君は泣かない
ビト
第1話
「あたし、泣く人って好きじゃないな」
空っぽの教室で、ルリはそう言った。何度も聞いた、その言葉。私はその言葉を聞いて、この間の話を思い出す。
「あー、高橋?」
「はは、サリは察しがいいね」
高橋は、ちょうど一週間前にルリに告白して玉砕した、野球部のマネージャーだ。確か結構可愛かった気がする。でもまぁそういう子にはいやなうわさが付き纏うもので、尻軽だの八方美人だのさんざん言われていた。てっきり私は、そのうわさをルリが信じて振ったのかと思っていたんだけれど。
「うわさはうわさでしょ? 別にそんなので告白を断ったりしないよ。実際あの子は、精一杯の勇気を振り絞って告白してくれたみたいだし」
だったらどうして? と聞こうかと思ったけど、だいたい察しがついた。きっと泣いちゃったんだろう。そういう子は実際いる。たいてい漫画とかアニメだと、告白が成功したり失敗してから泣くものだけど、実際は告白の最中に感極まって泣いてしまう子もいるものだ。その点で高橋は、ヘタを打ったといえる。
「そこまで分かってながらふるなんて、ルリちゃんってさいてー」
「しょうがないじゃん。冷めちゃったんだもん」
私達は少し見つめ合ってから、声を出して笑った。不謹慎かもしれないけど、他人の失恋ほど面白いものはない。特にルリを狙った人の失恋は。いや、本当に不謹慎だな。
ルリはモテる、それこそ男女問わず。顔もそうだけど、話も面白いし、キッパリと嫌なものは嫌と言える気概もある。これでモテなければ誰がモテるんだろう、皆そう言うと思う。だから皆ルリに群がるし、ルリと少し進んだ関係になりたいと思うんだろう。でも、ルリはそんな人達に笑顔は向けてもイエスとは決して言わない。そんな態度を取ってたら少しくらい、それこそ高橋みたいに、いやなうわさが立ちそうなものだ。でも、少なくとも私の耳には、そんなうわさが届かない。それどころか、もう何人も振られているのに、ルリに突撃して玉砕する人が後を絶たない。それが私には不思議だった。ひょっとしたら、ルリはいわゆるカリスマというやつなのかもしれない。それこそキリスト並みの。いや、キリストは一部の人には嫌われてたか。じゃあルリはなんだろう?
「サリ?」
「あぁ、なに?」
「なに考えてたの?」
「ルリのこと」
「え?」
「なんでそんなモテるのかな、って」
ルリはポカンと口を開けてから、あははと笑った。
「なに、羨ましいの?」
「いやー、めんどくさそうだし、いいかな」
急に、ルリは寂しそうな顔をした。私は思わず身構えてしまう。なにか気にさわること言ったかな? ルリとは幼稚園からの付き合いだから、ルリのことをなんでも知っている気になってしまうけれど、結局他人だし、思わぬ時に地雷を踏んでしまうことがある。私もルリも。だからお互い、気を使うところは使うようにしているのだ。ちょっとその塩梅を間違えてしまったかもしれない。とりあえず、謝っておこうか。
「そうだよ。モテて舞い上がるのは、好きな人がいない時だけだよ」
意外だな、ルリもそんな月並みなこと言うんだ。もっと、なんていうか、超然とした人間だと思ってた。そりゃルリが案外俗なところがあるのは知ってたけど、そんな少女漫画みたいなこと言うとは。それがなんだかおかしくて、私はつい笑ってしまった。
「ちょっと、なに笑ってんのさ」
「ごめんごめん。そうだね、そうかもね。分かんないけど、好きでもないやつに好きって言われても困るか」
「そういうサリはどうなのさ」
