ハル

西羽咲 花月

第1話 夏休み

「真子、本当に大丈夫なの?」

大きなキャリーバッグをゴロゴロと音を立てながら引きずって玄関へと向かう私の背中にお母さんの声が聞こえてくる。


亡くなった祖父の家にひとりで行くと決めた一瞬間ほど前から毎日毎日耳にタコができるほど聞かれてきた言葉にうんざりして、返事もまともにしなかった。


「到着したら連絡してくるんだぞ?」

こっちはお父さんの声だ。


ふたりとも今日は仕事があるというのに、まだ家を出ていない。

私は大げさなため息と共に玄関前で立ち止まり、振り向いた。


思っていた通り、心配そうな表情を浮かべたふたりがこちらを見ている。

お母さんの化粧は中途半端だし、お父さんのシャツは第一ボタンが外れたままで、紺色のネクタイもちゃんと締められていない。


私が出かける時間になったから、自分の準備をほっぽりだしてきたのは明白だった。

「あのねぇふたりとも。私はもう子供じゃないの。電車の乗り継ぎくらい平気だから」


強い口調で突き放すように伝えても、ふたりの不安顔は変わらない。

「それでもおじいちゃんの家は遠いんだぞ。最寄り駅で下りてからもタクシーとかバスとか――」


「それも何度も聞いたから!」

お父さんの言葉を途中で遮り、スマホで時間を確認した。


電車の時間はまだ余裕があるけれど、ふたりの出勤時間までは残り5分を切っている。

こんなことで遅刻してほしくない。


「それじゃ私行くから。ふたりとも遅刻しないようにね」

それだけ告げると背中を向けて玄関を出た。


その直後、自分たちの時間が差し迫ってきていることに気がついた両親の悲鳴が玄関ドアの向こう側から聞こえてきたのだった。


☆☆☆


私、笠原真子は中学2年生の14歳。

今は夏休み中で、田舎のおじいちゃんの家に行く途中だ。


おじいちゃんというのは私の父のお父さんで、とても遠い場所に暮らしていたため、あまり会いに行ったことはない。

でも私が生まれてすぐの頃は頻繁に会いに行っていたみたいだ。


小学校に入学すると両親の仕事も忙しくなり、疎遠になってしまった。

そんなおじいちゃんが亡くなったのはふたつき前のことだった。


『もしもし? あ、姉さんか? 久しぶりだね』

家の固定電話が鳴ることなんて滅多にないのに、その日は珍しく鳴り響き、お父さんが出た。


私はテレビを見ながらぼんやりとその声を聞いていた。

『え、お父さんが? そうか、それなら明日は仕事を休んで戻るようにするよ』


どうやら田舎のおじいちゃんの体調が良くないらしい。

少し風邪をひいたとか、その程度ならうちまで電話してくることはないはずだから、かなり悪いのだろうということは想像がついた。


『急だけど、お父さん今日の夜から実家に戻るから』

『わかった』

お父さんの顔は珍しく緊張感があって、私もなんとなく緊張した。


あまり記憶に残っていないおじいちゃんの顔を思い出そうとしたけれど難しくて、自室に戻って本棚からアルバムを引っ張り出した。

『そういえばお父さんそっくりなんだったっけ』


お父さんに似た男性に赤ん坊の私が抱っこされている写真を見て少し不思議な気分になった。

よく見れば赤ん坊の私とおじいちゃんも目元がよく似ている。


血の繋がりが近い人が死ぬかもしれない。

そんな不思議な感覚がよぎった後、恐怖が足元から這い上がってきた。

死をこんなに身近に感じたことはなはじめての経験だった。


友達が飼っていたペットが死んだという話は聞いたことがあったけれど、私はペットを飼ったこともなかったからその悲しみの半分も理解できていなかったと思う。

『おじいちゃん、死んじゃうのかな』


私は自分に似た目元を持つ人の写真をジッと見つめて呟いたのだった。

おじいちゃんが亡くなった連絡が来たのはそれから一週間後のことだった。


同じように固定電話に連絡が入ってきたとき、お父さんは気丈に振る舞っていたけれど、かすかに声が震えていたのが印象的だった。

そして夏休みが始まる一週間前のこと。


『もしもし、お姉さんか? どうかしたのか?』

固定電話が鳴るとお父さんが出るというのが習慣化してきていた。


『え、遺品整理? うちは難しいな。俺も紀美子も仕事があって戻れそうにないんだ。お姉さんに任せるよ』

そんな声が聞こえてきて私はテレビ画面から視線を外した。


あと一週間もすれば夏休みだ。

その間も両親は仕事に忙しく、家にいる時間は少ない。


過保護な両親がいないことは気楽でいいけれど、暇を持て余しそうになることはわかっていた。

『お父さん、それ私が行ってもいい?』


だから私はそう提案したのだ。

お父さんのお姉さんに当たる人だって、おじいちゃんの家まで行くには車で1時間半かかる場所に暮らしている。


家庭も仕事もある人だから、そう頻繁に片付けに行くことはできないはずだ。

それなら、暇な自分が行けばいいんじゃないかと思った。


『それはダメだ。真子ひとりで行かせるなんて!』

咄嗟に反論したお父さんの声は受話器の向こう側にいるおばさんにも聞こえていた。

