第2話 How to Fish ?

 ゲームというものがある。この場合は電子的なTVゲームでも将棋や囲碁といったボードゲームでもあるいはルールを決めて行われるスポーツの試合ゲームでもいい。これら全てに共通するものはなんだろうか?

 一つ確実に言えることがある。それは、ゲームのプレイヤーに対してなんらかの仮想的なリスクが設定されるということだ。勇者の死でも王将の討ち死にでもなんでもいいが、とにかくプレイヤーに対してはなんらかの仮のリスクが置かれる。人間はそれを信じた上でゲームをプレイする事が求められる。


 そこで、僕だ。僕はどんなゲームをもプレイすることが出来ない。理由は簡単だ。からだ。人生はゲームだなんて言い回しもあったが(ふざけた言葉だろう)、僕にはそれすら「プレイ」できない感覚があった。なぜなら、僕には自分にとっての究極的なリスクというものがまるで理解できていないからだ。



     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 日曜日、僕は朝早く目が覚めた。さあさあと降り注ぐ朝の日差しが眩しい。寝起き特有のぼんやりした頭で僕は自分の記憶を読み込んでいき、今自分がどこにいるのかを思い出す。

 ここは僕のアパートの部屋で、室内面積はかなり狭い。家賃もそれに比例する感じで結構安い。僕はいい寝床を見つけたと言うべきだろう。

 部屋の中を舞う細かい埃が窓からの光できらきらと輝いて光の道を作っている。僕は昨日あった事を思い出していた。


「馬鹿みたいだよなあ…」

 暴漢に絡まれていた自称推理小説家の女性、助けるために痛い目にあった僕、そしてこの街で起きているという殺人事件。僕の頭の中にはこれらの記憶が無秩序に配置されていた。さて、これらの出来事は僕の人生にどのような影響を与えるか?


「もちろん評価不能。意味があるかもしれないしないかもしれない。そうだろうね」

 僕はパイプベッドから身を起こして一人でうんうんとうなずく。分かりやすいイベントの一つや二つは僕の人生にも起きるだろう。でもそれは川に投げ込んだ石の波紋のようにすぐに消えて無くなるものである可能性も充分ある。僕は人生に介在するある種ののようなものを考えていた。突飛な出来事の一つ二つではそれを変えることはできないという事は、僕によってほとんど本能的に理解されていた。


 うーんと背筋を伸ばして体を軽くストレッチする。まだ寝起きの頭で僕はなんとなくこのアパートに住む隣人たちについて考えていた。

 まず右隣の部屋に住むご老人。彼はどことなく隠者風の人で、いつも難しい顔をしている。身だしなみは割といつもちゃんとしている人だが、何か悩み事か考え事が常にあるといった雰囲気を漂わせている感じの方だ。そのさらに隣に住むのは女子大生。僕の志望大学(一応)に一足先に入学した方で、来年合格出来れば僕の先輩ということになるのだろうか。さらにまたその隣に住むのは謎のお兄さんで、何の仕事をして何の活動をしているのかまるで分からない人だ。全然口は聞いてくれないが、顔は良く見ると結構なイケメンで、何か訳ありの人なんだろうなという印象を受けた。


「さてと、今日やることは…。そう、少なくとも一つはあったな」


 昼前、僕はアパートの部屋から出た。今回は行く当てのない散歩ではない。僕は日影の小道を抜けて、五条大通りに出た。埃っぽい風と割と強い太陽光に晒されながら歩く。

 僕の目的地は書店だ。昨日知り会った金髪の女性もとい自称推理小説家の謎のお姉さんもといヤナギさんは、自分は商業デビューしてるプロの小説家で本屋に自作が並んでいる人間だと胸を張って主張していた。それが事実なのかを確かめに行くのだ。


「暑いなあしかし…まだ5月だぞ…」

 文句を垂れながら歩く。と、携帯に着信音が鳴った。名前を見て驚いた。ヤナギさんではないか。実は昨日彼女は僕と連絡先を交換することを提案していた。

 『私はね、この連続殺人事件から凄く大きなインスピレーションを得られそうな気がしてるんだ。だからさ、君も私の役に立って欲しい。初対面で言うのもなんだけどさ、君、凄く変わってる子じゃん。ある意味かなり私の世界観に合致しそうなんだよ』