愚問だね。私に言いよって来るやつはほとんどルリ目当てだ。中学のころからずっとそう。いや、別にルリを非難したいわけじゃない。悪いのはあくまで、そんなスケベ心で私を利用しようとする馬鹿だ。なんて、こんなこと言ってもルリを困らせるだけだから私は決して言わない。そういうやつらは前もって手酷く振ってやる。お前みたいなのがルリのそばに寄れると思うの? 鏡見たら? そんなこと何度言ってきただろう。ルリが知ったらどう言うかな? 知りたくないといえば噓になるけど、十中八九ルリは傷つくだろうから、知られてないといいな。だから私はいつも、こういう話ははぐらかす。
「まさかまさか。私を好きになるもの好きなんていやしないよ」
「本当にそうかな?」
ルリが意地悪く笑う。遊び甲斐のあるおもちゃを見る顔だ。そんな顔も絵になるな。神様ってやつは時々傑作を作り出すからやっかいだ。凡作の私からしたら文句の一つも言いたくなる。
「まぁ、そうだね。パパとママは愛してくれてんじゃない? 知らんけど」
「おじさんもおばさんもいい人だもんね。ってそうじゃなくて、いると思うよ、サリのこと好きな人」
「そりゃ地球上に? それとも紙の上? スマホの中?」
「この学校に」
あ、これマズいやつだ。この話に乗せられると、私は自分のポジションを見失ってしまう。ルリに群がる羽虫どもと同じように勘違いをしてしまう。
ルリは自分だけを見ている。
そんな麻薬にも似た妄想に取りつかれてしまう。落ち着け、自分のポジションを思い出せ。私はルリの幼馴染、ルリの親友、ルリの理解者。だから分かるはずでしょ、ルリは誰か一人を見つめ続けることはない、なにかに執着することはないって。だからルリは、泣いたりしないんだって。私は、小五の時に飼育小屋のウサギが誰かに殺されてクラスの女子みんなが泣いていた時、一人だけ泣かずに遠くを見つめて、少しだけ寂しそうにしていたルリの横顔を思い出した。そうだ、あの横顔を忘れるな。
きっとルリは、私がいなくなったら寂しがってはくれるだろう。でも、泣かないはずだ。少し寂しがって、また歩きはじめるはずだ。ルリはそういう人間だ。だから今こうして話をしていても、意味深なセリフを吐かれても、勘違いしちゃいけない。ルリにとってこれはただのお遊びだ。私の反応を見て面白がってるだけ。その手には乗るもんか。
「へー、そんな奇特な人がいるかな」
「いるよ。保証してあげる」
「私が知ってる人?」
「絶対知ってる」
勘弁してよ。こういうやり取りは何度かあったけど、心臓に悪い。私は今のポジションが気に入ってるんだ、一番ルリの横顔を見やすい位置。これが私のベストポジションだ。誰にも譲る気はないし、自分から席を立つ気もない。
「答え言わないでよね」
「え?」
「自力で当てて見せるから。ま、向こうから来る分には知らないけど」
「……そっか」
ほら、また寂しそうな顔する。ずるいよ、それ。なんて、好き好んでこのポジションにいる私が言えた義理じゃないか。
「そう言えばこの間のさ」
私は無理やり話を逸らす。我ながらずるいとは思うけど、ルリだってずるいところあるんだし、これくらいは勘弁して欲しい。
「この間っていつさ」
よし、乗ってくれた。これでいい、これでいいんだよ。
「ほら、文化祭の……」
今回もうまく話を運べた。いつもこの手の話をする時はヒヤヒヤする。だっていつも、ルリはこんな時に限って、私にしか見せない顔をするんだもの。いや、正確には他の人にも見せてるのかもしれないけれど、まぁ、それくらいはうぬぼれていいでしょ?
