マリチョット農家は叫べない~なぜ畑でマリトッツォが採れるのか今更聞いてももう遅い~

春髷丼

第1話 みんな大好きマリチョット

 マリチョット農家の朝は早い。


 夜明けと共に起きて、雑草の除去、水やり、摘芽に選定───これらを日が昇り切るまでに終わらせる。

 この道に進んではや十年。最近になってようやく亡き師匠の仕事に近づけた気がする。


 この異世界に来てすぐ、俺はマリチョット農家の老夫婦に拾われた。右も左も分からなかった俺に、師匠はマリチョットの栽培について一から十まで教えてくれた。


 マリチョットは年中通して栽培・収穫ができる食物だ。畑ごとに種まきのタイミングをずらすことで、どの季節でもその恵みにあずかる事ができる。

 その代わり、定植後の管理を年中気を付けなければならない。虫除けの防虫魔法の効果が切れてないかの確認も怠ることはできないのだ。


「───ん、イイ感じに育ってきてる」


 目の前に実っているマリチョットを手に取り、クリームの艶を確かめる。

 パンのような味と見た目をしたフワフワの外葉に挟まれた、甘味たっぷり生クリームのような───というか九割九分生クリームと言っても良い果汁。食べたらたちまちその食感と甘味の調和ハーモニーの虜だ。

 ウチで栽培しているマリチョットは特に甘くて美味しいと人気だ。少しでも多く良いマリチョットを収穫してお客さんの食卓に届けたい。

 そうやって朝の仕事をしていた、そんな時。

 我が家の方から奥さんの俺を呼ぶ声が聞こえて来た。


「───マサヤァー! 朝食ができたぞー!」


 離れた所から手を振る、ブロンドの髪を腰まで伸ばした美しい女性。あれが俺の奥さんだ。

 ───今日もフィオさん可愛いなぁ。

 なんて思いつつ、俺も彼女に向けて声を張り上げる。


「はぁーい! 今行きまーす!」


 さて、朝食を食べたら出荷の準備をしなければ。品質検査やら箱詰めやら、まだまだ仕事は一杯だ。

 目一杯食べて、昼の仕事に備えよう。

 俺は家族の待つ我が家へと足を向けた。




 朝食を済ませると、俺は収穫を済ませたマリチョットの品質検査のために倉庫へ籠る。

 以前までは親代わりのミアさんと妻のフィオさんの三人でやっていたが、娘が生まれた今は、ミアさんには俺たちの代わりに娘を見てもらっている。

 『お義母さまの分まで頑張らないと!』と張り切っていたフィオさんが懐かしい。

 彼女も今では立派なマリチョット農家。クリームの艶が悪い物、外葉が硬すぎる物を即座に弾けるようになっていた。


「こっちの分のマリチョットは見終わったぞ、マサヤ」

「もうですか!? 随分早くなりましたね」

「いつまでもマサヤとお義母さまには甘えてられないからな。母となった身なれど、私も鍛錬を積んでいるということだっ」

「流石です、フィオさんっ」


 えっへんと胸を張ると、彼女の豊かな胸もユサ、と揺れる。

 ……平常心、平常心。

 ともあれ、騎士だったころは武器の目利きもしていたのだというフィオさんの眼力は、市場に出すには十分でないマリチョットを見逃さない。相方として頼もしい限りだ。


 仕分けたマリチョットを箱詰めし、馬車の荷台に積み上げる。

 これらのマリチョットは、ウチと納入契約を結んでいる町の飲食店へ運ばれる他、町の大通りで開く屋台で売り出している。卸売りなどの中間業者を挟まず直で売買する販売方法は、先代から引き継いできた営業形態だ。