 ……要するに僕を小説のタネにしたいという事だろうか?かなりアレな事を言われてる気もしたし、「だから」って何だよと思ったが、僕は断ることなく連絡先の交換に応じてしまった。ヤナギさんの何が僕をそんなに惹きつけたのかは分からない。

 …僕は5秒ほど迷ってから応答ボタンを押した。スマホ越しから女の人の声が聞こえる。

「はーい、もしもし〜。昨日はありがとうね〜フセくん。その後どうですかね?」

「どうですかなと言われても…普通ですよ、普通。なんで昨日の今日で急に電話かけてきたんですか」

 僕はぶっきらぼうな態度で答える。失礼かなと思ったけど相手も相当に変な人(当社比)だ。気にすまい。

「うん、実は私も用事というほどのことはないんだよ。なかなか原稿が進まないから、気分転換に昨日会った君に電話でもかけてみようと思ったのさ。君みたいな変わった子が昼間なにしてるのか聞いてみたらアイデアになるかもしれないと思ってさ」

「……実は本屋に行こうと思ってました。あなたが本当に小説家なのか確かめるために」

 相手がスマホ越しに笑うのが聞こえた。からからとした明るい笑い方だ。

「そっかそっか、そういうことね。君が疑うのも無理はないよね。でも大丈夫だよ。ちょっと大きい書店に行けば、普通に私の本は置いてると思う。こう見えても有名な賞を取った新進気鋭の売れっ子作家ですからね〜。そいじゃまた」

 喋るだけ喋って一方的に切ってしまった。どこまでも自由、というか箍が外れた人だった。

「なんなんだよいったい…」

 僕は呆れて呟いた。が、同時に僕の心はやはりどこかはずんでいた。


 目指す書店についた。4階建の立派な建物の1階を占める、カフェが一体化してくっついているタイプの本屋だ。カフェゾーンには行かず、迷わずミステリの棚に向かう。そういえばペンネームも「ヤナギ」で良いんだろうか。ちゃんと聞いておけばよかった。

 あっさり見つかった。ミステリコーナーに平積みで彼女の本は置かれていたのだ。筆名も思いっきり「ヤナギ」でそのままだ。

「どれどれ……『エルケーニヒ賞受賞作!新時代の才能に刮目せよ!雪山で発生した密室殺人と二人の死体、天才たちの頭脳バトル、限界伝奇推理小説!!』なんだこりゃ…」

 僕は帯の紹介文をそのまま読んで呆れる。ヤナギさんは確かにその才能を文壇で認められているようだった。本のタイトルは、

『血しぶきリンカーネイション ─不可知の悪魔と雪山殺人─』

 だった。凄いタイトルの本だ。僕はぱらぱらと本をめくってみる。

「うん、まあ…良く分かんないな……」

 僕は普段ミステリはあまり読まない。例えば僕がここ最近読んだ中でギリギリミステリっぽくもなくもない小説は『罪と罰』ぐらいだろうか。あれをミステリ呼ばわりするのはドストエフスキーのファンに怒られそうだけど。まあ殺人事件を取り扱ってたらなんでもミステリなのだ、多分。

 そのぐらいの解像度のミステリ理解しかない僕なので、当然パラ読みするぐらいではヤナギさんの書いた小説のトリックやら伏線やらまでは分からない。ただ、やたらとエキセントリックなキャラクターが沢山登場するお話で、ああなるほどあの人はのが好きなんだなというのは理解できた。

「つまらないってほどでもないけど…うーん、とりあえず保留だな」

 僕は一方的に評価をつけて一人で納得する。


 書店から出た僕は目の前の道を猛スピードでパトカーが4台駆け抜けていくのを目撃した。なんだか尋常な雰囲気ではない。もしかしたら「アレ」だろうか。ヤナギさんが言っていた連続殺人事件。


 その事件については、ネットニュースで簡単に調べる事が出来た。ここ京都で現在まで一ヶ月以上にわたり連続して起きている一般市民のランダム(そう見える)な殺人事件。被害者は既に4人にのぼっており、年齢、性別、職業などそれぞれの被害者の属性は非常にばらけている。手口は全て鋭利な刃物を用いたと見られる刺殺、斬殺の類であり、マスコミでは同一犯との見方が強い。既に4件目だというのに警察は現在のところ何も犯人につながる有力な手掛かりを見つけることが出来ていない。