だって私は、ルリの幼馴染で、一番の友達で、親友なんだから。
「ふったんだって?」
「誰に聞いたの?」
「松葉。あの子、お喋りなうえに耳が早いよね」
「だね、本当にやっかいだ」
私が滝上君からの告白を断った件は、もう松葉に広められてるらしい。あのお喋りめ、可哀そうに滝上君、きっと男子達にからかわれてるだろうな。でも気がかりなのは、その細かな内容まで広まっていないか、だ。
「なんて聞いた?」
「別に。サリが学年一の秀才、滝上君を盛大にふった、としか」
「はぁ、ちょっとは滝上君の面子を考えなよね」
「ほんとほんと」
ルリがふふっ、とおかしそうに笑う。なんとなく、なんとなくルリが嬉しそうな気がする。まぁでも一安心だ、流石の松葉も告白の一言一句を盗み聞きしてたわけじゃないらしい。
「で、なんでふったの?」
「別にいいじゃん」
「あたし目当てだったから?」
思わずルリの顔を見る。そこには先ほどまでの笑顔はなく、感情の読み取れない、端正で冷たい顔があった。どこまで知ってる? 本当に知らないの?
「なに、それ。そ、それはちょっと考えすぎでしょ。大体、ルリ目当てで私に声かけるやつなんて」
「いるよね、男でも女でも」
あぁ、知ってたんだ、うまく隠してたつもりなんだけどな。自分の詰めの甘さが憎らしい。でもここまできたら、ごまかし続けるのは無理だろう。正直に話そうか、話せるとこだけを。
「……そうだね、いたね、そういう奴ら。ごめんね、隠してて」
「なんでサリが謝るのさ」
「いや、経緯はどうあれ隠し事してたわけだからさ。でも、いつ気づいたの? うまく隠せてると思ってたんだけど」
「ずっと前から。中二くらいからかな、サリの態度がなんていうか、変わったから」
変わった? なにがだろう、自覚がないな。いや待てよ、そうか、私が人生で初めて告白された時だ。それでふった時に言われたんだ。
「勘違いすんなよブス、ルリがちょっと仲良くしてくれてるからって」
あれで察したんだ。あぁ他の人から見たら私は、ルリの添え物なんだって、ルリに近づくための足掛かりでしかないんだって。だからだ、そう、だからだ。
私に好意を向ける人間は、ルリに近づきたい人間しかいないんだと思うようになった。
思わず大笑いする。皮肉なものだ、当のルリに言われてそのことに初めて気づくなんて。私はなんて馬鹿なんだろう! どうルリ? おかしいでしょ? あなたのそばにはずっと間抜けなピエロがいたんだよ。でも、ルリは笑わない。私はこんなに笑っているのに、ルリはちっとも笑っていない。おかしいな、ルリの笑いのツボ変わった?
ルリは私をジッと見ている。哀れみだろうか、蔑みだろうか。違うな、あの目は多分……。怒ってる? 怒ってるって、ルリが? 私は叱られる子供のように笑いを引っ込める。でも何故? 何故ルリは怒ってるの?
