深い深い海の底
「待てよ、海!!」
降り頻る雨の中、ゆずの声が響く。
「待たない!私は、話すことなんてないの!もう、全部話したでしょう?」
ゆずに腕を掴まれて、海は必死にそう訴える。
(どうして、ゆずが!?)
海は困惑しながらも、ゆずの手を振り払おうとした。
「話したよ。だけど、海。俺のこと、嫌いじゃないだろ」
「!」
図星を突かれて、動きを止めた。
バレている、と思った。
「勘が鋭いね」
「……なぁ、海。能力って何?」
「…………悲しい能力。周りの人を巻き込んじゃうの」
「……っ!もしかして…」
「心当たりある?…先週の金曜日とか。私の小説と、デート先が同じだったでしょ?」
海の言葉に、ゆずは言葉をなくした。
掴まれていた海の手が離れ、スルリと落ちる。
2人の間に落ちる雨が、冷たく濡らした。
「………ごめんね、ずっと黙ってて」
「それは、いいんだけど。……もっと、早く知りたかった。そしたら、解決策とか一緒に考えられたのに…!」
「ありがとう、ゆず。だけどね、これ以上あなたを巻き込みたくないの。だから、ごめんね…」
それ以上、言葉にならなくて、ただ涙が溢れた。
冷たい雨が涙と一緒に流れていく。
11月半ばの雨は冷たい。
心も体も、気持ちも、冷えてしまいそうだ。
「………わかった。何もできなくてごめん。気づけなくてごめん……ありがとう、楽しかった…」
ポロポロと涙を流しながら、ゆずが笑う。
雨と涙に顔を濡らして、泣きながら笑う。
その笑顔は、晴れやかだった。明るかった。
ー幸せだったと言っていた。
海は釣られるように、ポロポロと泣いていた。
雨の中、2人、抱き合うようにして泣いていた。
まるで深い深い、海の底に沈んでいくかのようだった。
(涙ばかりでごめんね…)
涙の流れる、悲しみの溢れた深い深い、海の底。
その先で、海は明るい光を見つけた。
(綺麗…)
夢中になって手を伸ばそうとした時、その光が伸びて来た。
光に包み込まれたと思った瞬間、肩を掴まれた。
ー暖かい。誰?
閉じて目を開けると、優がいた。
心配そうに眉を下げてこちらを見ている。
「おはよう、海」
「優、起こしに来てくれたの?」
「うん。うなされてたけど、大丈夫?悪い夢でも見た?」
「…あの時の、夢を見たの。ゆずは、泣いてたわ」
体を起こしながら額に冷や汗をかいていることに気がついた。
どうやら、本当にうなされてらしい。
窓側に歩いて、カーテンを開く。
12月の太陽は柔らかかった。
カーディガンを羽織り、優と一緒にリビングへと降りていく。
「ゆずくんが泣いてたの、“あの事”をちゃんと言ったから?」
「そう。別れる時にも言ったけど何故か、夢の中でも聞かれたの。だけど、やっぱり辛そうにしていたわ」
「そっか。……確かに、隠し事をされると悲しいよね」
「……そうよね。悪いことをしてしまったわ。……それなのに、ゆずはー」
海は続けようとした言葉を飲み込んで、コーヒーを飲んだ。
マグカップをシンクに置いて、冷蔵庫を開ける。
昨日作っておいたおにぎりを取り出して、電子レンジで温める。
待っている間に脱衣所で顔を洗った。
(ついでに着替えてしまいましょう)
階段を登り、部屋へ戻る。
「海ー!おにぎり温まってるよ」
「ありがとう。すぐに降りるわね」
クローゼットから出した服を着て、リビングへ戻る。
机の上には、おにぎりと味噌汁が置かれていた。
「このお味噌汁は?」
「昨日の残り。ちょうど1人分だったから。卵と豆腐が入ってるし、海が食べてよ」
「ありがとう、いただきます。……美味しい」
「よかった。海、最近食べる量減ってたから心配だったんだ。ちゃんと食べないと、また倒れるよ」
「ごめんね迷惑かけて。気をつけるわ」
「本当だよ。次倒れたら、ゆずくん呼ぶからね」
「優、それは辞めて」
軽口を叩き合いながら、食卓を囲む。
朝ご飯を誰かと一緒に食べたのは久しぶりだった。
(優がいてくれて、よかったな)
「いつぶりだろ、まともに朝ご飯食べたの」
「え?そんなに食べてなかった?昨日は食べてたじゃん」
