間取りの外

夏の初め、俺たち家族は郊外の古い一軒家に引っ越した。

父の転勤に合わせてのことだったが、俺は高校を休みたくなくて、しばらくは母と弟と三人で先に住むことになった。


築年数は古いが、家は広く、庭には梅の木が一本あった。

少し変わった造りで、玄関を入ってすぐのところに畳の間があり、そこから右手の廊下に沿って部屋が並んでいる。

一つだけ、家の中に地図にない小部屋があった。

母が言うには「物置ね」とのことで、特に気にも留めなかった。


ただ、その部屋の戸だけは、なぜかいつも閉めてあった。


引っ越しから二週間が過ぎた頃、夜中に弟が起きて泣いていた。

「誰かが、歩いてる音がする」と言う。

俺の部屋の隣が例の物置だったから、そっちを気にしていたのだろう。


その翌日、学校から帰ると、母が庭をじっと見つめていた。

「……朝、なかったのよ。足跡が」

そう呟いていた。梅の木の下、土の上に、小さな足跡が点々と続いていたという。

子どもの足跡のようだったが、この家には俺と弟しかいない。

弟の靴ではなかった。


夜、風呂から上がったとき、ふと廊下の奥に気配を感じた。

例の物置の扉が、少し開いていた。

誰も触っていないはずなのに。

だが中を覗いても、何もない。

埃っぽい空気と、乾いた畳のにおいだけが鼻についた。


翌日、母が言った。

「ねえ、廊下の奥に小さな障子、あったかしら?」

そんなものはなかった。俺も弟も覚えていない。

けれど夜になると、たしかに廊下の突き当たりに小さな白い障子戸が見える。


試しに開けようとすると、スッと消える。

明かりをつけて近づくと、ただの壁だった。


ある晩、夜中に目が覚めると、誰かが廊下を歩いている音がした。

コツ、コツ、と小さく軽い足音。

起きていた母も聞いていた。だが、俺たちは声を出せなかった。

その足音は、例の戸の前で止まり、しばらくしてから引き返していった。


朝になると、何事もなかったように静かだった。

だが、その日から家の間取りが少しずつ変わっていることに気づいた。

廊下が少し長くなり、風呂場の位置が微妙にずれている。

台所の窓から見える庭の風景も、ほんの少し違っている。


母は笑って言った。

「うち、広かったのね。昨日より、ひと部屋増えてたわ」


その笑顔のまま、母はしばらくして突然消えた。

役所に届け出を出しても、警察に頼んでも、「もともと三人家族ですね?」と言われた。


誰も、母の存在を覚えていない。

父が帰ってきても、俺と弟しかいなかったように扱う。

だが、俺の部屋の隣の壁には、あの物置の扉が、いまだにある。


昨日、開いていた。

中から、小さな足音と笑い声が聞こえてきた。

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