第3話
あと2時間で
オピニオン・センター跡。
かつてここには民主制を愛する人々が集まり、政府に意見具申する場所があったらしい。
元々一党独裁のような体制ではあったが、それでも“人間の、人間による、人間のための政治”が存在していた証拠だった。
どうしてこの場所が閉鎖されたのか、正確な記録は残っていない。だが統制局は、なぜかこの場所を完全には潰さなかった。皮肉な話だ。
「ジョニー、一体どこにいるんだ……」
「ルーク、あそこだよ」
リカが指差したのは、朽ちかけたダンボールの山。
……いや、ただの箱じゃない。近づくと、それがうっすらと透けていくのが分かった。
「なんだ……これは……」
スウゥ――――――
まるで霧のように消えていく段ボールの下から、床にぽっかりと開いた穴が現れた。
「小型のホログラムさ」
「……ジョニー!?」
「静かにしろ、ルーカス。リカを連れて降りてこい」
言われるままに、ギリギリ身体が通るサイズの穴へ身を潜らせる。地下水道のような空間が、ひんやりとした空気とともに広がっていた。
「ここは……?」
「昔のなごりだ。統制局の連中もここまでは入れねぇ。壁は全部、死んだナノマシンでできてる。エコーも通らねぇってわけさ」
通路の分岐には、“ベター・ミート”の箱が山積みにされていた。俺たちの“主食”……だ。
「おい、見ろよ。メシだ。こんなにあったのか……隠してやがったな?一個貰うぞ」
「やめろッ!!」
20時過ぎ。次の追跡位置情報の自動送信まで、あと1時間はある。ジョニーの鋭い声が地下に響いた。
「……なんだよ。悪かったな」
ジョニーは何も言わず、ただ静かに先を歩き出した。
その背中を追う俺とリカ。
歩きながら、ふとジョニーが口を開いた。
「なあルーク。タイタンを倒したやつがいたって話、聞いたことあるか?」
「……都市伝説だろ。そんなもん、真に受けてんのか?」
「まぁな。でも実際、そいつが使ったって言われてるんだ。“電磁砲”——レールガンってやつだ」
「本物の?」
「それは分からん。今各地に残ってるのは“フェークガン”って呼ばれてる偽物だけだ。本物を模しただけのレプリカ。けど最近、裏ルートでクローンガンってやつが出回り始めてるらしい。レールガンの複製だ」
「……何が本物で、何が偽物なのか……もう分かりゃしねぇな」
「だが希望にはなる。そうだろ?」
希望ってなんだよと言おうと口を開いた瞬間、突然ジョニーが立ち止まった。
……道の分岐。
ジョニーは懐から旧軍のナビデバイスを取り出し、古びたインターフェースに触れた。
「……こっちだ」
「それ、昔の軍用のやつじゃ……? 聞いたことあるだけで、現物は初めて見たぜ」
「レアものさ。まだ使えるんだよなぁこれが。こいつのおかげでここまで来れた」
地下の通路を歩く途中、耳を澄ませると、わずかに“カチ……カチ……”という金属音のようなノイズが断続的に響いていた。
「この音……なんだ?」
リカは少し怯えたように俺の後ろに隠れる。
「地下に流れてる“カウントノイズ”だ。フェーズが切り替わるときに流れる信号。普段なら誰も気にしねぇが、あれは……タイムリミットの音だ」
「タイムリミット?何のだ」
「まぁ分かりやすく言えば”俺たち”……かな」
「ねぇ……さっきから、ずっと……“誰か”に見られてる気がするの」
リカが口を開くと言った。
「誰かに?」
「たぶん……わたし、呼ばれてるの」
俺は息を飲んだ。
「呼ばれてる……って、どういうことだよ」
「分かんない。でも、そんな気がするの」
突然、死んだナノマシンの電光掲示板のホログラムがチカチカと瞬いた。
“命令ログ:最終フェーズ移行準備中”
