【異世界転生輪廻割烹ほのぼの小説】縁(えにし)の食卓 〜異世界割烹の温もり物語〜

藍埜佑(あいのたすく)

第一章:春告魚(はるつげうお)と出会いの縁(えにし)

第1章1節:縁(えにし)の暖簾

 交易都市ミストラル。大陸の東、温暖な海に面したこの街は、古くから人、物、そして様々な文化が行き交う結節点として栄えてきた。石畳が敷かれた広い往来には、今日も威勢の良い商人たちの声が響き、香辛料や潮風、そして少しばかりの埃の匂いが混じり合って、活気ある街の空気を作り出している。


 港に近い一角、そんな賑やかな大通りから一本、細い石畳の路地を入ったところに、その店はひっそりと暖簾を掲げていた。白壁に濃い茶色の木材を組み合わせた、どことなく異国の趣を感じさせる二階建ての建物。派手な看板はなく、軒先に吊るされた小さな木の板に、流れるような筆致で「縁(えにし)」とだけ記されている。


 夕暮れ時、橙色の光が路地を染め始めると、店の入り口に真新しい藍色の暖簾がかかる。それは、一日の始まりを告げる静かな合図だった。


 からり、と軽い音を立てて店の引き戸が開かれる。


 中に入ると、外の喧騒が嘘のように静かで、清潔な木の香りと、何か食欲をそそる良い匂いがふわりと鼻腔をくすぐった。店内はこぢんまりとしており、磨き上げられた白木のカウンターが八席ほど。奥には四人掛けの小さな個室が一つ見える。壁には季節の花がさりげなく活けられ、時折、店主が描いたという異国の風景画が掛けられている。厨房はカウンターの向こうにあり、客は店主の手際の良い仕事ぶりを眺めることができる造りだ。


 店の主は、ユウナギ・シルヴェリアと名乗る女性だった。


 艶やかな銀色の長い髪を緩く後ろで一本に結い、透き通るような白い肌に、穏やかな光を湛えた紺碧の瞳を持つ。見た目はまだ二十歳そこそこに見えるほどの若々しい美貌の持ち主だが、その立ち居振る舞いはどこか浮世離れしていて、長い年月を生きてきたかのような不思議な落ち着きを漂わせている。今は濃紺の作務衣風の着物の上に、白い割烹着を身に着け、開店前の最後の準備に勤しんでいた。


 カウンターを丁寧に拭き清め、仕込んだ食材の状態を確認し、静かに目を閉じて何かを確かめるように息をつく。その所作の一つ一つが、まるで祈りか儀式のようにも見えた。


 今日の「縁」には、どんな客が訪れるだろうか。どんな物語が、このカウンターで紡がれるのだろうか。ユウナギは、そんなことを考えながら、静かに客を待つ。


 彼女がこのミストラルに店を開いて、一年が経とうとしていた。


 と、その静寂を破るように、勢いよく引き戸が開く音がした。


「よぉ、ユウナギさん! やってるかい!」


 飛び込んできたのは、赤い髪をポニーテールにした快活な若い女性だった。革鎧を身に着け、腰には長剣を差している。冒険者のライラ・クレセントだ。彼女はこの店の、最初の常連客の一人だった。


「あらあら、ライラさん。いらっしゃいませ。今日もお早いお着きで」


 ユウナギは顔を上げ、穏やかな微笑みを浮かべてライラを迎えた。


「へへ、仕事が早く終わったんでね! もう喉がカラカラだよ!」


 ライラは大きな声で笑うと、慣れた様子でカウンターの一番端の席にどかりと腰を下ろした。


「じゃあ、いつもの! エールと、あと唐揚げ! 大盛りで頼む!」


「はい、かしこまりました。エールと、鶏の唐揚げ、大盛りですね」


 ユウナギは微笑みを崩さず、淀みない動作で頷いた。この瞬間から、割烹『縁』の夜が始まる。

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