惑星

 一日の仕事を終え、紅茶を飲んで一息ついているとスマートフォンの通知が鳴った。

 マッチングアプリからの通知だった。

『やりたい』

 その直截的な一言だけのメッセージに僕はげんなりする。メッセージを送ってきた人間は、自分よりかなり年上の男だった。薄汚れた部屋、シミのある破れた襖の前であぐらをかいた写真をインカメラで撮っている男。せめて、他にもう少し方法はないのだろうか?

 太陽と連絡が取れなくなってもう数ヶ月が経つ。ツイッターもインスタグラムも閉鎖され、ラインのメッセージにも既読もつかない。そう、彼は死んでしまったと僕は思う。他の人間にとってさえ、もしかするともはや同じなのかもしれない。

 そうなって、僕は僕の中の彼が死んだことに、少しずつ慣れていっていたところだったから、Amazonの荷物が届いたんだと思って開けた玄関ドアの向こうに、春川太陽がいたときには本当に驚いた。

「……よう」

 太陽はどこか照れ臭そうにそう言った。俯く顔には包帯はなく、生々しい傷跡が残されていた。僕は驚きながらも、

「とりあえず、入りなよ」

 そう言って太陽を室内に招き入れた。太陽は無言で部屋に入ってきた。座らせた無印良品のダイニングテーブルは、太陽の大きな体には似合わなかった。

「最近、どうしてたの」

 コーヒーを淹れ、カップを太陽の前に置きながら尋ねる。太陽は、

「ああ、……うん。日雇いバイトとかで、食いつないで……なんとかやってる」

 僕は太陽の正面に座る。沈黙が流れる。太陽に、何を言えば良いのか分からなかった。どうしたものかと思っていると、スマートフォンが震えた。先ほどの男からだった。

『ダメ?』

 僕はうんざりした気分になる。それが顔に出ていたのか、

「どうした?」太陽に尋ねられ、

「いや、ちょっと、アプリにメッセージが来てさ」

 そう答えると、太陽は少し意外そうに、

「そうか、お前もアプリとかやるんだな」

「そりゃ、やるよ」

「なんか、お前はそういうのから離れたところにいるんだろうなって、勝手に思ってた」

「何、それ」僕は笑う。

「お前って、そういうの嫌いだと思ってたから……そうなんだ、お前も普通に、やるんだな」

 太陽は何か思うところがあるのか、しばらく黙り込んだ後、

「アプリのレベル、いくつ?」

 と訊いてきた。そのアプリにはお気に入りされた人数に応じてレベル付けされるというえげつない機能がついていた。僕は、レベルは12だった。さほど高くないレベルに、恥ずかしくなりながらその画面を差し出す。太陽が一体いくつなのか、僕は興味があった。

「ほら」

 太陽が見せてきた画面には、レベル54と表記されている。

「すご」僕が思わず笑うと、

「――こんなのはさ、見せかけなんだ」

 太陽が目を伏せたままそう言った。

「なんていうかさ、俺は自分が世界の中心だって、多分ずっと思ってたんだ。アプリのレベルだって二丁目の生活だって、みんな俺に群がるみたいに人が集まってくる」

「うん」

「俺は、他の人間を、俺の周りをくるくる回る、星、みたいな……そんな風に思ってた。そう、ずっとそう考えてたんだ。最悪だよな、俺って」

 太陽は自嘲的に笑ったが、――それは、本当に悪いことなのだろうか?

 自分が世界の、太陽系の中心で、自分の周りに惑星がくるくる回っていて、光っているのは自分ただ一人で、残りはその光を反射しているだけ。そんな考え方は果たして本当に自分本位なのだろうか? みんな本当は心の底で、心のどこかでそういう風に思っているんじゃないだろうか? じゃないと、この世界を生き抜くにはきっと辛すぎる。

 だけど、太陽は二つあってはいけないのだ。だから、僕たちは……。


「今日はありがとう。また、よろしくな」

 玄関から一歩外に出た太陽がこちらに向き直ってそう言った。僕はやはりその発言に赤を入れたい気持ちになった。だって、太陽の顔を見れば『また』なんて無いことは分かる。マンションの扉はするすると閉じていき、最後にバタンと音をたてて僕と太陽を切り離した。

 震える手で扉に鍵をかけながら、太陽は今度こそ本当に死んで(死んで:傍点)しまうのだろうと思った。太陽と僕の人生が交わることは、もう今後一切ないだろう。

 太陽はきっと最後に僕を切り捨てにここに来たのだ。僕はそれが分かったから抵抗はしなかった。だって太陽がそれを望んでいたのだから。

 僕は部屋に戻り太陽が座っていた椅子に座った。僕は部屋を見る。がらんと広がる部屋。机の上の、珍しくほとんど直すところのない原稿。生々しい太陽の顔の傷痕。尻の下に感じる、かすかな太陽のぬくもり。

 太陽の体が、あのラインの死体たちの上にどさりと新しく積もる。そんなイメージをして、それはもう仕方のないことだと思う。僕は新しくコーヒーを煎れようと立ち上がり、太陽の飲み干したカップの底に残るわずかな液体を見て唐突に思った。

 なぜ僕は、今まで去っていく彼らを見殺しにしてきたのだろう。

 彼らは死んでいったんじゃない。僕が殺したんだ。

 だから、太陽を本当にかどうかは、結局、僕次第なのではないか?

 僕は、僕の中の太陽に生きていて欲しい。僕とわずかでも繋がっていて欲しい。太陽がどうなろうとも、どう生きていようとも――極論、太陽がそれを望まなくても。

 僕は部屋を飛び出し鍵を開け扉を開け、外へ出た。

 太陽、お願いだ、君の話を聞かせてよ。

 外は抜けるような青空だった。僕は太陽を見上げる。太陽はいつもと同じように輝いていた。太陽はいつだって眩しい。僕たちの星は、地球という惑星は、あの周りをぐるぐると回っているのだ。今だって、ずっと同じに。

 僕はそんなふうになりたい。

 駅までの道、きっとまだそこに太陽がいる。僕は走り出して、太陽を探しに行く。


(完)

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極夜 数田朗 @kazta

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