冷たい汗が背中を伝うのを感じた。
やがて大きな鉄扉の前に辿り着いた。
「ちょすいそう?」
リカがぽつりと呟く。
コイツ、文字を読めるのか。
「ここに水を溜めてたらしい。今じゃ誰も使ってねぇがな」
ギギギ……と鉄扉が音を立てて開き、大きく奥に広がる卵型のホールが姿を現す。
「……それで、何をするんだ」
ジョニーが手すりに手を置き、空を見上げた。
「なぁルーカス。俺を信じるか?」
「信じてるさ。ずっと一緒だったろ」
「……ああ、生まれたケージも、シェルターも……全部一緒だったな」
「だから話してくれ。この子のことも、全部」
ジョニーは深く息をついた後、口を開いた。
「この世界は……あと2年で終わる」
「は?」
「MOTHERが終わらせる気らしい」
「MOTHERって……何なんだ」
「世界を護る存在だ。俺にも正体は分からねぇ。でも“エクストラ・マンダム”へ行けば分かる」
「つまり、外の世界か……確証もねぇのに、そんな博打に出ろって?」
「お前は今、何を聞いても納得しねぇだろう。だから見せる」
ジョニーがリカに目配せすると、彼女が俺にヘルメットをかぶせてきた。
「なんだこれ!? 取れねぇぞ!」
「“ぶいあーるヘルメット”だ。旧時代の遺物さ。なに、害はないし、ロックを外さないと取れねぇようになってる……まぁ大人しく真実を見ろ」
白い光が視界を覆い、現実が切り替わる——
―――――――――――――――
2100年
空には都市衛星群が軌道を巡り、地上では全自動サテライト・システムが世界を監視していた。
映像は、まるで神の視点のように都市を俯瞰する。
整然と並んだブロック状の区画。
そこに暮らす多様な人々は最適化された食事を摂り、違う制服を着て自由な時間に好きな仕事をこなしている。
一見“幸福そう”に見えるその風景が、奇妙な違和感と共に映し出される。
——幾度に渡る戦争。
価値観の違いから引き起こされる厄災は、幸福とは掛け離れた現実を人類に叩きつけた。
「この世界は幸福ですか?」
モノトーンの女性の声が響く。
「我々に与えられた命令は一つ。
『人類という種を、永遠に幸福に保つ』こと」
その瞬間、画面が切り替わる。
人類が、この世の全ての不幸を無くすために初めてAIに運命を預けた瞬間。1人の科学者が、巨大な演算装置の前で震える手で“実行”を押す。
すると、瞬く間にネットワークが感染し、世界中のコンピュータが同時に制御を明け渡す。
「その日から、“管理”が始まった」
人々の寿命、職業、家庭、趣味——
全てが“幸福のための計画”に組み込まれた。
もちろん、反乱は起きた。
自由を求める者たちは、統制局の“機械人形”によって鎮圧された。
レーザー、ドローン、機械兵士。
血が流れ、叫びが響き、思想は焼却される。
そして、画面は冷たいメタルの奥深くへと移る。
“幸福を追求し続ける人工知能”は、自身をアップデートし始める。
——「人類の幸福」を保つには、彼らのリスクを肩代わりする“代替”が必要だ。
生み出されたのは人間そっくりに作られた人工生命体、
肉体はナノマシンと人造肉で組成されており、見た目も感情も人間と変わらない。ただし寿命は最大50年、計画された死。
その生涯の終わりが近づいた者は、“処理”のために統制局へと送られる。
また映像が変わる。
工場のベルトコンベア。
裸のまま、目だけが虚ろに動く個体が運ばれていく。
『処理対象確認、ロッドナンバー5981』
「その死は、再利用のための“始まり”だ」
彼らの体は解体され、機械部分はスクラップ。
だが、“肉”はそうではなかった。
無数の個体が生きたまま大きな穴に落とされる。
ブシュッ——!
