転生先は誰もいない惑星~根っからの文明っ子が、快適さ恋しさに果てなき大自然に挑む~

しゅがれっと

第1話

 あのとき俺が読んでいたのは、言うまでもないが――

『追放された俺が森の奥で無双した件について』である。

 これは実に、泣く子も黙る王道中の王道。Web小説界において“追放”はもはや定食の味噌汁であり、“森の奥”はカレーのルーだ。無双? それはもう福神漬けくらいには当然である。


 そして俺は、そういう作品を、布団の中で、日差しも差さぬ暗がりの中で、スマホの明かりだけを頼りに読んでいた。


 読んでは思う。「いやいや、これはさすがにやりすぎだろ」と。

 しかし三行後には「うお、またレベルが上がった!」とテンションを上げている。

 俺の人生で唯一、脳が活性化するのがこの時間帯だ。夜更けのWeb小説、栄養はゼロだが幸福度はMAX。そういう生活をしている。


 つまり俺は、“何者でもない”ことにすこぶる長けた人間である。


 ところが、その日ポストに届いていた封筒がすべてを台無しにした。

 名前もロゴも見たことのない、変な光沢のある茶封筒。

 宛名の字がやけに整っていて、宛先には俺の名前。手書きで。なぜ手書き。令和ですよ。


 中身は一枚の紙。


「あなたは人類代表候補生に選ばれました」


 以上。たったそれだけ。説明ゼロ。質問の余地もない潔さ。

 思わず笑ってしまった。ひとまず、これは詐欺だ。

 そう断定した上で、机の上に置いて放置した。なにせ俺はいま、森の奥で無双している最中なのである。


 だが翌朝、テレビをつけると笑えないことになっていた。


 画面の中のキャスターが、満面の笑顔で言った。


「ついに選ばれました! 人類代表候補生が! 第一陣が!」


 後ろでは銀色のロケットらしきCGがキラキラ光っている。

 “地球外移民計画、始動!”というタイトルのテロップ。

 その下の文字列に、見覚えのある名前――俺の名前――が、ご丁寧に“候補生一覧”として流れていた。


 あまりの出来事に、思わずチンしたカレーパンを床に落とした。


 念のため、SNSを開くと地獄だった。


「候補生に選ばれたって人、謎すぎない?」「情報なさすぎて逆に気になる」

「陰キャっぽい」「出てこないの怖すぎ」「この人の名前ググっても何も出てこない」

 ……いや出るわけないだろう。なぜなら俺は、何もしてないからだ。何もしていないのだ。


 候補生たちは誰一人として表に出なかった。正確には、出られなかったのかもしれない。皆、俺と同じように「なぜ俺が?」の疑問を抱き、布団の中で震えていたのかもしれない。


 問題は翌日だ。例の封筒が、また来たのである。再び茶色、再び手書き、再び無意味な光沢。開けてみれば、やはり紙一枚。

 そしてそこには――「試験日:四月十日 場所:送付地に準ず」と書かれていた。準ずるとは何だ。なぜ俺は、突如として「試される側」になっているのか。


 だが俺は悟っていた。こういうとき、拒否を許さぬ力が働いているということを。

 なにせ昨日からずっと、隣家の猫が俺を睨んでいる。目を細めて、まるで「君もいよいよだね」と言いたげに。


 そして俺は今、東京湾を一望する奇怪な人工島に立っている。


 ホール奥の壇上に現れたのは、企業の人間と思しき黒スーツ軍団。無駄に肩幅が広く、目の奥が死んでいる。説明は一切なく、ただひたすらに「我々は真剣です」という空気だけが伝わってくる。


 この時点で既に、いろいろとおかしいのだが、さらに輪をかけておかしいのが“他の候補生”たちである。


 まず、隣に立つ男――身長は二メートル近く、肌は銅像のように金属質で、どう見ても一度くらい地球を守った経験がある顔つきをしている。彼の視線は常に遠くの戦場を見つめている。もちろん、今ここに戦場など存在しない。だが彼は見ている。見えているのだ。人類代表候補の風格が、すでに名前を名乗る前から漏れ出していた。


 その隣の青年はどうだ。冷たい蒼い瞳に、整いすぎて不安になる顔面偏差値。背中に背負ったのは、鞘に収まった日本刀。和洋折衷もここまで来ると様式美である。彼はきっと何かの復讐者だ。そして、彼の背後には無言で佇む、なぜか大臣級の警護を連れてきた少女(IQが限界突破してるらしい)


