桜と、たまに君(1)

校門の前、どこか気の抜けた風が桜を揺らしていた。

白と淡いピンクが、空に溶けていく。


「……今年も、ちゃんと咲いたな」


ぽつりと呟いた俺の背中に、元気な声が飛んできた。


「おーい、海翔ー!」


振り向くと、咲良がコンビニ袋を振り回しながら走ってきた。

制服のリボンが風に揺れている。


「なにしてんだよ」


「見てよこれ、花見セット!」


得意満面の顔で袋を掲げる。

……けど、袋の口から見えるのは、チョコレートとペットボトルのミルクティー。


「……それ、花見って言わねぇだろ」


「いーの! 雰囲気だよ雰囲気!」


そう言って無理やり袋を俺に押しつけてくる咲良。

笑いながら受け取り、重さを確かめる。


「お前、どんだけミルクティー好きなんだよ」


「ちがうちがう、チョコとミルクティーはセットなの! 今日くらい特別感出さないと!」


言ってる意味はよくわからないけど、その真剣な顔を見てると、なんかどうでもよくなった。


「……で、どこでやんの? 花見」


「ここ!」


咲良が指差すのは、校門横の大きな桜の木。

周りには生徒たちがわちゃわちゃ集まってる。


「いや、混んでんじゃん」


「大丈夫! 気合い!」


そう言って、俺の腕をぐいっと引っぱる。

自然と歩幅を合わせて、桜の木の下に滑り込んだ。


地面には、レジャーシートも何もない。

咲良はそんなのお構いなしに、制服のスカートを気にしながらぺたんと座り込んだ。


「座らないの?」


「あー、はいはい」


渋々腰を下ろすと、隣との距離が妙に近い気がして、なんとなく少しだけ間を空けた。


「ほら、チョコ!」


袋から取り出した板チョコを俺に差し出す。

指先がふっと触れる。


瞬間、心臓が跳ねた。

平然を装って受け取り、一欠けらかじる。


「……うまいな」


素直に感想を漏らすと、咲良がにっこり笑った。


「でしょー!」


満足そうに頷くその顔は、なんか、ずるい。

まっすぐすぎて、ズルい。


桜の花びらが、ふわふわと頭の上に降ってくる。

咲良が笑いながら、それを指でつまんだ。


「こういうの、さ、たまにはいいよね」


そう言った声が、ふわっと軽くて。

でも、不思議と胸に残った。


「……まあ、悪くない」


本心を隠して、わざとぶっきらぼうに答える。

咲良はにこにこしながら、ミルクティーを開けた。


「ほら、飲む?」


「お前が飲みたいだけだろ」


「一緒に飲んだ方がうまいじゃん!」


謎理論を展開して、俺の分も勝手にキャップを外す。

しょうがなく受け取って、一口だけ飲んだ。


あまったるいミルクティーの味。

ふいに、手渡されたときの体温を思い出して、舌打ちしそうになった。


咲良は空を見上げて、ぽつりと呟いた。


「来年も……桜、咲くかな」


「咲くだろ、別に」


「そっか」


それだけ言って、また笑った。

あっさりしてるくせに、ずるい笑顔だ。


本当は、「来年も一緒に」とか、そういう言葉を期待していたのかもしれない。

でも咲良は、そういうことを絶対に言わない。


だからこそ、俺も何も言えなかった。


——たぶん、今はこれでいい。


沈黙を破るように、咲良が小声で付け加えた。


「またさ、暇なとき……」


「お前、誘い方雑すぎ」


笑いながら返すと、咲良がぷくっと頬を膨らませる。


「いーじゃん、別にー!」


「雑」


「うるさい!」


怒ったように顔を背けるけど、耳の先がほんのり赤い。

その赤さが、無性に愛しくて。


けど、今はまだ、言わない。

この中途半端な距離感を、壊したくなかった。


「……またな」


立ち上がりざまに、ぽつんとそう言った。


咲良は、桜を見上げながら、ふわっと微笑んだ。

それだけで十分だった。


桜は、もうすぐ散る。

でもたぶん、また来年も咲く。


そのとき俺たちは、今日より少しだけ、大人になっているかもしれない。


そんなことを、ぼんやりと思った。

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