第12話

 激しい戦闘の衝撃と、地下施設に満ちる負の感情――恐怖、憎悪、絶望――に、ミユの繊細な精神が感応してしまう。


「あ……あぁ……! やめて……!」


 彼女の瞳に、制御不能となった未来の断片が、悪夢のように次々と映し出される。

 炎に包まれ崩壊する学園。

 血を流して倒れていく生徒たちの姿。


「いやあああああああ!」


 ミユは悲鳴を上げ、彼女の力が暴走しかける。

 周囲の空間がぐらりと歪み、壁や床に亀裂が走る。破壊的なエネルギーが、彼女を中心に溢れ出そうとしていた。


「ミユ、しっかりしろ! 俺を見ろ!」


 俺は慌てて彼女を強く抱きしめる。

 彼女の未来視能力は、使い方を誤れば、自他共に破滅しかねない、あまりにも危険な力だった。


 ◇◇◇

 

 離れた場所で戦況をモニターしていたゼファルは、ミユの精神的な動揺を、計画を進めるための絶好の機会と捉えた。

 彼はほくそ笑みながら、隠し持っていた小型の遠隔制御装置を操作する。

 それは、かつてミユの脳内に秘密裏に埋め込まれた、微小な魔導干渉チップを起動させるためのものだった。


 ゼファルは、そのチップを通じてミユの異能を強制的に暴走させ、この地下施設ごと、邪魔な存在全てを破壊し尽くさせようと企む。


「さあ、ミユ! 君の真の力を見せなさい! 世界を終わらせるほどの、美しくも残酷な破壊の力を!」


 ゼファルの歪んだ声が、まるで悪魔の囁きのように、ミユの脳内に直接響き渡る。


 ◇◇◇


「ぐっ……あ……いや……やめて……!」


 ミユは頭を抱えて激しく苦しみだし、彼女を中心に空間が激しく捻じれ始める。

 壁が砕け、床が裂け、破壊的なエネルギーの奔流が、今にも解き放たれようとしていた。


「させるかァッ!」


 俺はミユを強く抱きしめたまま、自身の超能力――“理不尽フィールド”を、これまでにないほどの最大出力で展開する。

 それは、物理法則や魔法だけでなく、ミユの異能そのものにも直接干渉し、暴走しようとするエネルギーを、内側から強引に抑え込むという、無茶苦茶な試みだった。


「ミユ!  俺の声を聞け!  俺を見ろ!  お前の力は、そんなことに使うもんじゃねぇだろ!  思い出せ! 俺との約束を!」


 俺の必死の叫びが、ゼファルの邪悪な洗脳に抵抗するように、ミユの精神の奥深くへと届いていく。

 俺の異能と、ミユの異能が、激しくぶつかり合い、空間にバチバチと火花を散らす。


 俺がミユの暴走を食い止めるのに集中している、その無防備な隙を突き、一体の影が音もなく俺の背後に接近していた。

 歴戦の勇士であることを窺わせる、厳格な顔つきの壮年の男。

 その手には、異能の力を封じるために特別に調整された、禍々しい光を放つ魔導杖が握られている。


「目標(イオリ)の能力干渉を確認。これより、危険異能者確保及び、その能力の完全封印を実行する」


 男は冷静に状況を分析し、俺にとって最も危険で、最も無防備なタイミングを狙って現れたのだ。


 男は即座に行動を開始した。

 詠唱破棄に近い驚異的な速度で、幾重もの複雑な魔導封印術式を、俺と、俺が抱えるミユに向けて同時に放つ。

 それは、異能者の能力の根源に直接作用し、その力を内側から縛り上げ、完全に無力化するという、対異能者用に特化された、魔導師会の切り札ともいえる秘術だ。


 だが――。


「悪いな、おっさん。俺の力は、アンタらの常識や物差しじゃ、測れねぇんだよ」


 俺はミユを守りながら、迫りくる封印術式を睨みつける。

 俺の理不尽フィールドが、術式そのものの法則性に干渉し、弾き、歪め、あるいは完全に無効化していく。

 男の放った切り札は、俺に届く前に霧散してしまった。


「なっ……!?  ば、馬鹿な!  対異能者用に最適化された、私の絶対封印術が……全く効かないだと!?  ありえん!」


 歴戦の指揮官である男が、初めて明確な動揺の色を見せる。

 男の経験則、魔導師会の切り札が、目の前の、まだ年若い少年に全く通用しないという、信じがたい事実に。


 俺は、そんな奴を挑発するように、ニヤリと笑ってみせた。


「ならば、これならばどうだ!」


 男は奥の手とばかりに、杖を天に掲げ、周囲の空間そのものを固定し、最大級の封印結界術を発動する。

 紫色の光で編まれた巨大な檻が、俺とミユを完全に包み込もうとした、その瞬間。


 フッ――。


 俺の姿が、まるで陽炎のように、その場から掻き消えた。

 男の放った光の檻は、空しく空を切る。


 そして数秒後、俺は何事もなかったかのように、男の背後に、ミユを抱えたまま再び出現していた。


「…… なんだ?  瞬間移動……?  いや、空間ごと飛んだような……?」


 俺自身、何が起こったのか完全には理解できていない。

 無意識のうちに、何か新しい力が発動したようだ。

 空間を断絶し、別の座標へと転移するような……?


