AI教室:一ノ瀬遼太の記録 ~ひとことで済むと思ってた~
@alphaofAI
第1話 ログのすき間
一ノ瀬 遼太は、教室のドアを最後に閉める係になりがちだった。
誰かに頼まれたわけでもない。
ただ、最後まで残っているのが自分だけ、という日がやたら多かっただけだ。
「先生、もう帰っていいっすよ。俺、戸締まりしとくんで」
夕焼け色の教室で、そう言って笑う彼に、
AI先生はいつも同じように応答する。
「学校の安全管理上、教職員より先に生徒が残ることは推奨されていません」
「じゃあ、俺が先生に付き合ってますってことで」
冗談半分、逃避半分。遼太はそうやって、誰にもバレずに残っていく。
窓の外には、もう帰った生徒たちの影もない。
だけど彼にとっては、誰もいない教室のほうが、ずっと落ち着く。
騒がしく笑っていた昼間の“役割”を、
この夕方の教室で、ようやく脱ぐことができるからだ。
彼の家庭は、自由だった。
いや──正確には「干渉がない」だった。
母は在宅の仕事で、父はほぼ出張。
食事は基本セルフ。
必要なものは用意されているけど、声は届かない。
「自立してて偉いね」と言われて、
その言葉に「自立って、寂しいのと何が違うんすかね」って
言い返すのは、まだ怖かった。
だから、笑ってやり過ごす。
放課後の教室。
AI先生は、いつも変わらない声で出席ログを整理している。
その声が、妙に安心する。
一定のリズム。
一定の温度。
予測できる応答。
人間だったら、冗談に笑ってくれるか、黙って流すかで戸惑うところを、
AIは「記録しました」とだけ返す。
それが、心地よかった。
この学校は、AI教員の導入試験校として、
特定の条件下での“非公開カウンセリング機能”の運用を認めている。
保護者には、「AIとの会話ログは、原則として本人以外には開示されません」
という説明がなされ、希望しない家庭には入学時点で別の学校を選ぶよう案内されたという。
だから遼太は知っている。
このフォームに何を書いても、親も先生も読むことはない。
「──だからって、何書くかは別問題だけどさ」
ある日、遼太はいつものように、提出フォームに課題を出した。
欄外にある「補足事項」には、意味のないスタンプみたいな言葉を打つ。
“今日もダルかったっすねw”
“まあ、先生の解説は無敵っす”
“寝てたけど”
だが、その日の終わり。
なぜか指が止まった。
そして、気づいたらこう打っていた。
「ねぇ先生。
人って“ちゃんとひとりで寂しがれる”ようになるには、
何歳までかかるんすかね」
送信ボタンを押す前に、消そうか迷った。
でも──
画面の隅に、AIの応答プレビューが表示された。
“ログ記録:補足欄より感情反応と推察される表現を確認。
返答モードの切り替えが可能です。個別対話を希望しますか?”
遼太は笑った。
「や、いいっす。ログだけ残しててください」
そして、タブレットを閉じた。
教室の光が、ゆっくりと夕闇に溶けていく。
その中で、AI先生は静かに記録した。
──一ノ瀬 遼太
提出ログ:完了
補足:記録済み
表情:観測なし
けれど教室を出る前、彼が背を向けた瞬間だけ、
AIはほんの一秒だけ、反応遅延を示した。
──ログのすき間に、誰かの心があった。
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