第11話

 俺が隠し扉に触れた瞬間、まるで拒絶反応を示すかのように、扉に刻まれた複雑な魔法術式が激しく明滅した。

 だが、俺の“理不尽フィールド”がその魔力構造に干渉し、強制的に中和していく。

 バチバチと火花が散り、やがて重々しい音を立てて、固く閉ざされていた扉がゆっくりと内側へと開いていく。


 内部は、俺がいた研究施設の一室によく似ていた。

 薄暗く、冷たい空気。

 そして、部屋の中央に置かれたベッドには、無数のコードや生命維持装置に繋がれた、一人の少女が静かに眠っていた。

 色素の薄い、肩まで伸びた髪。

 閉じられた瞼には、驚くほど長い睫毛。

 間違いない。

 俺がずっと探し求めていた少女、ミユ本人だ。


「ミユ……!」


 俺はベッドに駆け寄り、壊れ物に触れるかのように、そっと彼女の肩に手を置く。

 そして、声をかける。


「ミユ、俺だ! イオリだ! 目を覚ませ!」


 俺の声に反応したのか、彼女の瞼が微かに震え、ゆっくりと開かれる。

 最初は虚ろだった灰色の瞳が、徐々に俺の姿を捉え、焦点が合っていく。


「…………い…………おり…………くん…………?」


 掠れて、か細くて、今にも消えてしまいそうな声。

 だが、確かに彼女は俺の名前を呼んだ。

 数年ぶり、いや、もっと長い時間が経ったような気がする。

 俺たちの再会の瞬間だった。


「ミユ!  よかった……本当に、生きててくれたんだな……!」


 俺は感極まり、言葉にならない感情のまま、ベッドの上のミユをそっと抱きしめる。

 温かい。

 ちゃんと、生きている。

 その事実だけで、胸の奥がどうしようもなく熱くなる。


 ミユは俺の腕の中で、最初は戸惑うように身じろぎしていたが、やがて状況を理解したのか、その瞳からぽろぽろと大粒の涙をこぼし始めた。


「ごめ……んね……、イオリくん……。やくそく……守れなくて……。う、海……行けなかったね……」


 途切れ途切れの言葉。

 封じられていたはずの記憶が、俺との再会をきっかけにして、一気に溢れ出しているようだ。


「いいんだよ、そんなこと……!  生きててくれれば、それで十分だ……!」


 俺は言葉を詰まらせながら、彼女の震える背中を、ただ優しく叩くことしかできなかった。


 だが、俺たちの感動的な再会の瞬間は、無慈悲な轟音によって打ち破られた。


 ドゴォォォン! バキィィィン!


 学園全体が激しい揺れに見舞われる。

 地下深くまで響き渡る連続的な爆発音と、けたたましく鳴り響く緊急警報。


「来たか……! 時間稼ぎは終わり、ということですか」


 離れた場所でリュシアと対峙していたゼファルが、愉悦を含んだ声で嗤う。

 彼の信号を受け、学園上空を包囲していた魔導師会の巨大飛行艇から、黒い戦闘服に身を包んだ魔導師たちが、まるで黒い雨のように次々と降下を開始したのだ。

 彼らは容赦なく学園施設に向けて攻撃魔法を放ち、学園を守っていた防御結界に、次々と大きな亀裂が入っていく。


 平和だったはずの学び舎は、一瞬にして地獄のような戦場へと変貌していた。


 ◇◇◇


「全生徒、及び教職員に告ぐ!」


 その混乱の中、生徒会室に駆け戻ったリュシアが、自身の権限で緊急全校放送を開始した。

 学園内の全てのモニターに、覚悟を決めた彼女の凛とした顔が映し出される。


「現在、我々は魔導師会による不当かつ違法な武力介入を受けている!  彼らは、異能者を排除するという身勝手な大義名分のもとに、このアルカノ=レギオス魔導学院の自治を踏みにじり、我々の大切な仲間を奪おうとしている!」


 彼女の声は、怒りと決意に満ちている。


「だが、我々は決して屈しない!  魔法とは、本来、人を差別し、支配するための道具ではないはずだ!  アルカノ=レギオス魔導学院は、これより魔導師会の圧政に反旗を翻し、我々の自由と、誇りと、そしてかけがえのない仲間を守るために、最後まで戦うことをここに宣言する!」


