第一話 魔薬
――ある都市の、裏路地にて。
「ハァ、ハァ、ハァ……クソッ!何なんだアイツ等ッ!!」
息を切らし、走る男。
何かに追われているらしく、度々後ろを振り返っている。頬からはどこかで転んだ拍子に切ってしまったらしい傷口から血が滲んでいて、されどそれに構っている余裕すらない様子であった。
「ここまで来て、ふざけんなっ…ハァ……もう少しで、取引が成立したってのにッ!!」
暗い路地に入って、尚も走り続ける中年。彼の手には黒く四角いアタッシュケースが握られていて、それを
「ハァ、ハァ……邪魔が入らなきゃ、今頃俺は……ッ!?クッソ!行き止まりかッ?!」
しかし、そんな彼の努力も虚しく行き着いた先は裏路地の袋小路。小道がレンガで封鎖されたところで途切れており、大型のゴミ箱や瓦礫等が散乱しているもののとても眼前の壁を乗り越えられそうにない。
「――……おっさん……鬼ごっこはここまで?」
行き詰った彼がどうしたものかと頭を悩ませていると、背後からそんな声が聞こえた。女性にしては低い声音で、気怠げにやる気のない口調。”ダウナー”と表現するのが最も適切であろう声帯の者。
……そして、そんな彼女の拳は血で赤く染まっていた。
「……スゥー…フー……確か、”鬼ごっこ”は……逃げてる奴を捕まえたら、鬼の勝ち……だったよね?」
「ッ?!……く、来るなッ!来たら殺すぞッ!!」
細い紙を巻いた棒に火をつけて、それを口に咥えながら煙を吸うその女。彼女は至極めんどくさそうに、近づくなと威嚇する男の下へ歩む。距離が近づくにつれ、男は口からフシュー、フシューと気持ちの悪い声を上げていた。
「――――ちょっ!ちょっと待ったァァァァああ!!」
気色の悪い唸り声を上げる男に、彼女が近寄る最中……突然、彼女らの背後から場面にそぐわぬ明るい制止が響いた。
「ハァ、ッハァ……ウ˝ェ……ハァ、ハァッ、やっと……お˝い、ついた……」
えぐい程に息を荒げ、嗚咽を吐くもう一人の女。頭に哺乳類特有の尖った耳を生やした、実に似合わぬサングラスがむしろ映えるイカれた肉食動物。
「ちょ、ちょっと待って、一旦……たんまッ!!……ハァ、ハァ、呼吸、整えるから……」
「……ドネ、体力無さすぎ。……少しは、普段から運動したら?……弛んだお腹も引っ込むよ」
「やかましいわっ!!私これでも、巷じゃスタイル抜群の美キツネ言われとんねんっ!……ハァ、ていうか、アリスみたいに乳ばっかデカい女の方がどうかしてると思うけどねっ!?そんな重いもんぶら下げて走ってるなんて、どんな筋力してるんですかー?!」
「……貧乳。」
「〇ろすぞ」
追い詰められた男を前に、合流した途端言い争いを始める女たち。
だが、そんな茶番を繰り広げる彼女たちにうんざりした中年の男は、汚い唾をまき散らしながら叫んだ。
「な!何なんだお前らはッ!一体、何の恨みがあって俺たちの邪魔をするんだッ?!」
「うへぇー、人のシマで好き勝手やってた連中がよく言うよ。本当はこうなるリスクわかってやってたんだろー?こんの白々しいおっさんめ!」
「人の、シマ……?……ッ!!お前ら、『コル・セナルド』の手下かッ!?」
「ぶっぶー、ハズレ。正しくは犯罪組織コル・セナルドのボスから依頼を受けて来た、ただの”なんでも屋”でしたー♪……あ、これ言っちゃいけないやつか?」
左右の人差し指で×を作り、ふざけた様子で彼女は笑う。わざとらしく、まるで相手をおちょくるかの様なその言い回しは、ただ聞いているだけでも腹立たしい。
「なんでも屋……ま、まさか、お前らが例の銭星か……!!」
「おー、今度は正解。ピンポンピンポーン♪……つーわけでおっさん、悪いけど死んでくんない?色々聞かれちゃったし、アンタ等は別のおっさんの怒りを買っちゃってんだよね」
両手を叩き、笑顔で正答を祝福する。