 ただ、少なくない数のお客さんがフィオさん目当てというのが腑に落ちない。自慢の奥さんにして看板娘ではあるが、魅力的すぎるのも悩みどころだ。


「それじゃあミアさん、行ってきます」

「気をつけるんだよ。アイナちゃんのことは任せておきな」


 ミアさんの腕の中には、つぶらな瞳でこちらを見上げる愛娘。

 安心しきっているのか、はたまたこの齢にして神経が太いのか。アイナは微塵も泣かずに俺たちを見送ってくれている。

 ……ちょっと寂しいとか、思ってない。これっぽっちも思ってない。


「アイナ。お婆様の言うことを聞いて、お留守番してるんだぞ」


 フィオさんがアイナの頭を優しく撫でる。

 すると、アイナはその小さな手で、フィオさんの一指し指を掴んだ。

 愛娘との触れ合いにフィオさんはもうメロメロだ。


「~~ッ! ま、マサヤぁ……!」


 『離ればなれになりたくない』と潤んだ眼が訴えてくる。

 俺は心を鬼にしてフィオさんを娘から引きはがした。


「気持ちは分かりますけど、行きますよ。帰ったら目一杯遊びましょ」

「そ、そうだな……じゃあ行ってくるな、アイナ。すぐ帰ってくるからな」


 名残惜しそうにフィオさんはアイナのほっぺたを突っつく。

 娘は一言「ぁう」と答えて、ひと時の別れを惜しむ母を慰めた。


 俺たちは馬車に乗り込み、フィオさんが手綱を握る。この世界の元騎士だけあって、馬の扱いは俺よりもフィオさんに一日の長があり、彼女から学ぶところはたくさんある。

 俺も一人で馬車に乗れるようになりたい。と、そう口にするとフィオさんは、


「私は今のままでも構わないぞ。お前の手綱捌きが上達するのは良いが、こうしてお前と並んで馬車に乗る機会が減ってしまうのは寂しい」


 と、凛とした顔と声で臆面もなく言ってのける。その台詞はイケメンにしか許されませんよ奥さん。いや、女性の中ではイケメン美女の部類ですけどね貴女。

 なんだか恥ずかしくて顔が熱くなってきた。こちらを流し目に見て微笑むフィオさんの顔が良すぎて直視できない。

 照れ隠しに視線をよそにやるが、俺の魂胆なんて彼女にはお見通しなのか、クスクスと笑う声が聞こえる。

 俺の奥さんは可愛いし、そのうえ意地悪だ。




 贔屓にしてくれている飲食店へマリチョットを納入し終えると、俺たちは屋台の開店に向けて準備を急ぐ。

 ウチのマリチョットは人気商品。時間通りに店を開けて、今も並んで待っているお客さんに届けなければ。

 マリチョットを箱から出して店に並べ終えるとほぼ同時に、その時間がやってきた。


「『ギルボマリチョット』開店でーす! どうぞ買っていってくださーい!」


 言うと同時に、並んでいたお客さんが店番をしているフィオさんのもとへ殺到する。

 俺は順番抜かしなどが起きないように列の整備に努めた。

 屋台の方では目まぐるしい注文を素早く丁寧に捌くフィオさんの姿が見える。


「マリチョットを三チョットだな。はい、どうぞ。

 そちらは? 五チョット、少し待ってくれ。……はい、毎度あり。

 ああ、今日も来てくれたのか。なに、十二個1ダッチョに私の笑顔も付けて欲しい? ふふ。高くつくが、本当に良いのか?」


 老若男女からひっきりなしに飛び交う注文を、まるで相手の攻撃を剣でいなすように的確に売りさばいて行く。

 ウチに来てすぐの頃は忙しさに目を回していたというのに、大きくなったものだ。

 それと今フィオさんにちょっと色目を使ったやつ、顔覚えたからな。

 市場の買い物帰りだろう、子連れの母娘がうちで買ったマリチョットを食べている姿が見える。口元についたクリームを母親がハンカチで拭い、二人で「美味しいね」と笑い合っていた。

 ああいう光景を前にすると、マリチョット農家冥利に尽きる。

 列の整理が終わったら、俺もフィオさんに負けないよう張り切って売りまくろう!




 一日の仕事を終えて我が家に帰った頃には夕方になっていた。

 家に戻るなりフィオさんはアイナを抱き上げ、愛娘に頬擦りをしている。ずるい。

 ミアさんが用意してくれた夕食に舌鼓をうち、よく湧いたお風呂で一日の疲れを癒した。

 湯船に肩まで浸かり、この幸せな日々がいつまでも続くように窓から見える星々に祈りを捧げ───ふと、俺は口にした。


「───なんで、マリトッツォが畑で獲れるんだろうなぁ」


 マリトッツォ……俺が元居た世界でかつて流行し、気づけば消えていたスイーツ。

 それがこの世界ではマリチョットと呼ばれ、何故か野菜として栽培されていた。

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