第2話 静かな森に、来訪者

 静かな森の朝は、思っていた以上に心地よかった。

 鳥のさえずり、朝露の匂い、遠くから聞こえる小川のせせらぎ。魔法都市の喧騒と比べれば、まるで別世界だ。


 カノンはパンを焼きながら、暖炉の火をぼんやりと眺めていた。

 魔法で温度も湿度も管理しているとはいえ、この森の空気には何か優しさのようなものがある。


 それでも、彼女の顔に浮かぶのはどこか気を張った表情だった。


「……はぁ。せっかく静かな時間なのに」


 バサッ、と屋根の上で羽音が響いたのは、そのときだった。


 


***


 


 屋根の上に降り立ったのは、カラスのような姿をした黒い生物だった。

 だが、ただのカラスではない。目は深い瑠璃色で、そこには明らかに知性と魔力の光が宿っている。


 見た目こそ鳥類だが、正体は――情報魔法生物クロ

 空を飛びながら世界中の情報を集め、話すことができる特殊な存在だ。


「……おや、ここに魔女が住むとは。珍しいねぇ」


「カラスが、しゃべった……?」


「カラスじゃない。“情報魔法生物”クロ様だよ。こう見えて、世界の動きを全部チェックしてるんだ」


「そういうの、余計にうさんくさいわ」


 カノンはあからさまに眉をひそめた。

 せっかくの“おひとりさま時間”に、鳥の姿をした魔法生物が割り込んできたのだ。警戒するなという方が無理だった。


「……でも、まあ。人間じゃないなら、まだ許せる」


「ひどい言い草だねぇ。私は君の味方になってやってもいいと思って来たのに」


「結構よ。私は一人で静かに暮らしたいだけ」


 ピシャリと断るカノンに、クロは「まったく、素直じゃないな」とつぶやいて、屋根の上で羽をふるわせた。


「まあ、今日のところはこのくらいにしておくよ。また来るから、よろしくね」


「来なくていいって言ってるでしょ!」


 


***


 


 クロが飛び去ったあと、カノンは念のため山小屋の周囲を見回った。

 誰かに知られたのなら――と、疑念が湧いたからだ。けれど森の中は変わらず静かで、風の音だけが木々を揺らしていた。


「……大丈夫。きっと」


 独り言のようにつぶやいたそのとき、足元にふと違和感を覚えた。


 何か、いる。


 山小屋の裏手。焚き火のそばで、黒い塊のようなものが丸くなっている。


 ――それは、小さなドラゴンだった。


 全身黒い鱗に包まれ、細い尻尾を体に巻きつけている。寒さのせいか震えていて、寝息は浅く、不安定だ。


「……なんで、ドラゴン?」


 しかも、まだ子ども。大きさはせいぜい犬くらい。敵意も魔力も感じない。


 カノンはしばらく立ち尽くしていたが、やがてため息をついた。


「……仕方ないわね」


 魔女として、放っておけない。

 魔法で毛布と干し草の寝床を作り、焚き火の火を強めた。


「別に、助けたわけじゃない。……目障りだっただけ」


 カノンはそう呟いたが、目はそっとドラゴンの小さな背を見守っていた。

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