第2話 マリチョットギャラクシードリーム!
マリトッツォ───それはブリオッシュと呼ばれるパンに大量の生クリームを挟み込んだ、イタリアはローマで生まれた伝統的
マリチョット───それは大地の恵みを一身に受けた植物が生みだせし自然の食物。マリトッツォと味と食感、風味までよく似ており、この異世界の人々に広く親しまれている。俺を拾ってくれたギルボさんは先祖代々からのマリチョット農家だ。
手軽に糖分、炭水化物を摂取できるうえに甘く美味しいので、体力仕事の農家や土木屋に軍人、子供やご婦人にも好まれている。
この世界の人々にとって、マリチョットは生活に欠かせない食べ物なのだ。
そんな野菜を自分が作っていると思うと、俺も中々捨てた物じゃないなと思える。
───その、筈だった。
夜、中天に昇った月に、薄い雲が掛かっている。
「今日も一日お疲れ様だったな、マサヤ」
明かりの消えた夫婦の寝室。
二人用のベッドにフィオさんが寝間着姿で座っている。
「それはお互い様でしょう。フィオさんにはいつも助けられてるんですから」
「それこそお互い様、だがな」
キリが無くなりそうなやり取りが可笑しくなって二人で笑い合う。
実際、フィオさんが居なければ今日一日でこなした仕事を俺とミアさんの二人きりでやっていたのだ。
アイネが居るので今は似たような体制で仕事を回しているが、ミアさんも歳には勝てない。体力があってやる気もあるフィオさんが手伝ってくれて本当に助かっているのだ。
仕事の面だけでなく、もちろん家族としても。フィオさんとアイネの存在が、どれだけ俺の力になってくれているか、とても言葉では言い表せない。
「さ、明日も早いんだ。早く寝てしまおう」
そう言ってフィオさんはさっと布団に潜りこんでしまった。
俺としてはもう少し夫婦の時間を取りたいのだが、今は小さなアイネも居ることだし、少しでも体力を回復させなければ。
……最近ご無沙汰で寂しいとか、思ってない。思ってないから。
「今はアイネが居るんだ。大人しく我慢しろ、御父様」
「……口に出ちゃってました?」
「無意識か……まったく、お前がお義母さまの前で口を滑らしたら、私がいたたまれなくなるんだからなっ」
「う……す、すみません」
アイネがお腹に居ると判明する前。
ミアさんが出かけて新婚の俺たちだけだと思い、家の中でイチャついていると、忘れ物を取りに戻ったミアさんに見られてしまうという珍事があった。
あの「あらあらあらあら~」とおば様特有の高い声とミアさんの生温かい視線が今でも忘れられない。
気落ちした俺を見かねたのか、フィオさんが俺の額に指を当てて微笑みかける。
「───ちゃんと我慢できたら……め、目一杯相手をしてやるから」
なんて、照れ臭そうに言いながら。
それだけで俺は、もう、なんかもうたまんなくなってきた。
「フィオさぁーんっ!!」
あふれ出る衝動のまま、奥さんを抱きしめ「我慢しろと言ったばかりだろうが!」ようとして、額に手刀が振り下ろされる。
痛い、けど自業自得だから何も言えねぇ。
「まったく……ほら、いいから寝るぞ」
呆れたような笑顔を浮かべたフィオさんは俺の手を取り、ベッドへ引き込む。
柔かい布団に体が沈む。よく干された布団は良い匂いがした。それと、フィオさんが纏う柔らかな香りに包まれる。
俺の体は想像以上に疲れていたようで、あっという間に眠気と共に瞼が重くなってしまった。
せめてもの抵抗のように、眠気で曖昧になりながらも口を動かす。
「おやすみなさい、フィオさん───」
「───フフ、おやすみ。マサヤ」
フィオさんが微笑んだのを最後に、俺の意識は眠りへと落ちた。
───歌が聞こえる。
俺は暗闇の中に立っていた。
いや……正確には違う。辺りは満点の星空に囲われており、俺が立っている場所の遥か下には映像で見た事のある青い惑星、地球が回っていた。
そうか、ここは宇宙か。
理解した瞬間、どこか息苦しさを憶えた。
まずい。なんとか呼吸をしなければ。何か、酸素ボンベとか都合よくないのか。
必死にもがきながら、ふと手元に吸い込まれてきたものがあった。
とにかく何でも良い。酸素をくれ。
そんな一心で掴んだそれを口元に運ぶ。
それは、マリチョットだった。
マーリチョット マリチョット
マリマリチョット チョッチョット!
マーリチョット マリチョット
マリマリチョット チョッチョット!
歌が聞こえる。さっきよりも鮮明に、より大きく聞こえる。
ふと気づく。マリチョットを口にした瞬間、寸前の息苦しさが無くなった。
それどころか、宇宙空間に居ると言うのに呼吸ができるようになった。
目の前にまたマリチョットが泳いできた。
おもむろに手を伸ばし、捕まえる。マリチョットは暴れるどころか「どうぞ食べて」と言わんばかりに、大人しく手に収まっていた。
「いただきます───!」
感謝を込めて、マリチョットを口に放る。
フワフワのパンのような外葉と99.9%生クリームと言っても過言ではない果汁の甘味が口いっぱいに広がる。
あっという間にペロリと平らげ、気づく。俺は宇宙空間を泳げるようになっていた!
凄い、凄い! 子供のようにはしゃぎながら、俺は宙の海へと漕ぎ出す。
地球が小さくなるくらいの距離を泳いで、俺は辺りに満ちていた星明りの正体に
を理解した。
あれはマリチョットだ。宇宙の彼方で生まれ、食べられることなく散ったマリチョットの、最期の光なんだ。
何光年と離れていても、マリチョットが存在した証は光となって届いている。
「僕たちはここに居る」と、あらんかぎりの声を上げているのだ。
俺の胸の中に切なさと、熱い何かが込み上げてくる。
辺りを浮遊するマリチョットの群れ。俺は彼らと共に暗い大海を泳ぐ。
マリチョットの群れはまるで大きな魚のような形を成して俺を群れの中に飲み込んだ。俺は魚で言うと目に位置する辺りを泳ぎ、マリチョットの群れの一部となった。
マーリチョット マリチョット
マリマリチョット チョッチョット!
マーリチョット マリチョット
マリマリチョット チョッチョッチョ!
また歌が聞こえる。
いま誰か噛んだな。お茶目な奴が居たもんだ。
そう口にしようとしたが、やめておこう。
俺はまだ彼らの一部となって日が浅い。新参者が余計なことを言うもんじゃない。
などと考えて、ふと思った。
あ、これ夢だな。
そこから覚醒は、一瞬だった。
「───夢、か」
目が覚めて、夢の内容を憶えているのは稀だと、元の世界に居た頃に聞いたことがある。
……あれ、忘れようがあるかなぁ。忘れたくても忘れられない類の悪夢じゃないだろうか。
「ん……ぉはよぉ、マサヤぁ……」
「くあ」と可愛らしいあくびと共に、フィオさんが体を起こす。
トンチキ極まる夢を見てしまったせいだろうか。俺はどうしても頭の中から離れなかった疑問を、彼女に聞いてしまった。
「フィオさん……」
「むにゅ……なんだぁ?」
「───マリチョットって、なんなんでしょう」
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