第16話

 物理的な攻撃だけでは、覚醒した俺を完全に仕留めることはできないと悟ったのか、神化ゼファルは、より狡猾で残忍な手段に打って出た。

 俺の精神に直接干渉し、俺の記憶の奥底に封じられていた、最も深いトラウマを、悪夢のような幻影として見せつけてきたのだ。


 研究施設での非道な人体実験の光景。

 目の前で、抵抗もできずにミユが連れ去られていった、あの日の絶望。

 自分の無力さを、ただただ呪うしかなかった、暗い過去の記憶。


「見ろ、これが貴様の原罪だ!  何一つ守れず、誰からも必要とされなかった、出来損ないの欠陥品のお前が! この神たる私に逆らうなど、片腹痛いわ!」


 ゼファルの嘲笑が、俺の脳内に直接響き渡る。

 精神的な揺さぶりで、俺を内側から崩壊させ、戦意を喪失させようという魂胆だ。


 ◇


 過去の悪夢。

 消せないトラウマ。

 確かに、俺は無力だった。

 欠陥品だったのかもしれない。

 その幻影に囚われ、一瞬、俺の動きが止まる。


 だが、その瞬間、俺の耳には、仲間たちの声が、確かに届いていた。


 エミリアの叱咤が。

 クレアの祈りが。

 リュシアの励ましが。

 ミユの呼びかけが。

 ユウトの檄が。

 アイゼルの不器用な言葉が。


「ああ、そうだな。俺は欠陥品だ。一人じゃ、何もできなかった」


 俺は、目の前に広がる悪夢の幻影を、強い意志の力で振り払うように、ゆっくりと顔を上げる。


「でもな、ゼファル。今は、もう一人じゃねぇんだよ!」


 俺は、背後で必死に戦い、俺を支えてくれる仲間たちの存在を、確かに感じる。


「俺には、こいつらがいる! 俺がどんなにダメな奴でも、ここにいろって言ってくれる奴らがいる!  俺が帰る場所が、ここにある! それだけで、俺にとっては十分すぎるくらいだ!」

 

 俺は叫ぶ。


「俺は、俺が守りたいもののために戦う! 俺の、大切な“居場所”のために! それ以上でも、それ以下でもねぇんだよ!」


 世界の救済だとか、神への反逆だとか、そんな大層なものじゃない。

 ただ、この騒がしくて、面倒で、けれどどうしようもなく温かい、俺の居場所を守りたい。

 そのシンプルな、しかし何よりも強い覚悟が、俺の中の最後の迷いを完全に振り切らせた。


「これが、俺たちの、俺と、こいつらの全部だッ!!!!」


 俺は、仲間たちから流れ込んでくる全ての想いを、俺自身の存在そのものを、そして、この世界との繋がり、その全てを触媒として、俺の中に覚醒した究極の能力――「コード・オーバー(理不尽改変)」を、解き放つ。


 それは、神化ゼファルの存在を支える根源的な法則――異空間からの無限のエネルギー吸収と、世界の物理法則・魔法法則に対する絶対的な支配という“概念”そのものを、「最初から、そんなものは存在しなかった」という結果に、強引に書き換えてしまうという、因果律すら超越する、文字通りの“理不尽”な一撃だった。


 俺の身体から放たれた純粋な白い光は、もはや光というよりも、存在そのものの奔流。

 それは世界全体を白く、白く染め上げていく。


 俺の存在全てを懸けた「理不尽改変」の一撃と、神としてこの世界を完全に支配しようとするゼファルの絶対的な力が、真正面から衝突する。


 空間が引き裂かれ、時間が歪み、世界の法則そのものが悲鳴を上げる。

 光と闇、存在と無、秩序と混沌が激しく入り混じり、全てが無に帰してしまうのではないかと思えるほどの、圧倒的なエネルギーの奔流が、世界を覆い尽くす。


 勝敗が決したのは、一瞬だったのか。

 それとも、永遠とも感じられるほどの時間が流れたのか。


 やがて、光が収束していく。


 俺の放った「理不尽」が、ゼファルの「神性」を、確かに上回った。

 神化の核となっていた、世界の法則を支配するという概念そのものが書き換えられ、ゼファルの身体を構成していた幾何学的な光が、急速にその輝きを失っていく。


「ば、馬鹿なありえない!  この私が全能たる神である私がこんな世界のバグ如きにぃぃぃ!」


 自らが作り出した法則を、それ以上の理不尽によって覆されるという、理解不能な敗北に、ゼファルは絶叫する。

 彼の存在を維持していたエネルギーが霧散し、その身体は光の粒子となって、急速に消滅していく。


「だが忘れるな、イレギュラー!  貴様もまた、その力の代償として私と共に、この世界から消え去るのだ!」


 最後の呪詛のような言葉を残し、神を名乗った哀れな男、ゼファル=ロイドは、跡形もなく完全に消滅した。



 ゼファルが消滅したのと、ほぼ同時だった。


 究極の能力を解放し、存在そのものを燃焼させた俺の身体もまた、その限界を完全に迎えていた。

 覚醒した力は、あまりにも強大すぎた。

 それは、俺という個の存在を、この世界の法則の中に留めておくことを許さなかったのだ。


 俺の身体は、今度こそ、もう誰にも止められない速度で、足元からゆっくりと、光の粒子となって霧散し始めていた。


「イオリ!」「イオリくん!」「いやあああ!」「嘘だろ、おい!」


 仲間たちの悲痛な叫び声が、遠くに聞こえる。

 俺は、薄れゆく意識の中で、必死にこちらへ手を伸ばす彼らに向かって、最後の力を振り絞り、できるだけ穏やかな笑顔を作ってみせる。


「わりぃみんな。ちょっと眠ぃ、や。おやすみ」


 その言葉を最後に、俺の姿は、完全に白い光の中に溶け込み、仲間たちの目の前から、完全に消えていった。


 ◇


 激しい戦いが、嘘のように終わった。

 後に残されたのは、破壊された学園の残骸と、深い静寂だけ。


 そして、俺が最後に立っていた場所には、リュシアが兄から受け継ぎ、俺の存在を繋ぎ止めようとした、あの古びたペンダントだけが、地面にぽつんと落ちていた。


 それは、俺、如月イオリが、確かにこの世界に存在したという、最後の証のように。

 そして、まだ仲間たちの想いが、消えたはずの俺と微かに繋がっていることを示すかのように。

 ペンダントは、周囲の瓦礫の中で、ひっそりと、しかし確かな光を放ち続けている。


 仲間たちは、言葉もなく、ただ呆然と、その小さな光を見つめていた。

 空からは、まるで彼らの流す涙を洗い流すかのように、いつの間にか、静かな、静かな雨が、降り始めていた。


 勝利の喜びなど、どこにもない。

 ただ、どうしようもないほどの、深い喪失感だけが、そこに満ちていた。

 

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