第34話 野球部という感じはしない
「……のお母さん、ですよね?」
娘の名前はよく聞こえなかった。
うなずいて、コンクリートの地面を見る。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
「すみません、なんか、こわがらせたみたいで」
小さく、首を横に振る。
随分と、はきはきとした声だ。
顔を見たいけれど、首を持ち上げるエネルギーがない。
目を合わせる勇気がない。
トイレの鏡に、雨と眠りで朝にした化粧が完全に落ちている自分を映したばかりなのに。
いつものように、誰でも年は取るから、と自分に言い聞かせたばかりなのに。
一刻も早く自分の車へ戻りたい。
屈託のない口調で、彼は話している。
彼は娘の知り合いで、娘から、私が高速のパーキングで眠る話を聞いて興味を持ったらしい。
怖がらせるつもりはなく(再び謝っていた)、私が最近パーキングへ行っていないと聞き、どうしても話したかった、らしい。
「俺、これから、ここへ来ませんから」
「それは」と言ったとき、初めて目があった。
細くて背が高くて前髪が目にかかっていて、野球部という感じはしない。
男子バレー部だろうか。
そんなのはどっちでもいい。
「アイス、ですか?」
彼が私の右手の方へ視線を移動させた。
溶けているかもしれない。
こどもではないのに、スーパーと値段が変わらないからという理由だけで買ってしまった。
「すみません、長々と。失礼します」
彼は軽く頭を下げ、踵を返して売店へ入っていった。
「ええと」と口の中で言ったけれど、音にはならなかった。
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