2026年7月4日 08:33
咀嚼への応援コメント
【読み専様大歓迎】いい作品に希望と愛を授けよう!から来ました。拝読しました。作品の雰囲気が好きです。私は、作品の中で言葉や場面がどう響き合っているかを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。少し長文になりますがご容赦ください。タイトルを見た時点で、身構えていました。「咀嚼」というのは、ずいぶん直接的な言葉だと思ったからです。読み始めると、最初はただの居酒屋の場面でした。金曜の夜、三野が尋ねます。「それで、沖田さんはどんな女性が好きなんですか?」三野自身は「よく食べてよく笑って」「おへそがちょっと大きい人」と、わりと気軽に自分の好みを答えています。けれど沖田は「黙りこくってしまった」。読み終えたあと、最初に戻ってくるのはこの一瞬の間でした。この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。◇まず驚いたのは、タイトルである「咀嚼」という言葉が、本文のどこにも出てこないことでした。父は沖田の行為を「虫を生きたまま食べるなんて、お前はどうかしてる」と名指します。けれど沖田自身は、「この行為に『食べる』という言葉は相応しくない気がしましたが、どう説明したら良いのか分かりませんでした」と語ります。何をしたのかは、かなり具体的に書かれています。虫を口に入れる弱るまで待つ唾液で絡める舌で押し潰す庭に吐き出して、何度もうがいをする最後には、飲み込む動作はここまで細かく描かれているのに、それを何と呼べばいいのかだけが、最後まで出てきません。始まりは、家の玄関のハエトリソウでした。コバエが葉に閉じ込められ、暴れ、弱っていく。「その命果てる瞬間が私は一番好きでした」というところから、「彼らの命尽きる瞬間を肌で感じたい」という考えに移っていきます。そしてオオクロバエを自分の口に入れる。想像していたのは蜜のような甘さだったのに、実際に来たのは「強い渋みと苦み」でした。中学生になり、「虫を口に入れることはなくなりました」と書かれます。すぐ後に「しかし、私にとってあの行為は忘れられるものではありませんでした」と続きます。止まった、とは言われている。でも、止まったようには見えません。クヌギの木の下で、友達がヤマトカブトムシを差し出したとき、沖田は父の言葉を思い出し、友達の手ごとカブトムシに食らいつこうとします。「本当にどういうこと?黙ってないでなんか言えよ。」と迫られても、「口を開くことができませんでした」。冒頭で、恋愛の質問に沖田が黙るこの場面で、友達の問いに少年の沖田が黙る同じ形の沈黙が、違う時間に置かれています。クヌギの皮がボールではじけて、「鮮やかな橙色の肌」がむき出しになる場面も、説明されないまま置かれます。沖田はそれを拾って押し込み、また拾って押し込む。誰にも説明されないまま、この行為は通り過ぎていきます。譲り受けたカブトムシを家で口に入れたとき、「強烈な木の香り」がして、あのクヌギがまた戻ってくる。虫と木と土が、口の中でひとつになっていくようでした。「私は、全て飲み込みたくなりました」、そして「共に生きていきたい」というところまで来ます。でも、そのすぐ後に、飲み込み、泣き、「もう二度とこの行為をすることはないだろう」と思います。「共に生きていきたい」と「もう二度と」のあいだに、橋は架けられていません。満たされたから終わった、とも、克服したから終わった、とも本文は言いません。しかも、この前にも一度「なくなりました」という同じ形の宣言があって、それはカブトムシの再出現で破られています。だから今度の「もう二度と」も、絶対的な終わりとしては読めませんでした。現在に戻ると、三野は「口に残っていたエビの唐揚げを今すぐ吐き出したい気持ちに駆られた」とあり、沖田がかつて虫の苦みを庭に吐き出したように、今度は三野の口の中に、聞かされたものの気配が残っています。沖田は「恋愛について聞かれると真っ先にこの話を思い出してしまうのです」と言います。なぜかと聞かれると、「なぜでしょうね。自分でも分かりません」としか答えません。冒頭の質問は、ここで一応つながったように見えて、実はまだつながっていません。