第2話:濡れ衣のサインボール



第二話:フェンス際のミラクルキャッチと、濡れ衣のサインボール


じりじりと太陽が照りつけ、グラウンドの土埃を嫌というほど舞い上がらせる。あの、アイスとコーラで打席が売られ、謎の少年の場外ホームラン(と窓ガラス破壊)で幕を閉じた衝撃の第一話から数週間。俺たち「リバーサイド・イーグルス」は、あの後の壮絶な弁償交渉と近所への謝罪行脚を経て、少しやつれた顔でグラウンドに立っていた。


今日の相手は、因縁のライバルチーム「ブラックタイガース」。練習試合とはいえ、負けられない相手だ。だが、グラウンドにはいつもの熱気とは違う、妙な緊張感が漂っている。あの神出鬼没の「乱入者」の噂は、どうやらブラックタイガースの耳にも入っているらしい。彼らもプレーの合間に、しきりにフェンスの外や木陰に視線を送っている。


「おいマサル、今日こそ変な取引するなよ。特にアイスが絡むやつは絶対ダメだかんな!」

先発マウンドに上がる俺、ケンタは、監督命令でキャッチャーマスクをかぶらされているマサルに念を押す。第一話の元凶はこいつなのだから。

「へーい、分かってるって。でもさ、あのチョコミント、マジで絶品だったんだよな…期間限定だったし…」

「まだ言うか! 少しは反省しろ!」

こいつの食い意地は、チーム最大の弱点かもしれない。


試合は始まった。序盤は両チームとも硬さが見られ、互いにランナーは出すものの、決定打が出ない。俺も相手打線を抑えながらも、どこか投球に集中しきれない。バックネット裏、外野フェンスの向こう、木陰…視界の端に、あの小さな影がちらつく気がしてならないのだ。トラウマというやつか。


試合が動いたのは中盤。ブラックタイガースに連打を浴びて3点を失う。しかし、その裏、俺たちの打線も奮起し、なんとか同点に追いついた。3-3。試合は再び膠着状態に入る。


そして迎えた7回表、イーグルスの攻撃。ツーアウト、ランナー無し。

バッターボックスには、我らがキャプテン、ゴウダ。チーム一のパワーヒッターだ。筋肉隆々の体から放たれる打球は、当たればとんでもないことになる。相手ピッチャーも警戒して、慎重にコーナーを突いてくる。


カウント2-2からの5球目。相手ピッチャーが投げた渾身のストレートが、わずかに甘く入った。


カキーーーーーーン!!!


金属バットが空気を切り裂く快音!完璧に捉えられた打球は、高い、美しい放物線を描いてレフト方向へ!

「いったーーーーっ!!」

ベンチが総立ちになる。確信歩き、とはこのことか。ゴウダはゆっくりと一塁へ向かって走り出した。誰もが勝ち越しホームランを疑わなかった。


白球は青空を切り裂き、ぐんぐん伸びていく。レフトの選手は早々に追うのを諦め、フェンスにもたれかかって見送る体勢だ。


その、瞬間だった。


レフトフェンス。その一番高いところに、いつの間にか、小さな人影が軽々と立っていた!

少し色褪せた、見覚えのあるイーグルスのユニフォーム。間違いない、アイツだ!


「「「!!?」」」


グラウンド中の視線が、その小さな影に釘付けになる。

次の瞬間、少年は、まるで忍者のようにフェンスを蹴り、驚異的な跳躍力で宙を舞った!

重力など存在しないかのように伸ばされた小さなグラブが、まさにフェンスを越えようとしていたホームランボールを、信じられない体勢で吸い込んだのだ!


スパァン!!


まるで映画のワンシーンのような、華麗すぎるスーパーダイビングキャッチ!

グラウンドは、一瞬にして静寂に包まれた。


「……は?」

「…捕った?」

「…アウト…なのか?」

「いや、あれ、うちのユニフォームじゃん!?」

「…あ! アイツだ!! 第一話の!」


そうだ、あの迷惑千万な乱入者だ!

なぜ!? なぜ味方のホームランボールを捕る!?


