしい」
「俺は未来が未知数であってほしい」
二人の声は静寂に包まれ、消えていく。音が鎮まる時まで二人は黙って見つめ合っていた。
「「ははっ」」
と二人は一緒に笑いだす。
「昔と逆になったな」
「そうね、逆ね」
互いの意見がこの十年で入れ替わったように変わったこと、そのことがどこかおかしくて、笑ってしまった。
「だが、意見は変わっても、俺の中には変わらない思いがある。君と出会った時から」
ダンテはミーシャの目を見て、そう言った。ミーシャも同じく。
「ええ、私も不変の想いはありますよ」
二人は再び微笑み合った。心で通じ合っているというように。愛は二人を繋ぐように。
「そういえば、あなたに報告があるのですよ」
とミーシャが言う。
「何だ?」
このあとのミーシャの言葉に彼は倒れたと聞いている。もちろん嬉しすぎで。
「今度、新しい砂時計を買いましょう」
その砂時計は新たな家族、その生誕を待っている。
止まった歩みの中で 松ノ枝 @yugatyusiark
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