 さらに左隣には、常にタブレットを操作しながらブツブツ独り言を繰り返すおじさんがいた。「このシチュ、明らかに三章の山場だよな……俺なら逆張りする……いやあえて王道か……」と呟き続けている。完全に“書き手側”の人間である。つまるところ、危険人物。


 そして、そのおじさんの隣にいるのが、異様に姿勢の良い少女。黒髪ロングで目が据わっている。「“人類代表”という役割、なかなかロマンがありますね」と呟いた。言葉の端々に“推しカプの正義”みたいな香りが漂っている。たぶん考察班か、SS書き。やはり危険人物。


 その中で俺は――ワークマンのパーカー姿で、おにぎりを食べていた。具はツナマヨ。やっぱり王道が一番だ。だが、ここにおいてはその“王道”さえも軽んじられる。なぜなら、周囲は全員“物語のラスボスを倒した後”みたいな顔をしていたからだ。


 さて、そんな混沌に拍車をかけるのが、試験の主催者(株式会社エクソダス・イニシアティブ)。まず社名が怪しい。しかもそのビルが、天井吹き抜けの構造で、どう見ても「悪の組織の拠点」みたいな形状をしている。なぜ人類の希望を語る施設が、ドクロの意匠を含んでいるのか。建築家は何を思ったのか。


 空気は張り詰め、黒服の軍団は微動だにせず、候補生たちはそれぞれの“能力値の高さ”を全身で発している。いよいよ第一試験の開始か、と思われたそのとき――


 流れが、華やかに裏切られた。


 扉が開いた。高らかに。遅れて春風が吹き込んだ。風の中に、一歩、また一歩と現れたその人物。


 ――とんでもない女が現れたのである。


 その顔ひとつで二十四話分の伏線を張り、三部作の主役すら霞む美貌だった。肌は冬の夜気をまとったように透き通り、完璧な曲線で編まれたシルエットは、彫刻家が迷いながら仕上げた最終系。咲き誇る花よりも、咲こうとする前の静けさを纏い、媚びを知らぬまなざしが、ただ“選ぶ者”の気配を滲ませていた。


 彼女が一歩歩くだけで、会場の空気が塗り替えられる。


 黒服たちは硬直。筋肉戦士も刀男も、天才少女も、ブツブツおじさんも、考察SS少女も――皆、一様に黙った。まるで全員が、「あ、これはヤバいやつだ」と本能で察知したように。


 俺も察した。これは明らかに――代表取締役である。


 年齢はどう見ても二十歳そこら。だが纏うオーラは、七代前の王族でも跪きそうな凄みを持っていた。まるで“神話から直輸入された生き物”。言うなれば、“人類代表選抜株式会社”というクソみたいな組織において、唯一神格化された“運営”そのもの。


 彼女は人々の間を抜け、そのまま一直線にこちらに向かってきた。


 まさか自分が“接触対象”だとは思わない。なぜなら俺は、何者でもない。パーカーでツナマヨおにぎりを食ってるだけの男である。


 ――だが彼女は、まっすぐに、俺の前で立ち止まり、言った。


「君にするわ」


 ……え? 婚活か? と思ったが、その一瞬で手を取られていた。温度があった。信じられないくらい、ちゃんと体温のある手だった。


俺は抗う間もなく、会場を引きずられていった。


 筋肉も、刀も、天才も、誰も止めない。ただ、死んだような目でこちらを見送るだけ。


 彼女の足取りはあまりにも堂々としていて、周囲の黒服たちは目を逸らすどころか、むしろ「当然のことが起きている」とでも言いたげな空気を発していた。ある者は深く頷き、ある者は敬礼のような仕草すら見せる。 


 あれは、全員が「自分の判断で止めてはいけない」と本能で察した顔だ。もはや組織というより、宗教のような雰囲気。神託に抗う者など、最初から存在しないのだ。


 彼女の引くまま、ホールの奥の壇上に上った。


 ――宇宙船。


 間違いなく、これは宇宙に行くための機械である。メタリックな外装。SF映画の美術班が全力で仕事したような内部構造。端的に言って、地球にあるべきものではない。


「乗って。君と二人で行くの」


 彼女はそう言って、先に乗り込んだ。


「――発進3秒前、2秒前、1秒前、発進!」


 眩い光とともに轟音が宇宙船の底から湧き上がった。ブォン……と船体が震え、次の瞬間、俺はシートに深く押し付けられ、握りしめたツナマヨおにぎりからマヨネーズがじゅわりと染み出していくのを感じた。おそらく宇宙へ旅立つ瞬間に米粒を撒き散らした乗組員は史上初ではないだろうか。しかし俺は今まさにその快挙を成し遂げつつあった。