「こらーーーっ!! 何しとるんじゃーーーっ!! それはホームランだろがーーーっ!!」

ベンチから監督の怒号がグラウンドに響き渡る。

ホームランを確信していたゴウダは、二塁ベース手前で膝から崩れ落ち、呆然と空を見上げている。

相手のブラックタイガースも、「え? え? 何これ? アウト? セーフ? ラッキーなの? でも敵が捕った?」と大混乱。審判は帽子を取って頭を掻きむしり、必死にルールブックを思い出そうとしている。


当の少年は、捕ったボールを高々と掲げ、満面の笑み。まるで世界を救ったヒーローのように、得意げに胸を張っている。

「よっしゃー!」と叫んだ声が、微かに聞こえた気がした。


だが、狂気の沙汰はこれで終わらなかった。


少年は捕ったボールをグラウンドに向けて見せつけるように掲げると、おもむろにズボンのポケットから黒いマジックペンを取り出した。そして、こともなげに、そのホームランボールに何かをサラサラと書き始めたのだ。


「おい、何やってんだアイツ…」

「記念のサインボールでも作る気か?」


グラウンド中の困惑をよそに、少年は書き終えたボールを再び高々と掲げた。

白い硬球に、太いマジックで書かれた、その文字は…


『けんた』


「「「はぁぁぁぁっ!?」」」


俺、ケンタはマウンド上で目を剥いた。なんで俺の名前!? しかもひらがな!? しかも俺、ピッチャーだし! 打ったのゴウダだし!


混乱の極みに達した俺たちを尻目に、少年はニヤリと邪悪な笑みを浮かべると、次の瞬間、想像を絶する行動に出た。


彼は、その「けんた」と書かれたボールを、グラウンドとは逆方向、隣接する別の民家――前回とは違う、小綺麗でモダンな二階建ての家――に向かって、渾身の力で投げつけたのだ!


ガッシャーーーーーーーン!!!


デジャヴュを超える、けたたましいガラスの破壊音!

窓ガラスだけじゃない、何か高価そうな置物でも一緒に砕け散ったような、派手な音が響き渡った!


「うわああああっ!」

「またやりやがった!!」

「今度は違う家だぞ!」


グラウンドは阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。


少年は、その大混乱を丘の上から見下ろす悪魔のように満足げに見届けると、素早くフェンスを飛び越え、どこからともなく現れたピカピカのBMX(どこで手に入れたんだ?)に飛び乗り、猛スピードで走り去ってしまった。


「待てーーーっ! このクソガキィィィーーーッ!」

「今度こそ捕まえてやるーーーっ!」

イーグルスの選手、ブラックタイガースの選手(もはや試合どころではない)、審判団、両チームの監督・コーチが一斉にフェンスに向かって走り出す!


だが、彼らがフェンスにたどり着くよりも早く、新たな、そして前回のおばさんよりも数段ヤバそうな怒号が、破壊された家から響き渡った。


「どこのどいつだコラーーーッ!! 『けんた』ぁ!? ふざけた名前書きやがって! 出てこいゴルァァァァァ!!!! ぶっ殺してやる!!!!」


玄関から飛び出してきたのは、見るからにカタギではなさそうな、金のネックレスに派手なジャージ姿、腕には立派な「絵」が入った、ガタイのいいお兄さん(推定年齢20代後半)だった! その手には、ご丁寧に「けんた」とマジックで書かれた、証拠品の硬球が握られている!

そして、血走ったその目は、一直線に…マウンド付近で立ち尽くす俺、ケンタを捉えた!


「あ? お前か! そのツラが『けんた』か!」


「ち、ちち、違います! 俺じゃないです! 無実です!」


俺が必死に弁明しようとした瞬間、監督が俺の腕を掴んだ。その顔は蒼白だ。

「ケンタ! 問答無用! 今すぐ逃げるぞ!」

「ええっ!? なんで俺が!」


「いいから! 説明は後だ! あの兄ちゃんはヤバい! 全員、撤収!!」

監督の指示が飛ぶ。


かくして、練習試合は史上最悪の形で強制終了。俺たちリバーサイド・イーグルスは、怒りに燃える元ヤン(現役?)風のお兄さんから逃げるように、蜘蛛の子を散らすようにグラウンドを後にする羽目になったのだった。マサルは隣で「ケンタ、ドンマイ!(笑)」と、やはり他人事のように笑っている。お前のせいでもあるんだぞ、絶対に!


遠くの坂道をBMXで軽快に駆け上がりながら、例の少年は、後ろで繰り広げられているであろう大騒動を想像し、クククと満足げに喉を鳴らしていた。ポケットの中には、ゴウダキャプテンのホームランボール(けんたサイン入りとは別の、最初に捕ったやつ?いつの間に?)が大事そうにしまわれている。


「さて、次はどこのグラウンドで、どんな『挑戦』をしようかな…」


濡れ衣を着せられた俺、ケンタ。暑くて、長くて、そして理不尽すぎるにも程がある夏は、ますます混迷を深めていくのだった…。


(第二話 了)

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