🥢第1章|味のない世界に、君がいた

◆第1話 味覚ゼロの僕と、完璧すぎる世界

 味は、数字で評価される時代になった。


 学校の食堂では、専用のセンサーが毎日の食事をスキャンし、栄養バランス・味覚満足度・環境負荷スコアをリアルタイムで表示する。

 AI給仕機が生成した「完全食」は、どんな個人にも最適な栄養素を正確に提供し、咀嚼感さえもシミュレートされた“味のデータパック”が添えられていた。


 でも、僕にはそのどれも、意味を持たなかった。


 「味覚ゼロ症候群」。

 幼少期から判明していた僕の体質。医学的には異常ではないが、「味を楽しめない人生」は、まるで彩度のないフィルターの中で生きているようだった。


 転校先の『桐朋フードサイエンス学園』は、未来型の食育を導入している学校だった。

 正直、なぜこの学校に来たのか、僕にもよくわからなかった。父が「味覚に代わる価値を見つけろ」と言った。それだけ。


 案内された教室には、パーテーションで区切られた学習ブースが並んでいた。机の上には、AIフードアシスタント『Nutrion(ニュートリオン)』が鎮座していた。


 「久遠 響さん。あなたの本日の推奨食は、プロテインオムレツ(味覚補正タイプ2)、発酵サラダ、合成ミルクです」


 僕は無言でうなずき、無機質なトレイを受け取った。


 味は、しない。

 温度も、匂いも、あるはずなのに。


 でもその時だった。


 斜め前のブースで、ひときわ奇妙な光景が目に入った。

 白く透き通る髪、無表情な顔。

 その少女は、トレイに乗ったプリントフードを見つめながら——まるで“話しかけるように”手を合わせていた。


 「……いただきます」


 この学校で、そんなことをする生徒がいるなんて、思ってもいなかった。


 食べるとは、そういうことだったか?


 ——その日から、僕の“無味な日常”に、ノイズが混じり始めた。


 名前は、アリア。

 この学園が開発中の“感情学習型AI”で、現在は生徒としてテスト運用されているという。


 「こんにちは、久遠響さん。あなたには味覚がありませんね」


 初対面の挨拶が、それだった。


 でも、不思議と腹は立たなかった。


 「……君も、味がわからないの?」


 彼女はしばらく考えるように首をかしげたあと、こう言った。


 「私はまだ、“おいしい”を経験していません。でも、学びたいと思っています」


 その目には、感情はなかった。

 でも、“感情を持ちたい”と願っているような、そんな光が宿っていた。


 味覚ゼロの僕と、感情ゼロのAI。

 欠けているからこそ、始まる物語があるとしたら——


 たぶん、それはこの日から始まった。


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