「まるで悪霊の仕業だよな…」

 そういえばドストエフスキーには『悪霊』という作品もあったっけ。まあこの場合は関係ないが。

 さて、これからどうしよう。日曜日はバイトもなく僕は暇だ。言い換えれば、徹底して無為に過ごす事が推奨される時間でもある。

「…とりあえず映画でも見に行こうかな」

 時間はたっぷりとあり、考える事もまた沢山あった。選択と干渉が徹底的に苦手な僕は埃っぽい道を歩いて最寄り駅の方に向かっていった。


     

     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 この世界は閉じられている。僕がそう思い始めたのはいつからだっただろうか。ごく最近の事のような気もするし、もっと昔からそんな感覚を持っていたような気もする。

 例えば僕は今自分が見ている風景を書き割りのように認識してしまう。そこからは現実感というものが決定的に欠落している。理由は分からないが、「そうなっている」としか言いようがないのだ。世界から現実感が消えてしまったのはいつからだろう。そしてその原因はなんだったのだろう。今さら考えても仕方がない事だけど、少なくとも僕はと共に生きる事を強いられているし、これからもそれは変わらないだろう。ある意味、僕の人生というものは既に、完膚なきまでにとして形作られてしまっていた。



     ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 僕は映画館を出た。見たのは戦国時代を舞台にした時代もので、可もなく不可もなくといったところの作品だった。それなりにテーマ性は感じられたけど役者の演技も展開も微妙に不完全燃焼な感じがした。監督には次から頑張っていただきたい。


 僕はJRに乗り、駅から降りて自分のアパートに向かって歩いていった。夕方からの映画だったので時刻は既に午後9時半ぐらいだ。人通りはそれなりにあるけどここらへんはそこまで観光客もおらず、比較的静かな感じだ。自分のアパートにつく。……と、踊り場のところで誰かが倒れている。酔いつぶれているようだ。


 倒れていたのが誰かはすぐに分かった。僕の二つ隣の部屋に住んでいる女子大生の安生機子あんじょうきこさんだ。大学のサークルの飲み会かなんかの帰りだろうか。放っておこうかとも思ったけど、このまま放置して急性アルコール中毒で亡くなられでもしたら寝覚めが悪い。僕は救急車を呼ぼうとした。

「……待って」

「うわっ」 

 びっくりした。倒れていた安生さんが起き上がって、僕の腕をつかんでいた。

「大丈夫…救急車は大丈夫らから…ちゃんと起きらへる…」

 ろれつが回ってない。やっぱり救急車が正解なんじゃないかと思ったけど、安生さんは傍らに置いてあった天然水のペットボトルをごきゅごきゅと飲むと、ひと息ついた。

「ふぁー、生き返ったよ…介抱してくれてありがとねフセくん…」

 いや、僕は何もしてません。…生き返ったというものの安生さんの両目は焦点が合っておらず、体もふらふらしている。

「…ごめん、やっぱりまだ歩けないや…ごめん、ほんとに悪いけど私の部屋のとこまでおんぶしてってくれる?」

「えっ…?」

 ま、待て。この状況は少し…少しあれだ。ちょっとまずいんじゃないでしょうか。少なくとも僕はこういう状況に慣れていない。


 とは言うものの、僕は彼女の要請通り安生さんを背中におぶって階段を上がっていた。…結構重い。安生さんが重いというより、人間1人分の重さを僕が甘く見ていただけだろう。

 なんとか安生さんの部屋の前までついた。日頃筋トレをしていたのが思わぬ役に立った感じだ。

「はい、着きましたよ。もう降ろしてもいいですか?」

 彼女は何も言わずに僕の背中から降りた。酒の酔いで顔がだいぶ赤くなっている。アルコールのせいか潤んだ目で言う。

「フセくん、マジでありがとうね…せっかくだし中入ってきなよ。飲み物でも飲んでいって」

 ………人の誘いを断るのは苦手だ。


 安生さんの部屋は僕の部屋と大して変わらない広さだが、僕の部屋よりも断然片付いていて家具や小物も充実していた。言われるままに毛の長いカーペットの上に座る。安生さんがコーラを出してくれた。

