黒曜石は色彩を視る

@EnjoyPug

第1話

 山の中にひっそりと作られた村。少し離れた場所にある古い一件から一人の女性が鍋と一緒に外に出てくると注がれる朝日に思わず目が眩んでしまう。

 外の空気は春を告げる柔らかな風が吹いており、太陽が顔を出す時間が長くなるのを感じながら近くにある焚火のある場所に行くと石を持つと不慣れな手つきで火をつけ始めていった。

 女性は成人をし始めた若い顔をしており、ボロボロの服を着ているが見せる雰囲気が普通の者とは違う。

 癖のある毛先が肩ほどに触れる程度の茶髪は服のように傷んでいるが細見の体格、凛としたその顔つきはここの生まれではないことを示していた。


「はぁ……」


 溜息をつきながらやる火起こしは女性にとって未だに慣れていないようで、火打ち石を何度も叩いて火花を散らすことでようやく種火に着火する。

 せっかく灯った仄かな火が消えないよう、息を吹いて加熱していく時に煙が顔に当たって思わずむせてしまった。

 鼻奥に刺さされるような不快な気分になりながらも、焚火に設置してある取っ手に持ってきた鍋を吊ると中身を温め始めていく。

 鍋の中身は豆のスープであり、ボコボコと水面に浮かぶ泡が熱したことを教えてくれたのを知ると焚火から温めた鍋を放し、その火を消した後に持って自宅に持ち帰った。

 ギィィ……と古い玄関の扉が帰りを告げるをを聞きつつ、温めた鍋をテーブルにひかれた小さな敷物の上に置いて皿を用意して豆のスープを移していく。

 今日の朝ごはんは豆を煮込んだスープと乾燥したパンである。それを並べると女性は奥の部屋へと足を運んで行った。


「入るわよ」


 ノックと一緒に声を掛けて部屋に入った女性の先にはベッドに仰向けで眠っている男性が目に入ってくる。

 窓からは木漏れ日のように光が差し込んでいるが彼は静かな寝息を立てて起きる気配がないことを知ると女性は近づいて体を揺らした。


「朝よ。さっさと起きなさい」


 彼の肩に触れて揺らすとすぐに寝息が収まり、ゆっくりと上半身を起き上がろうとするのを女性は背中を手で支えてあげた。

 黒くて短い髪の男、触れている背中は手から分かるほど骨の感触があり、ぱっと見だと細い体はこの女性と大差なさそうである。

 そんな彼はゆっくりと顔を女性に向けると少し低い声を出した。


「おはようございます。ミラお嬢様」

「おはようカイナ。主人の私よりも遅く起きるのは失礼じゃない?」

「申し訳ありません。すぐに支度しますので」

「私がやってあげるから、貴方はおとなしくしてなさい」

「ありがとうございます」


 ミラと呼ばれた女性にカイナは顔を向けつつ手を差し出す。

 だがそれは何処か虚ろで、小さく不規則に揺れる手は何処か不安なようでもある。

 そんな彼の手を見てミラはすぐに自分の手で掴むと体をベッドの外側に引っ張るように誘導してあげるとお互いの顔を見合わせるようになった。

 ちょうどその位置は窓から差し込む光がカイナの顔に当たっており、目を閉じているがそれは眩しいからではない。

 照らされている顔はごく自然体であり、それは彼が目が見えていないことをミラに示しているようでもあった。


「…………。ほら、手握ってあげるからさっさと来て。朝のご飯、出来てるから」

「……いつもすみません」

「いいの、これぐらい……。これも貴方の為なんだから……」


 最後の言葉はカイナに聞こえないほど小さく言う。それは戒めであり彼女が"忘れない"為に言ったものだった。

 カイナの手を引いて、だがゆっくりと彼の足並みを揃えてテーブルまで誘導して座らせてあげるとミラはその隣に座る。

 湯気立つ豆のスープにカイナは鼻と肌でその熱気と感じ取ると二人で朝食の挨拶を行って取り始めていった。

 テーブルに添えられたスプーンをミラは取るとそれをカイナのスープに浸し、掬って前に持っていく。

 

