第2話 柴田家へ
朝早くにマンションを出て、今はもう太陽が傾きかけている。
「こっちにいる間はうちに泊まってくれればいいから」
「そんなことできません! 私、おじいちゃんの家にひとりでも大丈夫ですから」
慌ててそう申し出るけれど、柴田さんは「それはダメ。女の子をひとりにはさせられないわ」と、やんわりと拒絶した。
両親の言い方とは随分違って優しいけれど、結局過保護なところは同じなのかと思って頬が膨らむ。
「私ひとりは慣れてます。私が小学校の頃から両親は共働きだから、ずっと鍵っ子なんです」
「そう? だけど夜はひとりじゃないわよね?」
「それはそうですけど。ちゃんと戸締まりするし、火の元だって確認します」
「それは関心ね。じゃあ、クマが出たときの対処法を知ってる?」
その質問に絶句して柴田さんをマジマジと見つめた。
「クマ……出るんですか?」
テレビニュースでは田舎の民家などに出没したと時折報道しているけれど、まさかこの辺りにも出るんだろうか?
そう思うと背筋がゾーッと寒くなって自分の体を抱きしめた。
「出るわよ。つい先日もクマが下りてきて作物を食べたって知らせが来たもの。困ったものよねぇ」
柴田さんはまるで井戸端会議をするように気楽に説明する。
「そ、それって人的被害は?」
「それはさすがになかったわよ。だけど笠原さんとこの庭には立派なは果物が成る木があるから心配で――」
「お、お世話になってもいいですか?」
一瞬脳裏にクマに襲われる自分の姿が浮かんできてしまった。
こんな田舎まで来てクマのエサになるなんて絶対に嫌だ!
「もちろんよ! うちには真子ちゃんと同じ14歳の子がいるから、仲良くしてやってね」
柴田さんは鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気でそう言ったのだった。
☆☆☆
おじいちゃんの家が田舎にあることは知っていたけれど、まさかここまでとは……。
柴田さんの家にたどり着くまでにあったのは小さな商店ひとつだけ。
コンビニも自販機も見当たらなかった。
ここで暮らしてる子たちはどこで遊んでいるんだろう?
そう思っていると、小学校低学年くらいの子どもたちが3人、田んぼの近くで虫取り網を持って赤いトンボを追いかけている姿を見つけてなんだか魂が抜けてしまいそうになった。
まるで自分がタイムスリップしてしまったかのような光景だ。
「ここがおばちゃんの家よ」
到着したのは大きな日本家屋で、離れや蔵も敷地内に建っている。
駐車場とは別に手入れされた日本庭園まであり、呆然としてしまった。
「びっくりした? でもこの辺では珍しくないのよ」
「そうですか……」
ちゃんとした日本庭園なんて観光地でしか見たことがない私は生返事しかできなかった。
大きな荷物を持って家に入ると、広いエントランスがあり、そこには効果そうなツボに花がいけられていて、甘い香りが漂っている。
「こっちの部屋を使ってね」
ついていった先は2階の奥の部屋で、6畳の和室になっていた。
きちんと畳まれた布団は真っ白で清潔感があり、ホッと胸をなでおろす。
こういう純和風の家に寝泊まりするのは初めてだから、緊張してきた。
すぐに使う自分の荷物をキャリーバッグから取り出して整理を負えた頃、ドアがノックされた。
「真子ちゃん。うちの子紹介するから開けてもいい?」
「はい、いいですよ」
返事をするとすぐにドアが開いて柴田さんが顔を出した。
今は白いエプロン姿で、ドアが開いたときにふわりとお味噌汁の香りが漂ってきた。
夕飯の準備をしてくれていたみたいだ。
「息子の諒よ」
「どうも、こんにちは」
柴田さんの後から出てきたのは柴田さんよりも少し背の高い男の子だった。
スラリと長い手足が柴田さんによく似ている。
大きな目に形のいい鼻筋はまるで雑誌の中のモデルがそのまま抜け出してきたように見えて見惚れてしまいそうになる。
「あ、あの、子供さんって男の子だったんですか!?」
思わず声が裏返ってしまう。
同年代の子供としか聞いていなかったけれど、女の子だと思いこんでしまっていた。
突如目の前に現れた男の子に困惑し、自然と頬が熱くなる。
「あら、私言っていなかったかしら? ごめんなさいね?」
頬に手を当てて小首をかしげ、申し訳無さそうに眉を下げる柴田さんにはなんの反論もできなくなってしまって絶句する。
「女じゃなくてごめん」
諒と呼ばれた息子さんが申し訳なさそうに頭をかく。
「あ、いや、別に嫌とかじゃなくてちょっとビックリしただけで」
慌てて言い訳を口にすると諒は人懐っこい笑みを見せた。
「少しの間だけど、よろしく」
差し出された右手を反射的に握り返す。
男の子の大きな手にドキリとしてしまう。
「それじゃ、俺宿題やるから」
諒はそう言うと部屋を出ていってしまった。
私は呆然としてその後姿を見送る。