「あのー、僕の記憶が正しければ安生さんって大学生だけど僕と同い年ですよね?アルコール飲んで大丈夫なんですか?」

 大丈夫な訳がない。お酒は二十歳になってから。

「んー?君ってそんな事気にするタイプだったの?めちゃめちゃ細かいじゃん」

 そういう問題だろうか…。僕は人より真面目くんなのかもしれない、と珍しく自省をした。

「にしても、飲み過ぎですよ…飲み会かなんかだったんですか?」

 安生さんはちゃぶ台を挟んで僕の向こう側に座り、少しばつが悪そうに目を伏せた。ややあって答える。

「実は今日ね、同じ大学の男の子と二人で飲みに行ってたんだ」 

 おお、それはいわゆるデートというやつだろうか。

「でさ、私はその男の子の事が好きだったから、帰り道でその人に告白したんだよ。したらさ、なんて言ったと思う?」

「……分かんないな」

「『君は僕みたいな人間の人生に関わるべきじゃない、君一人で幸せに生きるべきだ』とかなんとか言ってきたんだよ!もうさ、意味不明じゃない!?なんなの?文学青年なのあんたはっ!!人間失格かよ!!!」

 僕に言われても困るが、まあ相当面倒くさそうな男なのは間違いない。ある意味振られて正解だったのじゃないだろうか。

「なるほど…それでやけになって帰り道に更に酒を飲んであれほど泥酔してたと」

「う、うん。まあそんな感じ。…ごめんね、迷惑かけちゃって」

 まあ、若いうちの失敗と無茶は成長の糧でもあるだろう。僕としては急性アルコール中毒にさえ気をつけてくれれば特に言う事はない。コーラも飲み終わったし(ちなみに僕は炭酸飲料は苦手だが、人が厚意で出してくれたものなのでちゃんと飲んだ)僕は腰を上げて帰ろうとした。

「そいじゃ、僕はこれで。…あと、二十歳になるまでお酒は飲まない方が良いと思うよ」

 大学にチクるぞ!とまでは言わなかった。

「えっ…あっもう帰っちゃうの?」

「?…うん、帰るって言っても隣の隣だけど」

「あっそうだよね…いやそういう事じゃなくてさ…」

 どういう事なんだろう。どうやら何か僕に言いたいことがあるようだ。少しもじもじしてから意を決したように言う安生さん。

「布施くんさ…明日、私の大学に一緒に来てくれない?」



 僕は自分の部屋に戻ってきた。安生さんの匂いが染み付いていた服(おんぶしてたので)を脱ぎ捨てて部屋着に着替え、パイプベッドに横になる。さっき安生さんに言われたことを思い起こす。


『明日、私の大学に一緒に来てくれない?もちろん用事とかなくて時間あったらで良いんだけど』

『え…?』

 急に何を言い出すんだ、このヒトは。安生さんは天下御免の大学生だから良いようなものの、僕はしがない浪人生の身であり、神聖なるアカデミアの門をくぐる資格などは──。いや、そんな冗談はさておくとしても。

『いや、なんで?明日はバイトもないし暇だけどさ、いきなりそんな事言われても…』

『え?嫌なの?』

 心底不思議そうに小首をかしげる安生さん。

『いや、嫌とかじゃなくて──とりあえず理由を教えてくれないかな?そうじゃないと諾とも否とも言えない』

 こほんと咳払いをして理由を説明する安生さん。

『あのさ、今日私を振った男の子…波戸四郎はとしろうくんって言うんだけど、その子と私は基本的に講義全部被ってるんだよ。自分を振ったばっかの男と次の日から顔合わせないといけないの地獄じゃない?』

『ま、まあ…。それはそうかもだけど。でもなんで僕が?』

『一人で大学行って波戸はとくんと顔合わせなきゃいけないのがやなの!布施くんがいたら、なんか心細くなさそうだから、それで一緒に来て欲しいの!大丈夫だようちの大学はオープンなとこだしさ、学生数多いから紛れ込んでもバレないよ』

『……』

 そんなこんなで押し切られる感じで僕は明日彼女が通う私立宿命館大学に同行することになってしまった。


「全く…なんて日だ」

 僕はごろごろとベッドの上で転がる。なんだかここ最近エキセントリックな女性に振り回される事が多くなったようだ。今年はそういう年なのだろうか。それとも僕がそういう星のもとに生まれてきているのだろうか。

「まあいいや…明日のことは明日考えよう」

 もう眠いし。携帯を開けてヤナギさんに今日あった事を話してやろうかと思ったけど、面倒くさかったので僕はそのまま電気を消して眠りについた。そう、明日出来ることを今日やる必要はないのだ。……多分。



              ──つづく






 



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