そして、それを聞いた三野も、「何も答えられなかった」。冒頭の沖田の沈黙回想の中の、少年の沖田の沈黙そして、この三野の沈黙答えられなさだけが、沖田から三野へ移っていくように見えました。最後、沖田が帰ったあとのテーブルには、水滴の輪の中心に、潰れたコバエが残っています。三野はそれを見つけて、おしぼりで拭い取り、席を立ちます。理解したとも、受け止めたとも書かれていません。ただ、目の前に残った虫の死骸を、拭い取って処理するというだけの行為が、そこに置かれています。次に会うときには、お互い何事もなかったようにまた話すのだろう。三野はそう思いながら、席を立ちます。読み終えて残ったのは、虫そのものの気持ち悪さだけではありませんでした。名前のつかない行為と、答えられない問いと、拭い取る手つきだけが、まだどこかに残っている感じがしています。◇追記として、もう少しだけ書かせてください。この作品で強く残ったのは、虫を口に入れる描写そのものだけではありませんでした。その描写はたしかに強いのですが、それ以上に、その行為を最後までうまく名づけられないまま残しているところが印象的でした。父は「食べる」と呼びます。沖田自身は、その言葉が相応しくないと感じる。でも別の名前も出てきません。その名づけられなさが、沖田の中だけで終わらず、最後には三野の沈黙と、潰れたコバエを拭い取る手つきにまで届いているように感じました。説明されないものを、説明で片づけずに、最後まで行為として残している。その残し方が、とても強かったです。
作者からの返信
コメントありがとうございます!熱に浮かされるまま書いた拙作を隅々まで読んでくださり、本当にありがたい限りです。確かに私自身、何故これを書きたかったのか分かっていません。分からないけれど書きたくて悩んだ結果、このような形となりました。ですので、私自身にも説明できないものというのが実際のところかもしれません…私の実力不足ゆえの説明の無さかもしれませんが、そこから何かしらを感じ取って頂けたのならそれ以上に嬉しいことはありません。この度はありがとうございました。
咀嚼への応援コメント
【読み専様大歓迎】いい作品に希望と愛を授けよう!から来ました。
拝読しました。作品の雰囲気が好きです。
私は、作品の中で言葉や場面がどう響き合っているかを追って読むことが多いので、今回はその方向から書かせてください。
少し長文になりますがご容赦ください。
タイトルを見た時点で、身構えていました。「咀嚼」というのは、ずいぶん直接的な言葉だと思ったからです。
読み始めると、最初はただの居酒屋の場面でした。
金曜の夜、三野が尋ねます。
「それで、沖田さんはどんな女性が好きなんですか?」
三野自身は「よく食べてよく笑って」「おへそがちょっと大きい人」と、わりと気軽に自分の好みを答えています。
けれど沖田は「黙りこくってしまった」。
読み終えたあと、最初に戻ってくるのはこの一瞬の間でした。
この作品の奥で静かに支えているものについて、私なりに考えました。
◇
まず驚いたのは、タイトルである「咀嚼」という言葉が、本文のどこにも出てこないことでした。
父は沖田の行為を「虫を生きたまま食べるなんて、お前はどうかしてる」と名指します。けれど沖田自身は、「この行為に『食べる』という言葉は相応しくない気がしましたが、どう説明したら良いのか分かりませんでした」と語ります。
何をしたのかは、かなり具体的に書かれています。
虫を口に入れる
弱るまで待つ
唾液で絡める
舌で押し潰す
庭に吐き出して、何度もうがいをする
最後には、飲み込む
動作はここまで細かく描かれているのに、それを何と呼べばいいのかだけが、最後まで出てきません。
始まりは、家の玄関のハエトリソウでした。コバエが葉に閉じ込められ、暴れ、弱っていく。「その命果てる瞬間が私は一番好きでした」というところから、「彼らの命尽きる瞬間を肌で感じたい」という考えに移っていきます。
そしてオオクロバエを自分の口に入れる。想像していたのは蜜のような甘さだったのに、実際に来たのは「強い渋みと苦み」でした。
中学生になり、「虫を口に入れることはなくなりました」と書かれます。
すぐ後に「しかし、私にとってあの行為は忘れられるものではありませんでした」と続きます。
