異世界書物~エネミーブルー~

夜桜日々哉

物語の火蓋は切られた

第一頁 物語の火蓋は切られた その1

 異世界書物、異世界で起こった波乱万丈の物語が記されたそれは、僕にとって宝物だ。


 毎日毎日、異世界書物と出会ったあの日から僕は、その中でも特にお気に入りのそれを読み返していた。


 家に置かれた何十とある書物の内ただ一冊、街の大きな図書館にある何千何万とある書物の内ただ一冊、僕が何百と読み返したことのある書物はただそれだけだった。


 だから今日も僕は、つまらない授業にそっぽを向いて、教科書を読むふりをしながら愛読書を目で撫でていた。


 特に今日は念入りに。なぜなら今日の四限目の授業は……。


「次、テトラ」


「はい!」


 最も愛読している異世界書物をクラスのみんなに発表・紹介する時間だからだ。


 僕は、名前が呼ばれると一冊の異世界書物を抱きしめながら即座に席を立ち、教室の最奥にある教卓へと向かって足早に歩みを進めた。そして定位置につくと、先生の合図を待たずして大きく息を吸い込み、満面の笑みで次の第一声を発した。


「僕の紹介する異世界書物は、ペイン&マジックです!」




 放課後になると、僕はここ、魔法大国イルミナの中心部に位置する大きな図書館へと訪れた。ここは僕にとってのが詰め込まれた場所であり、だ。


「ただいま、トキメラ」


 僕が名前を呼ぶと、この図書館の司書兼僕の育ての親であるトキメラは、浮遊魔法を用いて徐々に僕の方へと降りてきた。図書館の天井近く、およそ高さ二十メートルほどのあるところから僕の方目掛けて一直線に。


 手元には返品されたらしき異世界書物を抱えている。恐らく商品の整理中なのだろう。


「ああ、おかえりテトラ、何か新作の異世界書物でも持ち帰るかい?」


「大丈夫、今日はペイマジを二十回は読み返すつもりだから」


「お、もしかして今日の発表上手く行ったのかい?」


 トキメラはその圧倒的な数に驚くことなく、図書館内を浮遊している、指先に乗るほどの大きさの小さな光の球、通称精霊と呼ばれるそれを撫でながら僕の言葉に反応する。


 もちろん、えくぼに温かみのある赤を浮かべるほどの満面の笑みで返した。


「うん!」


「ははは、ならよかった。それだったら先に家に帰って読書しておいで」


「え、けど図書館の手伝いはいいの?」


 普段は放課後、図書館の閉まる十八時まではトキメラの手伝いをするのが僕の日課だった。


「今日はそんなに忙しくないし、別にいいよ。パラメラも家で待ってるし、早く帰ってあげな」


「ふーん、わかった。じゃあ先帰っとくよ、じゃあね、トキメラ」


「うん、また」


 そう言って手を振りながら外へと向かい駆けていくと、それに合わせてトキメラも僕に手を振ってきた。心做しか色鮮やかに光る精霊達も手を振っているように見える。


 僕の家は、この図書館の正面にあり、徒歩一分で着けるような距離にある。中にはパラメラというペットがおり、トキメラと共に僕はこの家で暮らしているのだ。


 家のドアを開けた途端、中からパラメラが僕に向かって飛びついてきた。丸っこい耳にツンとした鼻先、くりくりとした目、赤ん坊くらいの大きさでふわふわとした黒毛を身にまとったそれは、僕の一日の疲れを一気に吹き飛ばしてくれた。


 異世界書物で見たオオカミのような尻尾が僕の膝小僧をくすぐり、なんだかとてもくすぐったい。


「ははは、なんだよパラメラ、そんなに寂しかったのか? よしよし、またペイマジ読み聞かせてやるからな」


 パラメラは、僕の愛読する異世界書物であるペイン&マジック、略してペイマジの読み聞かせをしてやると尻尾を大きく振りながら喜んで聞き入るのだ。


 パラメラのご飯だけ傍に置いてから、僕はいつもの読み聞かせの体勢に入った。リビングにある柔らかい座布団の上に寝っ転がり、手にはペイマジ、傍にはパラメラが居る。まさに完璧と言える体勢だ。


「よし、じゃあ読むぞパラメラ。異世界書物〜ペイン&マジック〜」


 そう言うとパラメラは元気な声で鳴いた。僕とパラメラ、二人の……いや、一人と一匹の青い瞳は、ただ一点、ペイマジの世界を見つめていた。




 どれだけの時間が経っただろうか。重いまぶたと重い体、二つの気だるさを何とか払い除けて起き上がった後、視線の先には幾つかのものがあった。


 まずはペイマジ、真ん中あたりのページを開いたまま床に突っ伏している。次に時計、時刻は十八時半を指しており、読み聞かせを始めてから二時間ほど経過している。そしてパラメラのご飯、器は空になっている。最後に、親の顔より見てきた顔、いや、親の顔と言うべきか、とにかくそこには彼女が居た。


「おはようテトラ、随分と疲れてたみたいだね」


 トキメラだった。


 状況から察するに、僕はパラメラに読み聞かせをしている途中、疲れて寝落ちしてしまったのだろう。


「ああ、うん、おはよう」


 寝起きだと頭に霧がかかったようで、上手く頭が回らず言葉がダラダラと出てくる。


「ところでテトラ、パラメラがどこに居るか知ってるかい?」


 その言葉を聞いて僕はハッとした。


 ああそうだパラメラ、そういえば起きてから見てないな。きっと二階にでも上がったんじゃないだろうか。


 そう思い僕は、欠伸あくびをしながら口を開こうとしたが、トキメラがそれを遮った。


「家中どこ探しても見当たらなくてさ」


 その言葉を聞いた瞬間、僕の頭の中にかかっていた霧は土砂降りにでもあったかのように消え去っていった。


「え、どこにも?」


 僕が若干険しい顔つきで言うが、トキメラはひょうきんな顔で言った。


「うん、どこにも」


 少しばかり嫌な予感がしながらも、僕は冷静を保とうと落ち着いてゆっくりと立ち上がり、そのまま瞬きを早めながら家の中を見回していった。


 リビング、ベランダ、玄関、階段、二階。それらを一つ一つ調べていくうちに僕の鼓動は速くなつていき、足取りは芯を無くしていった。


 そして最後、僕の部屋を訪れた時にその嫌な予感は確信へと変化した。


「やっばい……」


 窓が開いている。


 夏風に吹かれたカーテンが僕を煽るようにしてなびく。五年前、僕がまだ八才の頃にも同じことがあった。あれから五年間、パラメラ単体で逃げ出すことなんてなかったから油断していたから、まさか今日になって逃げ出すとは思っていなかった。


 様々な思考が頭の中を駆け巡るが、その全てがただの雑音となって僕の精神ハート を蝕んでいく。


 ……どうすればいいのだろうか。僕は少しの間、その場で立ち尽くしてしまった。

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