「あー、ごめん」
「なにが?」
「なにが、って言われると困るけど、その、怒ってるでしょ?」
「流石だね、サリ。あたしのことよく分かってる」
私の推測は当たっていた。こんな状況だけどそのことがなんだか嬉しくて、なんだか誇らしい。なんだかんだ言っても、私はルリの親友なんだなって。
「でも、なんで怒ってるかまでは分からないんだ」
そんなこと言われても困る。私はエスパーじゃない、テレパシーも使えないし、ルリの考えてること全部分かるはずがない。第一、そんなことしたくない。ルリのプライバシーの問題もあるし、なにより、ルリの中に私の知らないことがあるほうが夢があっていいじゃない。なんて返そうか、なんて返せばルリは機嫌を直してくれるだろう。
そんなセコイことを考えていたら、ルリが私の肩を乱暴に掴んだ。思わず身構えた。殴られたらどうしよう、痛いのはやだなぁ、でもそれでルリの気が済むのなら。
「あたしが怒ってるのは、サリが、あんたが怒らないからだよ」
「え?」
「なんで怒らないのさ。あたしに近づきたいだけの下らない奴らのダシにされて。怒ればいいじゃん、馬鹿にすんなって、そいつらに、ふざけんじゃないよって。あたしにだって、あたしにだって! お前のせいでロクな奴が近寄ってこないんだよって! 怒ればいいじゃん! なのに、なんで怒んないのさ!」
ルリは顔を伏せながら、叫び続ける。なんで? なんでそんなことでルリはこんなに熱くなってるの? そんなのしょうがないことじゃん。ルリはカリスマで、私はたまたまその幼馴染だっただけで。そんな私をやっかむ奴もいるし、利用しようとする奴もいる。当たり前のことじゃん。いちいち怒ることじゃないでしょ。なのに何故か、私はその気持ちを、ある種の諦念を言葉に出来なかった。目の前のルリが、私の肩を強く掴みながら震えるルリが、とても小さく小さく、初めて出会った頃のルリに見えたから。
「ルリ」
「許せない、許せないんだよ」
ルリが顔を上げる。そこで私は、信じられないものを見た。ちょっと前、いや、これまでの私が考えたこともないようなものだ。
ルリが、泣いている。
私とルリは、長い付き合いだ。その付き合いで初めて、私は今、ルリの涙を見ている。これは夢だろうか? それにしてはいやにリアルだ。ルリに掴まれている肩も痛いし、その手のぬくもりも感じる。ということは本当に、ルリが泣いている?
泣いているルリを見て、私は不思議な感動と、不可思議な怒りを感じた。ルリは泣き顔まで綺麗だな、という低俗な感動と、ルリは泣いちゃいけない、という理不尽な怒りである。ルリが泣いていいはずがない。あれほど泣く人が好きじゃないと言っていたルリが、人前で、それも私の前で泣いていいはずがない。だってそれは、ルリが自分のことを好きじゃないって言ってるようなものじゃないか。あってはならない。ルリが自分のことを好きじゃないなんて。私は肩を掴むルリの手を握る。
「駄目だよ、ルリ。駄目だって、泣いちゃ駄目」
「うるさい! こっちだって、好きで泣いてんじゃないよ! 勝手に、勝手に、クソ、クソ……」
どうして? どうして泣くのルリ。嫌いなんでしょ、泣く人なんて。涙を使って相手の心を揺さぶろうなんて姑息な奴は嫌いなんでしょ? だから泣き止んでよ、さぁ!
「お願い、ルリ。泣き止んでよ、見たくない、見たくないよ泣くルリなんて」
「じゃあ言って、泣くお前なんて大嫌いだって、サリの口から言って」
「そんなこと言えないよ」
「どうして?」
「だって私は、ルリのことが好きだから」
「だったら、サリが好きなあたしが好きなサリを、馬鹿にしないでよ! 自分を、もっと、大事にしてよ……」
私のために、泣いてるの? どうして? これまでもうまくやれてたじゃん。周りにルリの添え物だと思われてても、実際言われても、別に気にしてなかったよ。ルリと仲良くできるだけで誇らしかったよ。なのにどうして、ルリはそれがいけないって思うの?