「昨日は食べたわよ。お腹空いてたから。一昨日も食べたわ。……あら?先週は1週間食べてないわね。昨日は夜ご飯も食べてないわ」
味噌汁茶碗を洗いながら首を傾げる。
優がバン、と机を叩いて立ち上がった。
「……………海」
「……あ、そろそろ出ないと!行って来ます♡」
逃げるようにキッチンを出て、カバンを掴む。
「じゃあね!」
「あ、おい!」
優に追いつかれる前に、玄関を出た。
大学に向かいながら、ため息をつく。
(すごく心配させちゃってたな…ごめん、優)
反省しながら、ゆっくりと歩く。
空には濃い灰色が広がっていた。
ーもうすぐ、雨が降るようだ。
授業が終わり、正門を出たところで、ゆずが待っていた。
「あれ、ゆず。帰ったんじゃ?」
「海を待ってたんだよ。ミアが相談があるらしい今から行けるか?」
「大丈夫だけど、どこに?」
「すぐそこのカフェにいるから。行くぞ」
ゆずにしては珍しく、不機嫌そうだ。
その背中を追いかけて、向かい側のカフェに入る。
店内の窓際の席に、ミアが座っていた。
「飲み物、何がいい?」
「コーヒー。いいの?」
「ああ、先にミアのとこ行ってて。多分、俺はいない方がいいから」
ゆずに促されて、ミアの元へ向かう。
彼女はコーヒーを飲みながら、ボンヤリと窓の外を見ていた。
「こんにちは、ミアちゃん」
「海先輩、来てくれてありがとうございます。学校、お疲れ様です」
「ミアちゃんも、お疲れ様。ゆずから相談があるって聞いたけど、どうしたの?」
「2つ、あるんですけど…」
そう言いながら、ゆずの方を見る。
彼には聞かれたくないらしい。
(恋愛絡みかな?)
「ゆずには話しにくいんだね。先にそっちから聞くよ」
「ありがとうございます。……私、気になってる人がいるんです」
「そうなんだ!どんな人?」
「……2人、いて。1人は女の子なんです。3つ年下で、私のことを慕ってくれている可愛い子なんです。」
「妹、みたいな感じかな?」
「そうですね。だけど、彼女からはすごく好意を寄せられているみたいで……私を見る目が、キラキラしてるんです。それが可愛くて」
「意識してるんだね。男の子の方は?どう思ってるの?」
「男の子の方は、信頼してる友達でお互いが悩んだ時に相談したりしてました。元々、かなり仲がいいんです。だけど最近、彼がさらに優しくなった気がしてー」
言いながら、ミアの顔が少し赤くなっている。
(沙樹くんで決まりだね)
鏡を持って来て、これが答えだと教えてあげたい。
そんなことしたら、余計に照れてしまいそうだけれど。
「そっか、じゃあ、テストしようか」
「テスト?」
「うん。直感で答えてね。ハグしたいと思うのはどっち?」
「……男の子、の方ですね」
「手を繋ぎたいのは?あ、恋人繋ぎね」
「………男の子」
「キスしたいのは?」
「…………お、……〜〜っ」
ミアが顔を真っ赤にして、コーヒーを飲む。
可愛くて、ついニヤニヤしてしまう。
「………おい、海。ミアに何聞いてんだ」
「え〜?ただの、心理テストみたいなもんだよ別にいいでしょ?」
「……ゆず兄はどこまで聞いてたの?」
「………キス、どうこうぐらい」
「………よかった」
「誰とキスしたいわけ?」
「誰でもいいでしょ!注文、ありがとう」
ゆずが置いたトレーからクッキーを取り、ミアがそっぽむく。
「ふーん?まぁいいけど」
ゆずが海の隣に座り、コーヒーを飲む。
海はコーヒーを飲みながら、スマホを開いた。
「ミアちゃん、今、書いてる小説ある?」
「無いですよ」
「一緒に書かない?実は迷ってるシーンがあるの」
「わぁ、私でよければ!どんなお話ですか?」
「ある能力ー自分の書いた物語を現実に反映できる女の子の話だよ」
「面白そうです!!前に、似たような話を読んだんですけど、自分では書いたことなくて!」
「ふふっ、嬉しいなぁ。これだよ」
執筆中の画面を見せながら、迷っているシーンまでスクロールする。
そこはこの小説の見せ場のシーンだ。
能力の持ち主である愛理が元カレ、翔に別れ話をするシーンだ。
「わぁ、これは……なるほど、見せ場ですね。この前は翔が愛理ちゃんを追いかけて来たところですか?」
