第2話 左に傾く人

 片桐は、左へ左へと寄ってしまう男だった。


電車に乗れば、知らぬ間に人へ寄りかかり、会議では隣の席にずり落ちた。重心が狂っているのかと医者に相談しても、「異常なし」と言われるばかりだった。ついには「気のせいじゃないですかねぇ」と、医者にもさじを投げられた。


そんなある日、いつものように左へふらついた先に、ひとりの少女が立っていた。


「あなた、過去に引っ張られてるのよ」

透き通る声だった。少女は小さなリュックを背負い、何も言わず片桐を見上げていた。


「な、何だって?」

「左って、“戻る”方向でしょう? あなたの心が、置き去りにした何かを引きずってるの」


片桐は言葉を失った。誰にも言えず、言わずにきたことが山ほどある。謝れなかった親友。終わりを告げられた恋人。あきらめてしまった夢。


少女は言った。

「夜になったら、空を見て。まっすぐになるヒントがきっと見つかるわ」


その晩、片桐はベランダに出た。冷たい風が吹く中、星空を見上げてみる。胸の奥で、誰かの声がよみがえった。


「お前なら、きっと大丈夫だ」

「ちゃんと向き合ってほしい」


「もういい加減、許してくれよ」

ぽつりと呟いたとき、不思議なほど肩が軽くなった。


「ありがとう」

誰に向けてか分からないまま、そう口にしてみた。


翌朝。目覚めた片桐は、いつものように立ち上がり、驚いた。


「あれ? 傾いてない」

ふらつかず、どこにも寄りかからずに、まっすぐ立っていた。


彼はまっすぐにドアを開け、久しぶりに差し込む朝日を真正面から受け止めた。


あの少女とは、再び会えることはなかった


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