 彼女は黙っていた。黙ったまま、まっすぐに窓を見ていた。

 その横顔に、なぜか“信仰のかたち”を見た。

 尊きかな、美しきかな──代表取締役。


 艶やかにして、清冽。女神とはこのようにして地上に降り立ち、民草を選別し、次なる天地へ導くのだと。俺はただ、その背中を追いかける。疑うことなく。


 宇宙船が空を裂いていく。俺たち二人を乗せて。


 島の地面が遠ざかっていく。下では誰も手を振らない。ただ、無数の人工灯と光るパネルが“演出”としての拍手を送っていた。


「……ねえ」


「うん」


「さっきの候補生たち、見た?」


「ん、ああ……なんか、ヤバそうだった」


「あれ、全部偽物よ」


「……は?」


「ほら、わかるじゃない。あの“設定盛ってます感”」


「いや、でも実力ありそうだったけど」


「違うわ。最初から完成してるのは、作者が成長を描く気がない証拠。つまり、あれは“終わったキャラ”なのよ」


 唐突な論理展開に俺の思考がブレーキをかけた。


 だが彼女は止まらない。


「あの筋肉の彼、どう見ても“俺、主人公です”って言ってる顔だったし。

 刀を持った青年も、“悲しい過去がある僕を見て”って言ってた。うるさいわよね、背中が」


「そう、なの……?」


「天才の子は優秀。でも“選ばれる者”って“余白”がいるのよ。あの子には余白がなかった。読み疲れるタイプ」


「読み……?」


「で、タブレット持ってたあのおじさん。あれは“書き手”。脳内で物語が勝手に回ってる。現実と混ざってる。危ない」


「お、おう……」


 たしかに言ってることは一理ある。でも……なんだこの口調。


「あと、あのSS書いてそうな女の子、絶対“裏切る役”って顔してた」


 ぞわり、と背中が粟立つ。


 ……この感じ。


 この調子、この断言、この説得力のなさを勢いで押し切る姿勢……俺、知ってる。深夜三時のWeb小説感想欄で見たことある。


「でも、なんでそんなこと言い切れるんだ?」


「第六感」


「ざっくりだな」


 彼女はさらっと言い放ち、そしてパネルの前に立った。光る操作盤に手をかざし、なにかを――押した。いや、押そうとした。タッチの角度が、あまりに不自然だ。


 そして、宇宙船は、揺れた。

 思い切り、揺れた。


「ちょ、待て、今のなんだ!?」


「……たぶん、発進シーケンス」


「“たぶん”って! おい、まさかお前」


「操縦方法、よく知らないのよね」


「知 ら な い の か よ !?」


 俺は目を見開いた。

 光の粒子が加速し、機体はゆっくりと大気圏を抜け始めている。重力が抜けて、身体がふわりと浮いた。もう止まらない。完全に宇宙へ向かっている。


「なんで知らないのに乗ったんだよ!」


「だって、あの空気。皆がなんか……私のこと崇拝してる感じだったでしょ?」


「いや、それはまあ……でも!」


「自然と壇上に上がってたの。誰も止めないし、ちょっと乗ったら、誰も降りろって言わないし……」


「流れで!?」


「流れで」


「……」


 正直、彼女もよくわかっていなかったのかもしれない。ただ周囲が何も言わず、むしろ“ありがたい何か”を見るような目で見つめてくるから、自分でも「そういう役なんだ」と錯覚してしまったのだろう。


 俺はすべてを悟った。


 この女は代表取締役なんかじゃない。


 ただの一般人。

 Web小説を夜な夜な読んで、“こいつの成長遅すぎw”とか書き込むあの界隈の住人だ。


 つまり、俺と同じ穴の狢。


「……お前、深夜三時組だな?」


「うん。あと、明け方四時組にも片足突っ込んでる」


 俺は脱力した。


 人類代表の座を賭けた壮大な選抜――と思っていたそれが、気づけば深夜のノリだけで宇宙に飛び立っている二人組の話になっていた。

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