……しかし、その後コロッと態度を変え、至極真っ直ぐな瞳で彼女は言った。
「……いいの?ドネ、コイツも殺しちゃって。……なんか、知ってるかもよ?」
「んー?まあ、問題ないでしょ。どうせ下っ端だろうし、大したことは得られないから」
「……ん」
殺害の許可が出たことにより、未だ煙を吹かしている女が男に近づく。血濡れた手を軽く開いて、そして強く握り込んだ。
「くッ……来るなって、言ってんだろぉがああぁぁあ!!」
恫喝にも怯まず、近寄ってくる彼女に男は声を張り上げる。そして、ふらふらと足元がおぼつかない中服の内ポケットに手を忍び込ませ、そこから黒い鉄の塊を取り出した。
「……あー、それが最近巷で流行ってるっていう拳銃……だっけ?成金主義の連中が創り出した、最新の小型武器……魔法がひしめくこの世の中で、面白いことを考えるよね」
「……あれなら、魔法が使えなくても簡単に人を殺せる。……あたしは要らないし、効かないけど」
利き手で拳銃と呼ばれるくの字型の武器を構える男に、女は構わず真っ正面から突っ込んで行く。とても常人とは思えない速度で、凡そ数メートルはあったであろうその距離をたった一度の踏み込みで彼女は詰める。
そうして拳銃の間合いの内側に入った女は、拳を固めた腕を後ろに引いた。
「……これなら、”撃つより先に打てる”」
「うひゅっ……クソッ!!化け物がぁ――――」
――彼がその汚い言葉を吐き切る前に、彼女の拳は音速を越え男の頭の上を通過する。もはや遅れて聞こえる激しい殴打音に、風圧とちょっぴり生臭い匂い。結果、そこには激しく飛び散った血渋きと、首から上が無い死体がだけが横たわっていた。
「うへぇ、グロ……相変わらずの馬鹿力ですねぇ、アリスちゃん?」
「……ドネが殺れって言ったんでしょ。……それより、んっ」
真っ直ぐ正面からの一撃だったためか、たった今一人の人間を殺した彼女の身にはほとんど返り血が映ってはいなかった。そして、そんな中年男の遺体から回収した戦利品ともいえるアタッシュケースをもう一人の彼女に差し出す。
そのケースこそが、今回彼女たちが受けた依頼の中で最も重要なモノであった。
「はいはい、そーでしたね――って、重っ?!あのおっさん、こんなもん持って走ってたのかよ。執念が凄いな……まあ、兎にも角にもこれで任務完了ってことで」
「……早く報酬受け取りに行って……飲みに行きたい」
「お!いいねー、わかってんじゃ~ん。そう言えば私らの行きつけのあの店、少し前に新しい子が何人か入ったらしいで?結構幅広く雇ったらしいし、いい子見つかるかもよ~?」
「……ホント?……楽しみ」
「ね。まーその前に、セナルドのおっさんのところに行かないとなんだけど……つーか、アリスは先に風呂に入れ。そんな血塗れだと見てるこっちが萎えるわ」
獣人の彼女はもう一人の女にビシッとそうとだけ言って、踵を返す。対し、言われた彼女は「……返り血、殆ど浴びて無いけど……」と小さな反論を漏らしていた。
******
――この国の全ての犯罪が集う、超巨大なスラム街。
非政府都市【コルアバド】。国家が統治することを諦め、関与すら否定し匙を投げた悪と悪人の掃き溜め。ここに住むのは、人の世から外れ堕ちこぼれた人並み以下の者。もしくは、そこで生まれ育ち普通の暮らしを求め日々身を売りさばく者。或いは、犯罪と暴力の限りを尽くし都市内での勢力を拡大させようと画策する者。ここに居る大半がそのどこかに属しており、そして大抵は夢半ば死んでいくというのがコルアバドの日常である。外部からの訪問は堕ちてくる以外には殆どなく、望んでこの街に来る者など命知らずか頭のおかしい奴しかあり得なかった。