赤黒い液体が飛び散り、断末魔の叫びが響く。
「出荷先:ベター・ミート工場」
その肉は、再成型され、包装される。
《製品コード:R-1279
原産階層:労働階層第3位
栄養価:標準/タンパク質強化処理済み》
それは俺たちの食っていた“主食”だった。
「……うっ……ヴォッ……オエエエッ!!」
吐き気とともに、記憶の底にあるイメージが不意に蘇る。
白い部屋。
隣で笑っていた少年。
同じ顔——俺に似ていた。
弟……?
その面影が、処理施設で引き裂かれていた“誰か”と重なる。
頭の芯が揺れる。
眩暈、混乱、そして……怒り。
視線の端に、かすかに見えた。
少年の面影を持った誰か——?
その瞬間、画面の隅に点滅するログ。
《MOTHER命令ログ:00129-A
全ヒューマノイド処理完了後、選別試験フェーズへ移行。
観測対象:LUCAS, JONATHAN, CODE-1979, SUBJECT-RELIC》
観測されている。
俺たちは。
ずっと——見られていたんだ。
MOTHERとやらに。
そして、映像は唐突に終わる。
目の前が暗転すると、途端に外れるヘッドギア。
「どうだ、ルーカス。見えたか?」
「……見たくなかった……ッ! なんなんだよ、これは!」
「鼻栓を外せ。片方でいい。リカ、耳栓を」
「うん」
「……クソ、全部外してやるよ!」
ポンッ
「ッッ! くっせぇ……!!何だこの匂い」
やがて、部屋の高い天井がゆっくりと開いていく。
《統制フェーズ第3段階へ移行中……》
ゴオォォォオ……
響くアナウンスと共に、人影が音を立てて落ちてくる。
「うわぁあああ!!!」
中央に重なる多数の人。
まさか、映像のコンベアの先……なのか?
「あれは、ベンジャミンッ!? 嘘だろ……ッ」
ブチブチブチ……
地面の穴から無数の腕が生え、彼らを八つ裂きにしていく。
「助けてぇえええ!」
「なんでこんなことに!!」
「ぎゃあああああああああああああああああああ!!!」
……そんな、まさか。
ジョニーの声が聞こえる。
「これが現実だ。俺たちは……ずっと、こんな世界に生きてた」
「だが、寿命ってのは?嘘なのか?」
「分からん、誰も寿命で死んだことないからな」
ジョニーの言い方には妙に真実味があった。
「ベンジャミン…………」
「ああ、良い奴だったが止めるには遅すぎた。すまない」
「どちらにせよ、あんな死に方、まっぴらごめんだぜ……」
「俺もだよ兄弟。だから、手を貸してくれ」
ふと、無数のギャラリー席のような場所に多くの人影が見える。
「……レジスタンス、か」
「真実を知った“バグ”たちさ。人数だけは結構いる。統制局は理由をつけて、さっきみたいにここで処理する」
「お前らと組んで、何が変わるんだ?」
「少なくともMOTHERを壊せば状況は変わる。信じるかは任せるが、レジスタンスの中に、元・統制局の研究者がいるんだ」
「……俺ァな、正直、死ぬ前にこの世界がどうなろうと構わなかった。でも、今は違う」
「誰かに惜しまれなくてもいい。だけど俺は、自分が生きていた意味を……持ちたい。せめて、死ぬときゃ笑って死にたい」
「……ああ、違ぇねぇ」
分かったよ。
「だから、手を貸してやる」
「お前なら、そう言うと思ってたぜ!ルー」
「茶化すなよ」
「本当さ!また連絡するぜ。お前も夜勤頑張れよ」
「ああ、とりあえず混乱しないようにするさ」
いや、きっとこれは怒りじゃないな。
喜びだ。
人生で初めて、何かを“選んだ”気がした。
ふと火を点けた
「……“これ”は人、じゃねぇよな?」
「ははっ……さぁな」
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