拷問の時間
「私の下の名前はなんでしょう?」
「……質問なの?それ」
「……さあ早くっ」
手錠を嵌められ、ペンチを突きつけられているこの場面で今、私は内心勝ち誇っていた。先ほどの拷問で、私はあり得ないくらいの恥ずかしさを犠牲に、彼女の真っ赤な照れ顔を初めて見ることができた。試合に負けて勝負に勝ったのだ。いつも私を弄んでくる人間の、そのような姿を見られたというのは、とても大きい。汎用の攻撃材料にできるのだ。
「ふふ……」
「…………な、なに?……やっちゃうよ」
彼女のいつもの笑みを真似してやった。彼女は今とても焦っている。勘が鈍いとよく言われる私でさえ分かるほどに。焦っている理由はよくわかる。なんせ自分が見せたくない表情を、一番見せたくない相手に見られてしまったからだ。今の状況、本当に面白すぎる。頬が緩みそうになるのを必死に堪えて、相手の瞳をしっかりと見つめる。
「
「——っ」
彼女……咲那が息を呑んだのがはっきりと分かった。不意を突かれたというように。咲那は、私が恥ずかしくて名前を言えずに数分間の無駄な抵抗をすることで、自分の平常心を取り戻す時間を稼げると楽観視していた。しかし、私にはもう、恥ずかしいという感情などおそらく残っていない。吹っ切れた、というやつだ。
咲那が始めた拷問、という名の私を弄ぶ行為は、今後全く意味を成さない行為になるのだ。
「どうしたの?顔、真っ赤だけど」
「………………うるさい」
「ふふ……咲那、かわいいね」
「…………ぅ」
あっさりと勝利。勝ち負けとかいう概念があるのかは知らないけれど。ペンチには意識が行っていないようで、それを持っている手はぶらりと宙を泳いでいた。そのおかげで追撃を仕掛けることに成功した。
咲那は、少し俯き、武器を持っていない手で真っ赤になった顔を必死に隠している。全く隠せていないのがすごく可愛らしい。私は、下から覗き込むようにして咲那と強引に目を合わせる。そして、肩あたりまで伸びたとても綺麗な咲那の黒髪に優しく触れ、反対の手で咲那の頬をゆっくりとなぞる。仕上げに、耳にふっと息を吹きかけると、咲那の肩が小さく跳ね、その瞬間に力が抜けたのか、私に体を預けるようにゆっくり倒れ込んできた。と同時に大きな音をたてペンチが地面に落ちる。私は咲那の頭を胸元で優しく受け止めた。
その後一分間ほど、私の下でぐったりしている彼女は、胸元に思い切り顔を埋め、呼吸音が聞こえる程にめちゃくちゃに香りを嗅いできた。
まさか、これほどまでの反応があるとは……
「……………………き」
「ん?どうしたの?」
咲那は、力のこもっていない手を私の肩に回して這い上がり、頭を耳元に近づけてくる。甘い香りが鼻をくすぐると同時に荒い呼吸が耳をくすぐった。
「………………すき。あかねちゃん……すきぃ」
「わっ」
その瞬間、私の肩に力が加わった。そして気づいた時には私は天井を見ていた。どうやら咲那に押し倒されたようだ。押し倒された際の背中への衝撃で、手足に細い痛みが走った。痛みを気にしている間に、咲那の顔が少しづつ近づいてきた。真っ赤なままの咲那の顔はとろりと蕩け、瞳は私以外の何物も写していない。ついさっき落ち着いてきた心臓の鼓動がまた速まり出した。好きな人がすぐそこにいるというのに、さすがにまだ慣れない。
なんかよく分からないけど、やりすぎたみたい……
「……し、質問四」
「……ど、どうしたの」
今にも消え入りそうな声で、私の耳元へ囁いた。
「……………………す」
「……?」
「…………キス」
「き、きす?」
「……茜ちゃんから、私に、キス……して」
き、キス…………今までに何度かしたことはあるけれど、私からは一度もしたことがない……いつも、咲那が突然雰囲気の一つもなしにしてくる。スマホを見ていたり雑談している際に、何の前触れもなくして揶揄ってくる。しかし今回は、私から基、このような雰囲気マシマシという状況……
「……咲那から、して」
日和ってしまった……濁流のような、勢いよく流れてくる雰囲気を、少しだけ残っていたらしい私の恥ずかしさが絶ってしまった。