……しかし、そんな場所でもほんの僅かに頭半分ほど秀でた者達が居た。総じて”屑ども”しかいないこの街で、彼らを束ね組織を立ち上げた同じ屑である。それは『犯罪組織』、『暴力集団』、『魔薬カルテル』など形態はさまざまであるが、実質的にこの都市は各組織のトップが統治する地域で実権を握っていると言って差し支えなかった。その種、大きく分けて四つほど。またそれらの中で今最も勢力を拡大させ非政府都市コルアバドを裏から牛耳ろうと暗躍しているのが、巨大犯罪組織【コル・セナルド】であった。
「────へいっ!セナルドのおっさん、頼まれてたモノ回収してきたよ~ん」
非政府都市コルアバド南の一角、そのとあるビル内に位置するコル・セナルドの事務所に私はずけずけと入り込む。手元には先程回収したやたら重いアタッシュケースを持ち、それをボスのセナード・ルイスの前に差し出した。より正確には、彼の座っていた椅子の前に置かれた机の上に、ドカッとね。
「……思ったより、早かったな。いつも助かる」
だが、そんな一見無礼な私に対して彼はそれを特に気にした様子は無かった。いつも通りの傷だらけで睨むだけで人を殺せそうなその人相をピクリとも動かすことは無く、ずっしりとソファーに腰かけながら静かに私たちを見ている。
「いやいや~、気にせんでくだせーよ。こっちもセナルドのおっさんには色々お世話になってるもんで。うちは基本、面倒事を避けるためにどっかの組に深く肩入れしない主義なんですが……おっさん直々の頼みとありゃぁ断れねぇな。私らの好みもよぉ~く把握してるし?」
「ああ、わかってる。だから毎回きっちり報酬を支払ってんだ。……お前ら二人がウチに入ってくれれば、頭金をその倍は出すんだがな」
「あはっ☆ごめ~んだけど、それはお断り♪セナルドのおっさんたち嫌いじゃ無いケド、私も私の相方も何かに縛られるのが一番嫌いなんだよね~」
私は笑いながらそう言って、背後で無言で立つアリスを指差す。しかし何故か当の本人はどこ吹く風で、只ぼーっと私たちの会話を聞いていた。それは彼の誘いに対し前向きではないということを示しつつ、そもそもこの会話自体にも興味がないことを表している。
そして、そんなボス直々の入会を断る私達に対し、彼は再度重苦しそうな口を開いた。
「それもわかっている、言ってみただけだ。こっちとしては惜しい話だが、仕事をちゃんとこなしてもらえば文句は無い。今後もお前らには依頼を出す」
「ご好評いただき感謝致しますぅ!うちは信頼と実績で成り立っておりますんで、是非とも御贔屓にっ。……ところで、セナルドのおっさん。今回私達が依頼で持って帰ったコレ、一体何だったの?めーちゃ重かったんですけど」
わざとらしく、両手の平をスリスリと合わせ胡麻を擦る私。されども無駄な演技も程々に、私は今聞くべきそのブツの詳細について尋ねた。
「ん、コレか?――――これは、最近この都市に流通し出した新種の《魔薬》……の原料だ」
「ほぅ?」
すっとぼけた様子で聞く私に、彼は持ち帰ったアタッシュケースにトントンと指を立てながらそう答えた。
『魔薬』……それは、国で所持や製造を規制された”魔力を帯びた”薬の総称である。
本来薬は身体に良い作用をもたらす用途で作られ、製造方法や使用する魔法や薬品を国に申請し製造許可が下りて初めて生まれる代物である。しかし、その中にはある意味良い作用をもたらし、身体を害する薬が存在する。それは体内に取り込むことで多種にわたる幸福感を引き起こし、中には跳躍的に身体能力や魔力量が向上すると言った物理的な効果を得られるものまで存在する。だが、違法な薬である以上デメリットも存在し使用者の健康被害や寿命を縮めるといった副作用をもたらす。それが魔薬であり、これらはこのコルアバドでは頻繁に取引されているものであった。無論所持も含め売買自体も違法行為であるが、それでも魔薬には中毒作用も備わっている関係上継続的に高く売れ続けるというわけだった。