 「はい」


 ミラの一言を聞いてカイナは口を開けてスープを飲ましていくが、お互いが丁寧な仕草で行われるそれは見苦しさはない。

 まるで貴族が食事を行うような作法で食事を進めていくようでもあった。


「おいしいですミラお嬢様。味付けも丁度良くて、上達しましたね」

「そう」


 カイナの言葉にミラは素っ気ない返事をしながらスプーンの腹に溜まったスープを見る。

 彼はこのスープを評価してるが作った本人は真逆であった。実際は塩加減が分からないで調理した為に今回のこれは味がかなり薄い。

 乾いたパンを小さくちぎり、それを皿の底に溜まっているスープを絡めとって口にすることでようやく不味くはないと感じるほどだ。

 しかも以前に同じものを出したらカイナが吹き出してしまったのだ。その時は味が濃すぎたらしい。

 反射的にやってしまったあの事はカイナの意図はないことをわかっていたはずなのに、それでもあの光景はミラにとってショッキングな出来事だった。

 その事もあって味は意図的に薄めにしてある。ちゃんと味見をしろと言われたらそれまでだが今のミラにはそれが出来ない。

 それは彼の光を奪ってしまった事を思い出してしまうからだった。



 朝食を終えてカイナは皿を片付けようとしたのをミラは手と声で制して自分ひとりでやり始める。

 座ったままのカイナは何処か申し訳なさそうな顔をしているが目の見えない彼にそんなことをさせるわけにはいかない。

 洗う場所はここにはなく、食器を洗う為に外に出てミラは川の方へ向かっていった。

 すでに外で仕事をし始める者もおり、朝早くから活動的な村はこのような生活に縁のなかった彼女にとっていつ見ても不思議な光景だった。

 川に辿り着いたミラはそのまま汚れた皿を洗っていくと思わずため息が出てしまう。

 何かをしている間に出てしまうこの溜息はもはや習慣になってしまったことにもミラは忌々しく思うが、カイナの前では絶対にこれを漏らさないことを心に決めていた。


「おはようミラさん。今日も早いわねぇ」

「マリィさん。おはようございます」

「隣、いいかしら?」

「どうぞ」


 初老の女性のマリィはミラの隣に座ると彼女も食器を持っており、一緒にそれを洗っていく。

 マリィはミラたちがこの村で暮らす中で世話になっている人物であり、今住んでいる家も彼女のおかげでもあった。

 というよりもこの村の人たちは皆優しい。隣人に親切し助け合う村の人たちは盲目を連れたよそ者にここまでよくしてくれることに感謝しかなかった。


「今日もいい天気ねぇ。あっ、そうそうミラさん。丁度ね、花のシロップが熟したところなの。余ってるから取りに来てねぇ」

「いつもすみません。私たちのために……」

「いいのよ、困ったらお互い様でしょ? 巫女様の旅については残念だけど……でも今はそういうのじゃないからね」

「そう、ですね……」

「よかったらね、しばらくじゃなくともずっとここに居ていいからねぇ? ミラさんたちがよかったらだけど……」

「お気遣いありがとうございます」

「それじゃあ、私はいくね。またねぇ」


 食器を先に洗い終えたマリィはミラに別れの挨拶をするとそれに会釈で返した後に川の方に視線を向けると溜息が口から洩れてしまった。

 マリィの言葉から出た巫女の旅。それはミラが与えられた使命でもある。

 この大陸の果てにある神殿に赴いて真なる言葉を受けるための聖なる巡礼。

 本来であればこの村など通過点に過ぎなかった。だが今はここで足止めを食らっている。

 この現実にミラの心はずっと焦燥感が燻っているがこうなっているのも全ては自分のせいでもある。

 少しでも張った気を緩めるとすぐに自己嫌悪に陥ってしまい、それを払うように洗い終えた食器を再び川の中に沈めて洗っていく。

 見えない汚れ、それがある思い込むように何度も何度も濯ぐ皿は自分の心でもあった。

 浸した手が冷たさで痛みを感じるほどにに洗い続けてもこの見えない汚れは全く落ちる気配はない。

 吐き出すこともできないこの鬱憤は彼女が償い続けても決して晴れることはなかった。

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