第17話 勉強しよう
「晴ちゃんって眼鏡かけるんだ」
「勉強や読書の時だけですね。疲労軽減用です」
「似合ってると思うな」
知性的な雰囲気の晴ちゃんも良い。普段から大人びてるけど、眼鏡をかけるとまさに大人の女性って感じだ。
「そうですか。それよりも試験範囲を詳しく教えてくれませんか?」
「……なんか晴ちゃん厳しくない?」
褒めたのにさらりと流された。目つきもなんだか厳しい感じがする。
「仕事として請け負いましたので、成績の向上が私のやるべきことです。心を鬼にして、厳しく接するかもしれませんが許してください」
「……思ってたのと違う。晴ちゃんなら優しく教えてくれると思ったのに」
楽をしようとまでは思ってないけど、楽しく勉強できるかなと期待はしてた。
「司さんからもお願いされてますので、優しさは捨てしっかりと教えます」
「……そこまで張り切らなくてもいいのに」
何故こんなことになっているのか。
それは晴ちゃんに勉強を教えてもらうことになったからだ。
近々定期テストがあるので試験勉強を始めることにしたのだけど、今回もいつものように苦戦してた。 私の成績は平均すれば悪くはないけど、良くもない。完全な文系で理数系が足を引っ張ってる。
特に数学、この科目に関しては、自力では赤点回避が関の山だと思う。誰かに教えて欲しい。
だからこそ、去年まで高校生であった彼女にお願いした。
噂では勉強はできる方だと聞いてたし、それに2年生の範囲であれば問題ないはずだ。もし知っている先生であれば、出題の傾向などもわかるかもしれない。
晴ちゃんは「私なんかで良ければ」と快諾してくれた。
ただ朝から晩まで家政婦として働いてるので、一緒にいられるまとまった時間を捻出するのが難しいかもしれないとこぼしてた。
そこで、本来であれば業務の範囲外ではある家庭教師を、司さんへお願いして業務内に入れさせてもらう。これで夜にまとまった時間を取ることが出来るようになった。
そして今晩ついに勉強を教えてもらえるタイミングが出来たので、晴ちゃんを部屋に呼んだ。
床置きのミニテーブルに教科書とノートを出して準備する。肩を寄せ合って勉強したいから、隣に座ってくれないかななんて考えたのだけど……
当然のように彼女は机を挟んで対面に座っている。宣言の通り甘くはないようだ。
なら私もより一層真剣に取り組むべきだろう。もともとふざけるつもりは無かったが、晴ちゃんの覚悟に応え全力で取り組もう。
「公式は丸暗記でもいいですが、何故そうなるのかまで理解した方が応用がききます。教科書に公式の意味が書いている場合は目を通しておきましょう」
「はい!」
あっ、晴ちゃんが髪をかきあげてる。その耳にかける所作、ドキッとするし形のいい耳が見えるようになるからもっとして欲しいな。でも白い首筋までも見せつけるのは、ちょっとけしからんと思うよ。
「まずはこの教科書の例題を解いてみましょう」
「はい!」
あっ、今度は眼鏡の位置を直してる。つけ慣れてないからか、位置を直すしぐさがたどたどしい。両手で顔を挟むようにして眼鏡のつるに触れ、押し上げてる。仕草が子供っぽくて可愛いね。
「この先生は毎年教科書からの出題が多いので、巻末の応用問題までやっておきましょう」
「はい!」
あっ、悩んでるときってそんな癖があるんだ。緩く握った拳の人差し指、その第二関節で唇を下から持ち上げる動作。薄紅色の下唇が指によって形を変える。綺麗でふっくらと柔らかそうな曲線が、硬い関節の部分によって歪んでいくのは逆に美しくさえ感じる。
「授業中にとったノートも見返しましょう。あの先生は出す問題をよく教えてくれたはずです。心当たりはありませんか?」
「はい!」
「……手は止めていませんが、どこか身が入っていないように感じるのは、気のせいですかね?」
「とても集中してるよ」
「ならいいです」
そうして順調に私の勉強は進んでいった。
問題で躓くたびに、横からヒントをだしたりサポートしてくれるのでスムーズだ。
一人で勉強しているときに障害となるのが悩む時間である。時間をかけすぎても他に手が回らなくなるし、必ず解決するわけでもない。それが無くなるのはストレスにもならずやる気も出た。
他に気を取られる瞬間はあっても、集中してるのは確かである。
そうして2時間弱経過した時の事だった。
「あっつ……」
晴ちゃんが人差し指を紙で切った。