なるほど、さっき死に晒したおっさんが『取引だ』何だとほざいていたのは、このことだったのか。
「なるほど、新種の魔薬ねぇ。で、ボス。従来の魔薬と比べてどの辺が新しいんだい?」
「一番の違いは、製造コスト自体が軽いところだな。今までの魔薬は普通の薬の効果を魔力で無理矢理引き上げて作るもんだから、材料がすぐ手に入る代わりにそいつを作れる魔法使いかなんかを雇って働かせる必要があった」
「ふむふむ」
「だが、今回のコイツは”ある種類の植物”を原料に、比較的簡単に誰でも製造できる利点がある。原材料の調達だけが少々面倒だが、植物の元さえ手に入れば後は適当に魔力を少量振りまくだけでいい。だから最近、コレが大した元手の無い奴等を中心に急速に流行ってるって話だ。……って、この辺のことは事前にお前らに説明しとけって若いもんに言っておいたが?」
懇切丁寧な説明をしてくれるボスに、私はなるほどと相槌を打つ。だが、それらの事実は本来私達には先に報せておくつもりだったようだ。勿論全くそんな話聞いてないけど。
「んにゃ、聞いてないよ?そんな長い話を覚えられる連中でもないでしょ。……でも、それならなんでわざわざ小遣い稼ぎしてただけの奴等に私らを宛がったわけ?今日行ったとこ、ただの廃倉庫に集まって適当に客に売りさばいてた変なおっさん達しかいなかったよ?」
「ったく、あいつら……あぁ、本当ならわざわざお前達に頼むような仕事じゃない。だが、今回はその小さな取引がウチのシマで行われていたことと、後もう一つ……まだ定かじゃないが、『ヴァギナ・ゴートン』が関与してる可能性があった。だから念のためにプロのお前らに依頼したってわけだ」
ヴァギナ・ゴードン、それもまたここコルアバドで暗躍する犯罪集団の一つだ。扱っているのは主に魔薬関係のモノらしく、所謂魔薬カルテルと呼ばれている連中である。
ちなみに、私はその組織の名前の響きが街で蠢く犯罪集団の中では一番好きだったりする。
「なーほーね、話は分かったよ。でもそんな大事なことなら、最初に聞いておきたかったなー。ワンチャンその場の誰かを生け捕りに出来たかもしれないし、他にも情報掴めたかもよ」
「ああまったく、お前の言う通りだ。こっちのミスだ、悪かったな。……だが、どっちにしろブツの回収だけで事は足りていた。どうせその場にいたのは組織の末端から薬を売ってもらっただけの
話によると、新種の魔薬を作る際に用いられる原材料、ある種の植物を詳しく調べれば魔力の痕跡等で分かることがあるらしい。誰が作ったのか、どこで栽培しているのかなども確実では無いが知れるのだとか。
もっともそれを調べたりすることは私たちの管轄でもないし、依頼された仕事にも含まれていないのでどうでもいいことなのだが。
「というわけだから、お前らの仕事はこれで十分だ。報酬はいつも通り、現金一括その場払いでいいんだな?」
「勿論、うちはそれ以外受け取らないよ~」
「わかった。じゃあ若い連中に用意させてあるから、帰りがけに下の階で受け取ってくれ……ついでに、軽く叱っといてくれると助かる」
「おやおやボスぅ~、それは依頼ですかっ?……悪いけど、自分達の若いもんの失態は自分達でケツ拭いてよ。てか私、可愛い女の子のお尻以外触りたくないし♪」
「……相変わらずだな。今日もウチの酒場で飲んでいくのか?」
「うん、アリスも乗りきだからそのつもり。適当に頂いておきますねー♡」
私の軽口に、彼は尚も苦笑いを浮かべていた。
互いに、腹の内では何を考えているかは分からない。されど、一つだけこのおっさんを信頼できる点がある。
――――それは、『女の趣味が合う』というところだ。
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