止まった、とは言われている。でも、止まったようには見えません。
クヌギの木の下で、友達がヤマトカブトムシを差し出したとき、沖田は父の言葉を思い出し、友達の手ごとカブトムシに食らいつこうとします。「本当にどういうこと?黙ってないでなんか言えよ。」と迫られても、「口を開くことができませんでした」。
冒頭で、恋愛の質問に沖田が黙る
この場面で、友達の問いに少年の沖田が黙る
同じ形の沈黙が、違う時間に置かれています。
クヌギの皮がボールではじけて、「鮮やかな橙色の肌」がむき出しになる場面も、説明されないまま置かれます。
沖田はそれを拾って押し込み、また拾って押し込む。誰にも説明されないまま、この行為は通り過ぎていきます。
譲り受けたカブトムシを家で口に入れたとき、「強烈な木の香り」がして、あのクヌギがまた戻ってくる。虫と木と土が、口の中でひとつになっていくようでした。
「私は、全て飲み込みたくなりました」、そして「共に生きていきたい」というところまで来ます。
でも、そのすぐ後に、飲み込み、泣き、「もう二度とこの行為をすることはないだろう」と思います。
「共に生きていきたい」と「もう二度と」のあいだに、橋は架けられていません。
満たされたから終わった、とも、克服したから終わった、とも本文は言いません。
しかも、この前にも一度「なくなりました」という同じ形の宣言があって、それはカブトムシの再出現で破られています。だから今度の「もう二度と」も、絶対的な終わりとしては読めませんでした。
現在に戻ると、三野は「口に残っていたエビの唐揚げを今すぐ吐き出したい気持ちに駆られた」とあり、沖田がかつて虫の苦みを庭に吐き出したように、今度は三野の口の中に、聞かされたものの気配が残っています。
沖田は「恋愛について聞かれると真っ先にこの話を思い出してしまうのです」と言います。なぜかと聞かれると、「なぜでしょうね。自分でも分かりません」としか答えません。冒頭の質問は、ここで一応つながったように見えて、実はまだつながっていません。
そして、それを聞いた三野も、「何も答えられなかった」。
冒頭の沖田の沈黙
回想の中の、少年の沖田の沈黙
そして、この三野の沈黙
答えられなさだけが、沖田から三野へ移っていくように見えました。
最後、沖田が帰ったあとのテーブルには、水滴の輪の中心に、潰れたコバエが残っています。三野はそれを見つけて、おしぼりで拭い取り、席を立ちます。理解したとも、受け止めたとも書かれていません。ただ、目の前に残った虫の死骸を、拭い取って処理するというだけの行為が、そこに置かれています。
次に会うときには、お互い何事もなかったようにまた話すのだろう。三野はそう思いながら、席を立ちます。
読み終えて残ったのは、虫そのものの気持ち悪さだけではありませんでした。
名前のつかない行為と、答えられない問いと、拭い取る手つきだけが、まだどこかに残っている感じがしています。
◇
追記として、もう少しだけ書かせてください。
この作品で強く残ったのは、虫を口に入れる描写そのものだけではありませんでした。その描写はたしかに強いのですが、それ以上に、その行為を最後までうまく名づけられないまま残しているところが印象的でした。
父は「食べる」と呼びます。
沖田自身は、その言葉が相応しくないと感じる。でも別の名前も出てきません。
その名づけられなさが、沖田の中だけで終わらず、最後には三野の沈黙と、潰れたコバエを拭い取る手つきにまで届いているように感じました。
説明されないものを、説明で片づけずに、最後まで行為として残している。その残し方が、とても強かったです。
作者からの返信
コメントありがとうございます!熱に浮かされるまま書いた拙作を隅々まで読んでくださり、本当にありがたい限りです。
確かに私自身、何故これを書きたかったのか分かっていません。分からないけれど書きたくて悩んだ結果、このような形となりました。ですので、私自身にも説明できないものというのが実際のところかもしれません…
私の実力不足ゆえの説明の無さかもしれませんが、そこから何かしらを感じ取って頂けたのならそれ以上に嬉しいことはありません。この度はありがとうございました。