私がノートで問題を解いてる際に、次の範囲を確認していた教科書で切ってしまっていた。
深くはないのか、血は切り口にそって赤い線になる程度。それ以上溢れてくることも無い。量にしたら一滴もないだろう。
だがやはり私達は本能を刺激されるのか、つい凝視してしまう。
問題を解く手が止まる。いや全身が硬直した。
「私の不注意でもありますが、集中が途切れてしまったようですね」
晴ちゃんが困ったように苦笑していた。
そんなことないよと口に出そうとしたが、よく考えればそんなことはあった。その通りだ、これは晴ちゃんが悪い。
「そ、そうだよ。先生に勉強の妨害をされました!」
「ふふっ……すいません。では責任を取らせてもらいます。こちらを向いてください」
そう言って、人差し指を私の唇へ押し付けてきた。そのまま優しく口内まで潜り込んでくる。
「そろそろ休憩してもいい時間です。ここまで頑張ったご褒美というにはささやかですかね?」
私は指が抜けないように気をつけながら首を横に振った。今は話せない。
しゃべるためには、指を舐めている舌を離さなければならない。それは流石にもったいない。舌で指をなぞり、軽く吸ったりして味わう。
しかし折角のご褒美を堪能していたのだけど、残念ながら傷は浅かった。すぐに血は止まり味はしなくなる。
それでも未練がましく舐めていたけど、すぐに察した晴ちゃんは指を引き抜いた。
「はい、お仕舞です。これでまた続きを頑張れますか?」
「……この後もご褒美を用意してくれるなら」
「残念ですが本日は品切れです」
「じゃあ頑張れないかも」
一度ご褒美を知ってしまったら、人は二度目を望んでしまうものだと思う。
「では何か考えておきます。……それにしても、千鈴さんは指を吸うのが好きですね」
「わ、私?」
それに関しては異論を唱えさせてもらう。
「私じゃないよ。前回も晴ちゃんが舐めさせてきたはず!」
にわかに膝立ちになって抗議した。だけどその際に手の甲に痛みが走る。
「っつ!」
「どうしました?」
どうやら私も紙で切ってしまったようだ。手を勢いよく持ち上げたせいでノートの端に引っかかってしまった。
「千鈴さんっ、大丈夫ですか!? ち、血が出てますね……。今、救急箱をお持ちしますので傷口を抑えておいて下さいっ」
私よりも晴ちゃんの方が慌てている。痛みで驚きはしたけど、これくらいなら大したことはないと思う。
「大丈夫じゃないかな。晴ちゃんのと同じくらい浅いし、放っておいてもいいと思うけど」
「わ、私のは千鈴さんが治してくれましたので……」
少し動揺してる晴ちゃんが可愛い。
……先ほど血を舐めたからかはわからないけど、そんな彼女に悪戯したくなってくる。ちょっとだけからかってみたい。
「じゃあさ、晴ちゃんも私の血を止めてくれる?」
手を持ち上げ、傷口を彼女の目の前までもっていった。
勿論冗談だ。何を言ってるんですかと怒られてもいいし、そんなこと出来ないと驚かれるのもいい。反応を見てみたいだけの些細な悪戯。
だけど第三の選択肢は考えていなかった。
「失礼します」
「……? うぇっ!?」
手を取られ、晴ちゃんに傷口を舐められてしまった。
桜色の舌が口の端から僅かに覗き、手の甲を滑り血が拭き取られていく。得も言われぬ軟体の感触。彼女に舐められているという実感と共に、甘い痺れとなって背筋を走った。
数秒程度の出来事だが、その瞬間は私の頭へ強く焼きついた。
「っと、当たり前ですが治りませんね。つい乗ってしまいましたが、吸血人と違って人間の唾液は傷口によくありません。やはり消毒液と絆創膏を取ってきます」
そう言って晴ちゃんは部屋から出て行ってしまった。
私は晴ちゃんに舐められたことが頭を占め、呆気に取られてしまってる。手の甲の、舌が触れた部分が熱を持ってる気がする。
熱を確かめるかのように目を向けると、傷口には血と透明な液体が付着していた。
これって晴ちゃんの……。
意味も無く辺りを見渡す。当たり前だけど私一人きりだ。まだ晴ちゃんは帰ってこない。
私は自身の傷を治すことが出来るのだろうか。
数分後、晴ちゃんが戻ってきた。手には救急箱を持っている。
大人しく彼女の治療を受けてはいたが、その時には既に、手の傷は治療の必要がないほどに塞がっていた。
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