第2話

 中央の都で幅を利かせる大商人クレッシェンド家。その最初は戦場の跡地で転がっている死体などから武具等を漁り、それを持ち帰って売るという生業にすることで稼ぎを行う。それを元手に本格的な商売に手を出したが切っ掛けである。

 売っていたのは何も品だけではない。初代は特に耳がよく、噂話などは特に聞き洩らさないようにしていた。情報という重さのない存在の価値にいち早く気が付いた初代はそれをうまく扱うことで流通を少しずつ支配していき、やがては大商人という地位を手に入れた。

 今では都に根強く張られたクレッシェンド家という名家の娘としてミラは生を受けたのだ。それは幼くして貴族として生きる定めを受けたのだが──。


「茶が不味い。下手くそが」


 十にも満たないミラは使用人に向かって淹れさせた紅茶を顔にぶちまけていた。

 これは今回だけに限った話ではない。少しでも気分を損なえば容赦なく手をあげるその素振りはまさに傲慢であり使用人たちはこうなってしまった彼女の対応は気が晴れるのを待つしかないためにひたすら頭を下げて謝るしかない。

 しかもミラにとってこれは戯れにしか過ぎない。本気で不機嫌になった時の彼女は両親が介入しなければ本当に手がつけられず、それが理由で館を去ってしまった者は多い。

 そんな彼女であったが使用人たちによるミラの評価が地の底まで落ちることはなかった。その理由として教養を身に着ける為の勉学、作法は勤勉に取り組んでいた為である。

 大商人という貴族の身としての自覚があったのか、それを行う時の彼女は大人しい。この時間だけは唯一といっていいほど使用人たちの心が安らぐ時間でもあった。

 そんな彼女だったが傲慢なのは変わらない。このまま孤独になっていくことは不思議ではなく、それを彼女も知っているが止められないのだ。彼女の唯一の楽しみは不器用に作った人形を友達に見立てて、他の者たちにバレないように毛布の中で隠れて遊ぶことが密かな楽しみであった。


「お父様、何処へ行かれるのですか?」

「ミラか。これから商談の為に外にな。……ついてくるか?」

「はい!」


 こんなミラでも親にとっては大切な娘であり、この性格なるほど過保護なまでに育てている。

 声を掛けられたタイミングは十を超えた辺りで外の世界の所謂アングラな場所を教える為のいい機会だと父は思ったのだろう。ミラにとってこの機会は好奇心を強く刺激するには十分であった。

 何処に行っても恥ずかしくないように身だしなみを整え、豪華な装飾を飾った馬車に乗っていった先は何処に向かうのかとワクワクが体に表れていた。

 やがて馬車が止まり、御者が扉を開けると父の背中を追って外出る。

 目の前には巨大な円型の建設物。まるで折檻部屋のような外と内が見られないような場所の中から聞こえる歓声にミラは思わず呆けた。


「お父様、ここって……」

「闘技場だ」

「トウギジョウ……?」

「お前は黙って私についてきなさい。逸れないようにな」

「はい!」


 父親はそのまま闘技場と呼んだ建物に向かうのをミラも追って入っていく。

 中に入ると外に響いた歓声は大きくなるが中央部分には向かわず、父親はそのまま遠回りをするようなルートを歩いていくと警備兵たちと一緒に長い階段が前に現れると彼らを通り過ぎてそこを上って行った。


「うわぁ……!」


 階段の先、そこは豪華な一室になっており向かいはテラスになっている。

 闘技場の一番高い席。テラスに向かえば開けた中央の部分が上からよく見え、その周囲を観客が囲っていた。

 観客の興奮による熱と声が空気を震わせるそれは上から見ているミラに届くと腹の内を響かせていく。

 館の時にいた静かな空気はここにはない。下劣な匂いも混じった熱波はこの世界をまだ知らない無垢なミラを未知なる領域に引きずり込んだ。


「ようこそクレッシェンド卿、わざわざここまで足を運んでくださるとは」

「いやいや、これも私との仲じゃないかダリル殿。偶にはこういう場所というのも悪くはない」

「そう言ってくれると嬉しいですな。……ん? その子はもしや……」

「私の娘だ。ミラ、挨拶をしなさい」

「ミラ・クレッシェンドです。こんにちわ」

「おお、ミラお嬢様ですか。私は父君と仲良くしてもらっているダリルと申します。ようこそ我が闘技場へ」

「ミラ、私はあっちで話をしているからここで見ていきなさい。決してこの部屋の外に出ないように」

「わかりました」

「しかしまぁ……まさかお嬢さんをここに連れてくるなんて。本当は子供が入るのは禁止にしているのですぞ?」

「これもまぁ社会を知る為みたいなもんさ。この子は頭が良くてな。こういう場もいずれは知っておくべきだから今のうちにと思ってね」

「そうですか。ささっ、いつまでも立っているのもアレですしどうぞ席にお掛けになってください」


 父親はダリルとここで商談するらしく、近くに設置されているふかふかのソファーに腰を下ろすと二人は香草を紙に包んだハーブ香という煙草に火をつけて煙を吹かし、一息ついてからゆっくりと話し始めた。