「しょうがないよ、実際そうじゃん。私はなんにも誇るものがない人間なんだよ。ただルリが気を許してくれているってだけで、他にはなんにもないんだもん。だから別に他人にルリの金魚の糞って言われても、それは事実を指摘されてるだけで、悪口ですらないんだよ」
「違うよ、そうじゃないんだよ」
「じゃあなに? ごめん本当に分からない、なんでルリは私なんかのために泣いてくれてるの?」
もうパニックだ、なにも分からない。なんで? どうして? ルリは星のしずくのような涙を、私なんかのために流してるの? 流すにしても、もっといい場面があるでしょ。愛する人との別れとか、世界一面白い映画か演劇を観た時とか。少なくとも今じゃない、今じゃないよ泣くのは。
ルリは私の肩から手を離し、涙をぬぐう。それでも涙は零れてくる。
「外野は関係ない」
「え?」
「世の中見る目がない奴なんて山ほどいるから、そんなクズ共がサリのことをどれだけ馬鹿にしようが知ったこっちゃない。本当に美しいものを見つけることも出来ない奴らの言葉なんてなんの価値もないから。だから私はそんなクズ共に腹なんて立たない。クズにいちいち腹を立てるなんて時間の無駄だしね。私が腹が立つのは、そんなクズ共の言葉を真に受けて、美しい人がどんどん自分を曇らせていくことなんだ。私にはどうしても、それが許せないんだ」
ルリは真っ赤に腫らした目で、私を毅然と睨む。そのうるんだ瞳に誰かが映っている。私だ。それは私だ。ルリをだしに自分を卑下し、心地よい諦念を抱えかりそめの安息を貪っている私自身だ。
私は目をそらす。とてもその醜い自分と向き合うことなど出来はしない。しかし、そんな臆病な自己防衛本能と一緒に、私の胸の中にある熱い衝動が芽生え始めていた。それが怒りなのか羞恥なのか、それは分からない。しかしそのどうしようもない熱が、私を焦がす。ここから出せとわめき叫ぶ。その声に応えるかのように、気づけば涙が私のほほをつたっていた。
「……ずっと、ずっと、疑問だった」
「……」
「なんで、どうしてルリは、私をそばにおいてくれるのかって。そう考える度に、なんで私は、私なんかが、ルリのそばにいていいんだろうって、どうしても、思っちゃった」
「……」
「だから周りに色々言われる度に、逆に安心してたんだ。あ、やっぱおかしいよね、って、あたしなんかがルリと釣り合うわけないよね、って。人に言われる度に、私がなんの取り柄もない人間であることを再認識してたんだ。それで、そう自分に言い聞かせる度に、自分の認識と現実とのギャップが埋まっていくのを、確かに感じてたんだ」
「……」
「でも、離れることも出来なくて、離れたくなくて、どんなに惨めになったって、ルリのそばにはいたくって。ごめん、無茶苦茶言ってるね」
「そんなことないよ」
「はは、そんなことあるでしょ。自分でもよく分かってるもん。だって、ほら」
私は、涙でぐちゃぐちゃになった顔でルリに正対する。きっと、泣いても綺麗なルリの顔と比べて、私の泣き顔は酷いものだろう。それでも、今この瞬間、それを隠すのは酷くルリに失礼な気がした。
「言ってたでしょ、ルリ。泣く人は好きじゃないって、いつも言ってたでしょ。ほら、まさにそれは私だよ。私はルリの嫌いな人間だよ。ルリには言ってなかったけど、人になにか言われる度いつも泣いてたし、今なんてほら、泣き顔を隠す余裕すらなくなってる。そんな私が、ルリのいう美しい人なわけないじゃん。私はもっとだらしない、どこにでもいるような」
その先を言わせないように、ルリは私を抱きしめる。一緒に選んで買った香りの強くない香水の香りがする。うっすらと汗の匂いもする。そして、ルリが泣いているのが伝わってくる。
「泣く人は、好きじゃないよ」
「……」
「だって、こっちまで悲しくなっちゃうし、なんて慰めたらいいか分かんないし。でも、きっとサリは今、泣いていいんだよ」
「……」
「私の顔色なんて窺わず、自分の胸に従えばいいんだよ」
「……」
「ごめんね、サリ。ずっと、ずっとずっと、ごめんね」