「…………」
「咲那……?」
数秒間黙ってしまった咲那を少し不思議に思い、ぼーっと見上げていた天井から視点を移した。また俯いてしまった咲那の顔を本当の意味で下から覗き込み、反応を待つ。まだ真っ赤なままだけれど、まさか怒ってる……?確かに、今の流れに乗らない人間なんて私ぐらいしかいない、かも知れない。
「…………へたれ」
突然そう小さく呟いた咲那は、あまり力が入らず細やかに震える腕をゆっくりと動かし、その腕を自身の体の後ろへ持って入った。そして……
「…………ふふ」
「……さ、咲那?」
今日のラッキーアイテム、ペンチを手に握っていた。それを今度は私の顔の前に持ってくる。私と咲那の間に危険物が彷徨ってふわふわと浮いている。
「…………おっと」
「……キス、してみよう、ね」
「……………………ねえ、手に全然力入ってないみたいだけれど、拷問できるの?」
ペンチを持った手は情けなく震えていて、脅しの一つもできそうになさそうだ。最初こそ焦ったけれど、なんか勝てそうだ。勝ち負けの定義とか分からないけれど。
「…………で、できるし」
「ふふ、がんばって」
私の言う通りに、必死に武器を近づけようと腕を震わせている咲那を見て、私の加虐心がほんの少しくすぐられた。私は腹筋に力を入れ浅く体を起こし、そして眼前にある、ゆらゆらと揺れている凶器を軽く躱し、片腕だけに力を費やしている彼女の顔下に近づいていき、またも耳に素早く鋭い息を吹きかけた。
「——っ!」
二度目の攻撃で、咲那はついに、ばたりと勢いよくこちらに倒れた。勢いよく落ちてきたペンチを全力で回避して、お腹で咲那を受け止めた。
今回は初回のように、倒れてきた後に何をするでもなく、十秒……二十秒……三十秒……一分………………五分ほど待っても何かしらの行動をする様子はなかった。
「死んじゃった……」
もちろんそんなことはなく、耳をすませば極小の電子音と調和するように、咲那の小さくて可愛い寝息が聞こえてきた。おそらく、興奮しすぎて気絶したのだろう。たぶん。
何この人、弱すぎるっ!私、こんな弱い人に弄ばれてたのか……
その後の数分間、誰も見ていない二人だけの空間を存分に楽しんだ。一人は思い切り寝息を立てているけれど。私は頭を優しく撫でたり、再度耳に息を吹きかけて遊んだりと十分に満足できた。
足が痺れてきた頃、ピリリと小さな電子音がなった。どうやら三十分が経ったらしい。
本当に三十分に設定していたとは……
あまり咲那を動かしたくはないけれど、一向に電子音が鳴り止まなそうなので、仕方なく、ベッドにある枕を頂戴し咲那を仰向けにしてやり、頭の下に置いた。そこでようやく咲那の寝顔を見ることができた。記憶の限りだがおそらく寝顔を初めて見た。顔をふにゃふにゃさせて、幸せそうに眠っている。この寝顔をずっと見ていたい、ただその一心で私は透明な箱から鍵を二つ取り出した。そして、ついに手足に嵌められた手錠を解錠し、最後に、私から咲那の唇へ、雰囲気の一つもないキスを落とした。
……。
……暗い。
……あたまいたい。お腹すいた。
……。
一分くらいボーっとしていると、身体のほどんどの部位の感覚がはっきりとしてきた。そろそろ目が慣れてくるはずなのに、ずっと暗いのはなんでだろうって思っていたけど、目元に当たる柔らかな触感から、目隠し的な何かをされているのだと分かった。
そろそろ動いてみようかなと手足に力を入れてみたけど、うまく動かせないのに加えて手首足首に細い痛みが走った。それと同時にジャラジャラと音が鳴って、私が今置かれている状況を悟る。
「おはよう」
「——っ!?……痛っ」
耳への鋭い奇襲で肩が跳ね、小うるさい音と共に手足に痛みが走る。
「おはよう、咲那。拷問の時間だよ」
ヤンデレ少女の恋人に愛は在るか 7しあ @nanasia74a
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