『あら、真子ちゃんが行ってくれるならお願いしようかしら』


『もちろん行きます! 夏休みを使って片付けをすればいいんですよね?』

『そうよ。あぁ、助かった』

こうして私は過保護な両親からも暇な夏休みからも解放されたのだった。


☆☆☆


電車の心地よい揺れでついウトウトしていたけれど、握りしめたスマホが震えて目を覚ました。


自分の手の中にあるブルーのキッズスマホに少し顔をしかめてから画面を確認してみると、同じクラスの前川愛からメッセージが来ていた。


愛と私は小学校時代からの友人で、愛の両親も共働き。

夏休みはどうしようかぁと一緒に相談していた仲だ。


もちろん、愛にも今回おじいちゃんの家に行くことになったのは伝えている。

《愛:今頃電車の中? こっちは暇すぎてすでに死にそう》


その文章にふふっと小さく笑う。

夏休みが始まってまだ1日目の午前中だというのに死ぬほど暇なのは大変だ。

私は面白い動画のリンクをなんこか送信してスマホをバッグに片付けた。


電車旅はいくつもの路線を乗り継ぎ、気がつけば汽車に乗っていた。

ガタンゴトンとレトロな音を立てて、カーブの時など体が大きく左右に揺さぶられる。


少し眠ろうと思っていた睡魔もいつの間にか吹き飛んでいた。

「やっとついた……?」


お父さんから聞いていた駅名が車内に流れてきて車窓から外を見ると、一面緑色の田んぼが広がっていた。

赤色のトンボがスイスイとその上を飛び回っている。


窓から見える景色の中に高い建物はひとつもなく、青い空と緑色の田んぼ、そして奥の方に青々と茂る山が見えるだけだった。

その光景に唖然として口を開いていると汽車が大きく揺れて停車した。


車内に駅名のアナウンスが流れて我に返ると、慌てて席を立って下車したのだった。


☆☆☆


古い無人駅はカメムシの匂いがこびりついていて、木製の壁にはヤモリがちょろちょろと走り回っている。


早足でそこをぬけるとあまり広くない道路を挟んで目の前はまた田んぼがあった。

「田んぼばっかりだ」

呟いてから駅の周辺を見回すとバス停を見つけたので近づいてみた。


風雨にさらされてボロボロに朽ちた木製ベンチを通り過ぎて時刻表を確認すると、ギョッとして目を見開いた。

「嘘でしょ、1時間に1本しかないの!?」


しかもそれは通勤ラッシュ時のみらしく、昼過ぎという中途半端な時間の今は2時間に1本しかバスが出ていないことがわかった。

しかもタクシーの姿はどこにもない。


「なんなのもう!! こんなに移動手段がないなら先に言っておいてくれればいいのに!」

イライラしてその場で地団駄を踏む。


だけど思い返せばお父さんがなにか言いかけていたような気がする。

それを遮って聞く耳持たなかったのは自分だ。

それを思い出して余計に腹正しくなり、奥歯を噛み締めた。


乱暴にスマホを取り出して地図アプリを起動する。

あたりにはなにもないし、もう帰ってしまいたい気持ちになりながらもおじいちゃんの家の住所を検索してみた。


「徒歩2時間!?」

表示された数字と直射日光に頭がクラクラしてきた。

2時間歩くならここで2時間バスを待つほうがいい。


だけど壊れたベンチしかない場所でどうやって2時間も潰せっていうの!?

イライラが爆発しそうになったそのときだった。


プップとクラクションを鳴らして白い軽自動車が駅の前に止まった。

誰かを迎えに来たんだろうかと思ったけれど、さっきこの駅に下りたのは私だけだ。

次の汽車が到着するんもは1時間後のはずだし。


と、思っていると見知らぬ女性が運転席から出てきた。

警戒して数歩後ずさりをする。


こんなところで襲われたら誰も助けてくれない!

「こんにちは、真子ちゃん?」


小首をかしげて質問してきた女性は50代前半くらいで、よく日に焼けた人だった。

スラリとした手足は年齢を感じさせないが、髪の毛は日焼けして赤くなっている箇所がある。


「あ、あなたは?」

「はじめまして。私は柴田っていうの。笠原さんとこの隣に住んでいるのよ」


ニコニコと人の良さそうな顔で近づいてくる柴田さんに私はまばたきを繰り返した。

「おじいちゃんのことを知っているんですか?」


「えぇ。今日真子ちゃんが来るから迎えに言ってほしいって、あなたのお父さんから連絡をもらってたのよ」

「お父さんってば、また勝手なことして!!」


ここまで来れば両親の過保護ともおさらばできると思っていたのに、こんなところまでお父さんの根回しがされていたと思うと一気に怒りがぶり返してくる。


「そう怒らないで。ほら、ここってバスもほとんど出てないしタクシーもないでしょう? それで心配したのね」

柴田さんはクスクスとおかしそうに笑っている。


なにがおかしいのは私には全然わからないけれど、これで2時間歩く必要も、なにもない場所で2時間待つ必要もなくなったのは事実だ。

私はおとなしく柴田さんが運転する車の助手席に乗り込んだのだった。

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