My favorite things
ふと、日が覚めた。私は全裸で冷め切った湯の中に沈んでいた。息が苦しくて、必死にもがく。発生源が不明の罪の意識から逃れようと、もがく。
左右の縁に手をかけて、私は体を持ち上げる。幼児のように浴槽で溺れかけた自分を恥ずかしく思いながら、私は湯船からの脱出を果たした。体にコールタールのようにまとわりついていた水が、落ちた。夕立のような音が、狭い浴室に響き渡る。
湯冷めした体が、非常に不快だった。寝覚めの悪い朝のような、奇妙な倦怠感が体を包み込んでくる。しかし、その不快さは歓迎されるモノだった・それは私が、自分は生きていると自覚することを助けてくれた。
眼前に垂れ下がってきた、潜れた前髪を掻き上げた。徐々に、頭がさえてきた。
私は十数時間前、それまで三年間ほど交際を続けていた人と、離縁した。唐突に相手に別れ話を突きつけられたのだった。
と、急に強烈な不快感を覚えて、私は浴室の床にうずくまった。二日酔いだ。脳裏に、自宅の床に転がった安酒の缶の山が思い起こされる。一体私は、婦宅してからあの安い発泡酒を何本開けたのだろうか?
アセドアルデヒドの十字砲火の中、すでに私の脳は瀕死の状態だった。四つん這いにいつくばりながら、引いては押し寄せてを繰り返してばかりの吐き気に文句を言おうとする。しかし、私の口から出てきたのは鳴暇だった。何に悲しんでいるのか、それさえもわからず私は急に泣きにゃくり始めた。酔いのせいで情緒不安定な人間のような行動ばかりしてしまう自分に腹が立った。
十数時間まえ、私はその交際相手の部屋の中にいた。そのとき、私はまだあの人のパートナーだった。いや、私から見れば彼は私の愛人だった。私が正当な権利を持って愛せる人がいるという事実は、それだけで私を幸福にしてくれた。
私は、彼の愛情を信じ切っていた。いや、過信していたという方が正しいのかもしれない。ニ十一歳にもなって、私は社会の現実を見ようとせず、あの人のの“私は一生おまえのそばにいる”だとが”愛は永遠だ”なんて腐りきった言葉を過信していた。他人同士の愛情ほど軽薄で、不安定なモノはないというのに。それを知っていたというのに。
だからこそ、愛しいあの人の口から紡ぎ出されたという言葉を、私は、の悪い冗説か何かだと解釈した。
「おまえ、気持ち悪いんだよ」
「突然どうしたの?ねぇ?どうしたの?」
「いや、俺は気づいたんだ。本当は、おまえは俺を必要としていない」
あの人の口調は淡々としていた。そこにはマイナスの感情も、プラスの感情も、何も感じられなかった。ただただ、ニュートラル。
私は困惑した。
「突然何を言い出すんだ?」
「私は、おまえが私を、私と同じように愛してくれていると思っていた……。私は君を、人間として愛していた。きみは、私の“恋人”という肩書を愛していたんだろう?私は、これしか言わない」
そう言うとあの人は、無表情のまま玄関を指さした。帰れということだ。私は、久しく”思考が停止する”ことを味わった。それは、さびた鉄の味がした。違和感を感じて、口内を下で確かめる。私は、無意識の内に舌を少しだけ噛み切っていた。
また、強烈な不快感が襲ってきた。私は今度こそ職吐した。びちゃびちゃと不快な音と不快な匂いが不快な浴室に立ちこめる。
「不快だァ」
口に出していってみる。さらに不快な気分が強まっただけだった。追い打ちをかけるように、浴室に充満した吐しゃ物の匂いが私に頭痛を思わせる。
よろめきながら、私は立ち上がった。よろよると。重息のように、壁に背を預けながら少しずつ立ち上がる。首が持ち上げられるにつれ、頭痛がひどくなってくる。それでもなんとか、私は二本の足で立ち上がり、浴室から脱走した。しかし、せっかく“地獄”から逃げ出したというのに、脱衣所で私はまた転んでしまった。その拍子に、棚からタオルが何枚も、何枚も落ちてきた。
「ううう」
吐しゃ物を顎にひっつけたまま、私はうなった。とにかく顎についた吐しゃ物を落とそうと、私は目の前のタオルをつかんだ。ぼやけた視界に、タオルに舗されたあの人の名前が見える。
「クソがッ」
私はタオルを振りかぶり、投げ捨てた。自分を不供にさせるすべての物から、とにかく逃げたかった。嘘ばかりつく人間から。いつも監視してくる社会から。矛盾ばかりの記憶から。
自分だけが味方だ。
ふと、自らの手を眺める。それまで、美しい手と増れ惚れしていた手は、ひどく醜く見えた。
自分の体に張り付くこの皮が、どうしようもなく醜く、まるでゴム手袋のように見えた。
私は絶叫した。
First Note - A 照川 重 @Sigeru-Terukawa
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