 二人の会話に聞き耳立てるにしても大人過ぎる為に今のミラにはまだ早い。それにこの熱気に充てられた今のミラは下の方にある光景が気になってしかたないのだ。

 丁度、向かい合わせになっている二つの門うち、一つが開くととそこから武装した巨大なモンスターに騎乗した兵士が舞台に姿を現したからだ。


『さぁ出てきたぞ!! 出てくるのは処刑人バグーダだ!! 魔物使いのバグーダ、コイツが乗っているジャイアントリザードは獰猛だがよく調教されている!! だが!! 主人の命令には忠実なコイツだが凶悪な牙までは取られていない!! そして何故コイツが処刑人の異名が付けられているか!? それはコイツが現れた時、必ず相手を殺してしまう。そして殺される相手は必ず強者つわものなのだ!! 処刑人の名に恥じぬその強さ、だからお前は人気なのだぞー! バグーダァァァ!!』

「ウオオオオオオオオオオッッッ!!!」

『さぁさぁさぁ。処刑人がここに現れたということは相手もまた強者つわものということ!! 処刑人バグーダ、お前の相手をするのはコイツだあぁぁぁぁ!!!』


 中央で仕切る人物が煽りの叫びをし、それに呼応して観客も大きく叫ぶ。

 耳を劈くほどの声援に思わず塞いでしまいそうになるがミラの両手は依然として手すりに掴んだままである。彼女も闘技場の魅力に早くも取りつかれたのだ。

 一体このデカブツを相手するのは誰なのか。見ているミラが緊張してしまうほどの空気の中でガラガラと音を立ててながらもう一つの門が開いていくと、その暗い道からゆっくりとそれが姿を現した。


「オオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

「……え?」


 会場にいる観客が興奮の声を大きく挙げる中、ミラは思わず間抜けな声を漏らしてしまう。

 暗がりから明るい場所に姿を出した相手。それは子供であった。体格を見るに歳はミラよりは上であるのは間違いない。

 だが子供がこんな場所にいること自体に現実味がない。夢であると思って頬を抓ってしまうほどミラにとってそれは衝撃的な光景であった。


『現れたのは東の果てからやってきた大物喰いカイナだあああ!! コイツがガキだからといって騙されるな! このガキ、初めに行われる多数の闘技者たちで戦いあう複数戦を勝って生き残ってきたのだ! その行いは残虐極まりない、勝つ為ならなんでもやるその執念は凄まじい! その後の個人戦でも己の格上たちを容赦無く喰ってきたそれはまさに悪鬼そのもの! 故に大物喰いと呼ばれたが出てきた相手は処刑人、この意味がわかるな? ついにお前の裁きが来たのだあああ!!!』

「ほう、あの子が例のってヤツですか?」

「おお、その噂は卿にも届いてましたか」

「当たり前だろう。儲け話から適当な噂話まで私の耳には入ってくる。無論、悪い話も……」

「はははっ……」

「それで、あの子供は下の奴が言っていた通り、東の果てから来たというのは本当か?」

「ええ。そっちの海に渡った時に連れ帰った奴隷の一人なんですよ。あの黒い髪と目、ここじゃあ珍しいでしょ? しばらくはいい見せモンになると思ってね」

「なるほどね、でも持たせてるモノがちょっとじゃないか……?」

「問題ないですよ。あいつはちょっと不思議な力があってね、短剣あんなのでもいけますよ」

「ほ~ん……。それで、結果は?」

「もう大繁盛ですよ。ちゃんとした武器持たせたら大人ぐらい余裕でぶちのめすんですから。子供が大人を倒してしまうっていうんで観てるお客さんはもう好評好評、大好評で。……ただまぁ~、主催者こっち側としてはそろそろ面白くはないですがねぇ~……」

「……勝ちすぎたか?」

「そういうことですな。お、そろそろ始まりますぞ。せっかくですしよかったら見ていきますか?」

「うむ、せっかくの闘技場、しかも注目カードとなればそれを見ずに帰るのは無いからな。あぁ、久しぶりだ。この熱狂はいつ浴びてもいいモンだ」


 父親が立ち上がるとダリル一緒にミラの隣に向かって三人で決闘を見ることになる。

 子供と大人、それも本や人の話でしか知らなかった大型のモンスターを操っている者。異様な熱気の中にある緊張感がミラの幼い体と心を支配していったのだった。

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