諒はクラスでも見たことがない紳士的な人だった。
「男の子だけど、まぁ女の子みたいなものだから心配しないでね? 諒は浮いた話のひとつもないし」
「そう……ですか」
なんだか長旅の疲れが一気に押し寄せてきたように感じられて、私は脱力したのだった。
☆☆☆
《愛:さっきは動画ありがと! めっちゃ笑った。ってか、そろそろ到着した?》
和室に仰向けに寝転がって傘付きの電気を見つめていたら愛からメッセージが届いた。
すぐさま起き上がり、返事を打つ。
《真子:聞いてよ! おじいちゃんの家ど田舎でなにもないんだけど!》
車窓から見た景色を写真におさめていたのでそれと共に送信する。
《愛:田んぼ!! そんな景色テレビでしか見たこと無いよ》
「だよねぇ……」
都会でも奥へ行けばこんな風景もあるけれど、あえてそこに行こうとは思わない。
遊びにいくなら繁華街と決まっている。
《真子:しかもクマが出るんだって!》
《愛:それヤバすぎ!》
《真子:でもね、めっちゃカッコイイ人がいて――》
そこまで打ち込んで少し考え、文章を削除した。
代わりに田舎のバスの少なさを教えると、愛は大爆笑するスタンプを送ってきた。
「電波が入るだけいいと思わなきゃかなぁ」
暮れていく景色を見つめて呟く。
ここにいれば両親の束縛から解放されると思っていたけれど、今度は柴田
さんの監視つきだ。
更にはコンビニも遊びに行けるような場所もない。
これならマンションにいたほうが良かったかもしれない。
「そうだ。今のうちに下見に行っておこうかな」
なにもない部屋でジッとしていても時間が過ぎていくばかりだ。
私は薄手の上着を羽織って部屋を出た。
一応スマホと財布も持っていくことにしてズボンのポケットにねじ込んだ。
とんとんと足音を立てて一階へ下りていくと、ソースが焦げる匂いが漂ってきた。
キッチンに続くドアを開くと、柴田さんが夕飯の支度を続けているところだった。
「あら真子ちゃん、もうお腹すいちゃった?」
「いえ大丈夫です。今日の家におじいちゃんの家を下見しておこうと思って」
「もう暗くなるわよ?」
眉を寄せる柴田さんに両親へ感じる苛立ちを覚える。
どうしてほっておいてくれないんだろう。
私ってそんなに子供で、そんなに危なっかしいだろうか。
「ちょっと確認するだけですから」
突き放すように言ってキッチンから出たのと、向かい側にあるトイレから諒が出てくるのが同じタイミングだった。
「あぁ、ちょうどよかった。諒、真子ちゃんと一緒に笠原さんの家に行ってくれない?」
後から柴田さんがそう声を駆けてくる。
諒は少し驚いた顔で真子を見つめたあと、「わかった。一緒に行くよ」と短く返事をして玄関へと向かった。
私は慌ててその後を追いかける。
「なにも持たずに出るの?」
「持っていく必要ないだろ。隣なんだから」
「……それもそうか」
田舎だから隣近所まで何キロもあるかとおもいきや、おじいちゃんの家までは歩いて1分もかからなかった。
大きな門構えを前にして私は嘆息する。
「ここが私のおじいちゃんの家?」
「そうだよ。来たことないのか?」
「小さな頃に何度か」
門の鍵は外側からでも開くようになっているが、少し錆びついていて力が必要だった。
中へはいると広い日本庭園が右手にあり、左手には蔵と離れがそびえ立つ。
そしてその奥に入り口があった。
「柴田さんの家よりも大きいかも」
立派な面構えをした家にいい言葉も出てこない。
「笠原のじいちゃんはロボットの発明家だったからね。この辺じゃ一番の金持ちだったと思うよ」
「おじぃちゃんのことよく知ってるの?」
「あぁ。小さい頃からロボットとか好きでさ、よく遊びに来てたんだ。半分は笠原のじいちゃんからロボットについて教わる時間だったけど」
「そっか」
「自分は?」
「え?」
聞き返すと諒は優しげな笑みを浮かべていて心臓がドキリと跳ねた。
こんな田舎でこんなにカッコイイなら、さぞモテルだろう。
「ロボット好き?」
「あぁ、うん。そうだね。お父さんがよく家のパソコンでプログラミングしてて、それを習った程度だけど」
「へぇ、さすが笠原のじいちゃんの孫だな」
そういう褒められ方をしたのは初めてだから、なんだかくすぐったい気持ちになる。
「おじいちゃんは最期までなにか作ってた?」
「あぁ。でも誰にも内緒だった。俺が聞いても教えてくれなかったよ」
「そうなんだ」
この家にはそういう研究の成果がたくさん残されているはずだ。
考えるとちょっとワクワクしてくる。
「さて、そろそろ晩飯ができた頃だ。戻ろう」
気がつけば太陽は沈み、辺りは暗くなっている。
本格的な片付けは明日からにして、私達は柴田家へ戻ることになったのだった。
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