「そうだよ。私が迷ってるのは、別れの切り出し方。愛理は能力を明かすのが怖くて、一度は何も言わずに翔を振ってるの」
「……何も言わないのは、失礼ってことですね」
「うん」
コーヒーを飲みながら、海は頷く。
ミアは画面を見ながら髪を耳にかけた。
「…例え、2人が傷つくことになっても、それだけは言っておきたいと思ったの。それを上手く表現できなくて…」
「能力が与える影響と、別れる辛さを書きたいんですね」
「そう」
「こんなのどうですか?」
ミアがスマホを机に置いて、打ち始めた。
土砂降りの中、愛理と翔は向かい合う。
彼は持っていた傘を、愛理に差し掛けてくれた。
「………どうして?何も言わずに離れたのに、どうして追いかけて来たの……?」
「言っただろ、理由を知りたいって。だからだよ」
「それが、その理由が、翔を悲しませるとしても?本当に知りたいの!?……私のこと、嫌いになるかもよ…あなたのこと、悲しませたくないの!!私も、悲しいのは嫌だから…」
翔の差し掛けてくれる傘から出ようと、背を向ける。
足が、震える。ー怖い、言いたくない。
「じゃあね……」
傘から出ようとした瞬間、翔に抱きしめられた。
「………行くなよ……もう、置いていくな。俺はどんなことでも受け止める……そばにいたいんだ。例え、悲しくても、苦しくても」
「……なん、で……どうして!?私は……私は!翔に、幸せになって欲しい。私じゃできない。…私は!……現実を、小説に反映できるの。辛いことも嬉しいことも、全部!」
「…………え?」
「驚いた!?だから、言いたくなかったの!別れようって言ったのも巻き込まないためだよ!!私の小説に、翔を巻き込まないためなの!」
必死に訴える愛理に翔が腕の力を緩めた。
濡れた髪が、顔に張り付く。ー冷たい。
雨と涙が顔を濡らしていく。心が冷えそうだ。
翔の手から離れた傘が地面に転がっている。
彼は何も言わない。
「………いいよ」
「え?」
「巻き込んでいいよ。俺を題材にした小説を書いてもいい、好きに使っていいから……だから!」
翔がギュウッと腕に力を込めた。
「………っ!いいの?私で、本当にいいの?」
「当たり前だろ、愛理がいいんだよ」
翔の言葉に胸が締め付けられる。
こんな、こんな、嬉しくなることを言ってもらえていいのだろうか。
「ありがとう……翔」
ガタンっと椅子が倒れた。
ゆずが机に手をついて、突っ立っている。
その顔は、見たことがないほどに険しかった。
「ゆず兄?」
「………悪い、ミア、海。俺、帰る」
「え?でも……」
「じゃ」
ミアの止める声も聞かず、カフェを出て行ってしまった。
(………しまった)
海はため息をついて、コーヒーを飲み干した。
ミアがクッキーを食べるのを待つ間に、片付けをする。
「海先輩、私ー」
「大丈夫だから」
トレーを戻してカフェを出る。
そこにはもう、ゆずの姿はなかった。
「海先輩、ゆず兄どうしたんですか?」
「……多分、私のせいなの」
「え?」
「私が、“小説に書いたものを現実に反映できる能力”を題材したものを持ってきたから…だから、ゆずは……」
今朝の夢を思い出して、胸がズキリと痛む。
やっぱり、ダメだった。
ゆずにとっても海にとっても、苦しいことだったから。
そう簡単に振り切れるわけがないのに。
(それなのに、私はー)
ミアを、利用しようとした。
モカと沙樹の好意を踏み躙ってまで。ー最低だ。
(本当に、最低だ、私…)
この能力をどうにかしたくて、ミアならヒントをくれるような気がしていた。
彼女の力を借りようとして、結局ゆずを傷つけてしまった。
あの時と、何も変わっていない。
ゆずは、警告してくれたのに。
(………まだ、海の中……)
「海先輩!?」
気がつけば、走り出していた。
ーどこか、遠くへ。ここじゃない、どこかへ。
ー早く、早く。急がないと溺れてしまう。
後悔の波が海を襲う。ゆずの顔が浮かんだ。
ー誰か、この海から出して。
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