謝らないでよ、ルリ。悪いのはずっと、ずっと私だったのに。なのに、そんなこと言われたら……。私はルリを抱き返し、その首元にすがり、声を殺しながら泣いた。それでも殺しきれずに、声を出して泣いた。気づけばルリも泣いていた。放課後の教室に、泣かないはずの私達二人の泣き声が転がっていった。
「あー、こんなに泣いたのいつぶりだろ」
「あたしは初めてかも」
「そうなんだ。あ、あたしもそうかも」
「ほんと? あたしに合わせてない?」
「合わせてないって。もうこれからは正直なサリちゃんでいくから」
「うん、そうしてよ」
ルリは泣き疲れた顔で、それでも眩しく、私に笑顔を向ける。そして、両手でそっと私の手を握る。
「あたし、サリのこと好きだからね」
思わず胸が高鳴る。
「えっと……、そういう意味?」
「え?」
「え?」
「あ! いや、そうじゃなくて! こう、親愛? 友愛っていうの? そういうのだよ」
「テンパり過ぎでしょ」
「そういう流れじゃなかったじゃん」
「いや、多分十人中八人は勘違いするね」
「もう、からかわないでよ」
「ごめんごめん」
自然と笑っている自分に気づく。あぁ、ルリと接する時に、こんなに気楽にしていていいんだ。今までが悪かったとは思わない。でも、今感じているこの気分も悪くない。むしろ、いいかもしれない。これからは、ルリの添え物じゃなくて、ルリの隣を歩いていいんだと思うと心が躍る。
「でもこれだけは約束して」
「なに?」
「泣くのは私の前だけにしてね」
ルリがいたずらっぽく笑う。私は思わず真顔になってしまい、慌てて顔を隠す。今の不意打ちは効いた。本気でルリに恋をしてしまうところだった。
「お、照れてる? 照れてる?」
「照れてない」
「やっぱ照れてるでしょ、あはは。お返しだよ」
そう言われるとぐうの音も出ない。でも、そうだな。泣くのは、弱みを見せるのは、パパの前でもママの前でもなく、ルリの前だけにしようかな。なんだかそれが、新しい私達の絆になるような気がする。再スタート、というには大仰だけれども、少なくとも私達の関係性は変わるだろう。空しく自分に言い聞かせてきた、ルリの親友、それにこれからは本当になるんだ。
「じゃあルリも約束してよ」
「なに?」
「ルリも、泣くのは私の前だけにして」
ルリは少し考えて(ひょっとしたら考えてるふりかもしれないけど)、満面の笑みでこう言った。
「うん、約束する」
そして私達は、お互い笑いあって、窓の外の夕暮れを見る。雲一つない、というのは嘘になる。空にはちらほら薄い雲やところどころ重い雲もある。でもそれらをぬらりと濡らす夕焼けを見ていると、なんだか勇気づけられる。これからの私達の人生でも、今日みたいに重大な問題や試練があるかもしれない。それでも、ルリと交わした約束は守っていこうと思う。大人になれば約束というものが契約という名前にかわっていくけれど、それでも、この誓いを約束と名付けて、守っていこうと思う。いつまでルリと一緒にいられるかは分からない。ひょっとしたら違う大学に行くかもしれないし、社会人になったら疎遠になるかもしれない。それでも、それでも私は、この約束を信じて守り続けていきたい。我ながら重すぎる感情だ。だが私にはその重みが必要だ。そうでないと、私はあっという間に社会や他人に流されてしまうだろう。私が、ルリが好きだと言ってくれた私でいるためには、この約束が命綱なんだ。
私とルリは恋人じゃない。私達は親友だ。だからきっと、その間にあるのは友情だろう。人によっては、それはありふれたものだと言うかもしれない。でもそれが、慕情と比べて劣るとは思わない。だって、こんなにも心強く、温かいのだから。
「そういえばさ、滝上君のことだけど」
「ん?」
「別にルリ狙いじゃなかったからね」
「そうなの?」
「うん。なんか図書委員で一緒の時から気になってて、それで告白してくれたんだってさ」
「うわ、はずっ。あたし自意識過剰みたいじゃん」
「実際そうだよ」
私達は声を出して笑う。さっきまで涙が流れていた教室に、笑い声が転がっていく。なんだか流した涙が、報われた気がした。
終
君は泣かない ビト @bito123
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