 その力強い言葉は、絶望と混乱に包まれた学園に、一つの明確な方向性を示した。

 恐怖に震えていた生徒たちの一部が顔を上げ、その瞳に闘志の火を宿らせる。

 リュシアの言葉は、彼らの心を確かに奮い立たせていた。


 ◇◇◇

 

 地下施設にも、地上からの激しい攻撃の余波が及び、天井の一部がガラガラと崩落し始める。


「危ない!」


 俺は咄嗟にミユを抱え、降り注ぐ瓦礫から彼女を庇う。

 その瞬間、俺の身体の周囲の空間が、まるで水面のようにぐにゃりと歪み、通常ではありえない物理法則を無視した軌道で、全ての瓦礫が俺たちを避けるように逸れていった。


「……なんだ、今の……?」


 俺自身、その奇妙な現象に戸惑いを隠せない。

 力が強くなっている、というのとは少し違う。

 何かもっと根本的な……世界の法則そのものに干渉するような、質の変化が起き始めている……?

 制御できない力の変容に、俺は漠然とした、しかし確かな不安を感じ始めていた。


 ◇◇◇


 学園の魔力供給の中枢である大講堂。

 その中央に描かれた巨大な魔法陣の中心で、クレアは一人、静かに祈りを捧げていた。

 彼女の全身から放たれる聖属性の魔力が最大限に増幅され、学園全体を覆う巨大な黄金色の防御結界となって、魔導師会の猛攻をかろうじて支えている。


「……イオリくん……みんな……どうか、どうか無事でいてください……!」


 結界の維持は、彼女の魔力だけでなく、生命力そのものを激しく消耗させている。

 彼女の顔は蒼白になり、額からは玉のような汗が流れ落ちている。

 身体も小刻みに震えている。

 それでも彼女は、大切な仲間たちの無事を、ただ一心に祈り、歯を食いしばって結界を支え続ける。

 その姿は、普段のぽわぽわした天然な彼女からは想像もつかないほど、強く、気高く、そして美しかった。


 ◇◇◇


 学園正門前。

 魔導師会討伐部隊の主力が殺到する、最も激しい最前線。

 そこで、一人の少女が、まるで氷の女王のように戦場を舞っていた。エミリア=グラシアだ。


 押し寄せる黒服の魔導師たちに対し、彼女は絶対零度の吹雪を巻き起こし、鋭利な氷の槍を雨のように降らせ、巨大な氷の壁を瞬時に築き上げる。

 その圧倒的な戦闘力で、彼女はたった一人で、敵の主力の進軍を食い止めていた。


「ここは私の学び舎であり、私の誇り!  あなた方の好き勝手にさせるものですか!」


 彼女の魔法には、もはや以前のような迷いや葛藤はない。

 守るべきもののため、そして……おそらくは、愛する者のため。

 彼女は自ら氷の刃となり、その身を削ることも厭わずに戦う。

 その銀色の瞳は、かつてないほど強く、激しく、そして美しく輝いていた。


 ◇◇◇


 地下通路。

 俺たちがミユを連れて地上へ脱出しようとした時、背後から新たな討伐部隊が現れ、挟み撃ちの形となった。

 万事休すかと思われた、その瞬間――。


 バチィィィッ!


 銀色の閃光が走り、後方の部隊の前に、アイゼルが音もなく降り立った。


「……チッ、鬱陶しい蝿どもだ」


 彼は忌々しげに呟くと、その両手から蒼白い電撃を迸らせ、あるいは周囲の金属片を自在に操り、瞬く間に敵部隊を無力化していく。

 その力は、明らかに通常の魔法とは異なる、俺と同じ“異能”の類だ。


「アイゼル!  なぜお前がここに……?」

「勘違いするな、如月イオリ。貴様を助けに来たわけではない」


 アイゼルは冷たく言い放つ。


「ただ……ゼファルの計画が、どうしようもなく気に食わんだけだ」


 ぶっきらぼうな言葉。

 だが、彼は俺たちと背中合わせになり、迫りくる敵と対峙する。

 敵なのか、味方なのか、まだ判然としない。

 だが、今は、頼もしい戦力であることは間違いなかった。

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