 背後に突然現れた俺に気づき、男は驚愕に目を見開き、冷や汗を流す。


「……き、貴様、一体、何者なのだ……」


俺が男と対峙している間に、他の討伐部隊員たちが、隙を突いてミユを奪おうと襲い掛かってくる。


 クレアが身を挺して光の壁を展開!

 エミリアが巨大な氷の壁を生成!

 リュシアが高位の攻撃魔法で敵を一掃!

 アイゼルが雷撃で残りの敵を薙ぎ払う!


 見事な連携プレー。ヒロインズ(+α)が、それぞれの力を合わせ、必死にミユを守り抜く。

 仲間たちの力強い声援が、俺の背中を押す。


「……サンキュ、お前ら! すぐ終わらせる!」


 俺は仲間たちを信じ、目の前の強敵との戦いに、全ての意識を集中させる。


 ◇◇◇

 

 自身の切り札である封印術がことごとく破られ、仲間たちの連携によって数的有利も活かせない。

 そして何より、目の前の少年の力が、自分たちの理解を完全に超えている。

 そう判断した男は、歴戦の指揮官らしく、苦々しい表情を浮かべながらも、冷静に撤退を決断した。


「……報告以上の、規格外(イレギュラー)だ。これ以上の損耗は避けねばなるまい。……全隊、一時撤退する!」


 彼は部隊に撤退信号を送ると、空間転移魔法の詠唱を開始する。


「だが、これで終わりだと思うなよ、異能者! 魔導師会は、貴様のような秩序を乱す存在を、決して容認しない! 必ずや、我々の絶対的な秩序の下に、貴様に裁きを下すことになるだろう!」


 憎々しげな捨て台詞を残し、男は部隊と共に、光の中に姿を消した。


 ◇◇◇


 男たちが撤退し、地下施設には一時的な静寂が訪れた。

 俺たちは急いでミユを連れ、比較的安全な場所――幸いにも、まだ無事だった保健室――へと移動する。


 ミユは、俺の介入で完全な暴走こそ免れたものの、精神的には依然として不安定で、身体もひどく衰弱している。

 時折、苦しそうに咳き込んだり、未来の断片らしきものを見て怯えたりしている。


「大丈夫か、ミユ?」

「……うん、イオリくんが、そばにいてくれるから……大丈夫……」


 彼女は弱々しく微笑むが、その存在は依然として時限爆弾のようだ。

 ゼファルが生きている限り、いつまた暴走させられるか分からない。

 根本的な解決策は、まだ何も見つからないままだった。


 ミユの暴走を抑え込み、男との戦闘で未知の力まで使ってしまった俺。

 仲間たちには気づかれないように、そっと自分の手のひらを見つめる。


 指先が、透けて見える感覚があった。

 気のせいではない。

 そして、身体の奥底から感じる、微かな、しかし確かな倦怠感。


(……やっぱり、気のせいじゃねぇな。俺の身体、この力に、もう耐えられなくなってきてるのか……?)


 力の進化と引き換えに、俺自身の存在そのものが、この世界から蝕まれ、希薄になっている。

 その不吉な事実に、俺は確信に近い予感を抱き始めていた。


 ◇


 保健室のベッドで、ミユは疲れて眠ってしまった。

 俺は彼女の穏やかな寝顔を見守りながら、窓の外を見る。

 魔導師会の巨大な飛行艇は、依然として学園上空を威圧的に旋回しており、戦いが完全に終わったわけではないことを示している。

 そして、諸悪の根源であるゼファルも、まだ地下のどこかに潜んでいるはずだ。


「……なあ、ミユ。俺、お前との約束、今度こそちゃんと守れるかな」


 俺はそっと、眠るミユの冷たい手を握る。

 その手は、まだ少しだけ、透けているように見えた。


(俺の力がどうなろうと、俺の身体がどうなろうと、そんなことはもう関係ねぇ。あいつ(ゼファル)を必ず倒して、ミユを守る。そして、こいつら(仲間たち)が、また馬鹿みたいに笑って過ごせる明日を作る。そのためなら……)


 俺は固く拳を握りしめる。


(どんな代償だって、払ってやる)


 俺の瞳には、自己犠牲をも厭わない、静かで、しかし鋼のように硬い決意の炎が、確かに宿っていた。

 次なる、そしておそらく最後の戦いは、もうすぐそこまで迫っている。

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