第四章∶十四節 いつか開かれるその時まで
夜明け前の星空にミカ・ナ・サムが大きく輝いている。
まだ地上は暗闇に鎮まる時、タウの浜辺に人々が集まっていた。
松明に照らされた船は波に軋む音を響かせている。
ナブタプラヤの民は船に乗り込み、帆を確かめる航海士達、空を見上げる者達、浜辺の人々を眺める者達は出港の時を待っていた。
カカセオ夫婦は船を背に、セヘテプ、ザウリ、マシリ、セトゥ、イシャナ、そしてバラカと向かい合っている。
「いよいよ、船出だな。太陽とミカ・ナ・サムの元へ向うナブタプラヤの民よ、健闘を祈る。」
セヘテプは厳かに、そして心からの敬意と祈りを持って告げた。
「俺はお前達を誇りに思う。ナブタプラヤの事は任せろ。きっとヒナレまで俺達の創り上げる伝説を轟かせよう。」
ザウリは力強く頷き、カカセオと抱擁した。
ザウリはカカセオにしがみつぎながらキツく目をつぶっている。その筋肉に覆われた身体が懸命に震えを抑える姿は、わかりやすい程に悲しみを湛えていた。
カカセオは両手でザウリの腕を掴み少し離れると目をまっすぐに見つめ力強く頷いた。
薄く涙を湛えたザウリの目がそれに応えるとマシリが進み出てくる。
「お前達の事は忘れない。そして、俺達の事も忘れるな。離れていてもこの空の下、俺達は一緒だ。」
マシリは胸に手を当て、その手を空に掲げた。
カカセオも手を空に掲げ、マシリの手を握った。ミカ・ナ・サムを背景にその結ばれた二人の手は永遠に空に刻み込まれるようであった。
ザウリに背を押されセトゥ泣きべそをかきながら前へ進み出る。
「カカセオ、俺との約束は忘れるなよ…」
セトゥはそれ以上言葉が出ない。
「セトゥ、もうカカセオの声を聞くことは出来ないんだぞ?ちゃんとお別れしろ。」
ザウリがそう言うとカカセオは制した。
「セトゥ、約束した。ミカ・ナ・サムを見上げた時、いつもお前に話しかける。その声をお前は聴けるはずだ。お前が立派な男になるまで、俺はお前の側にいる。」
カカセオはセトゥの両肩を掴み、目を見つめて頷く。
セトゥは泣きじゃくり、カカセオにしがみついた。
アナシラの前にイシャナが進み出る。
イシャナも絶え間なく流れ出る涙をしきりに手の甲ですくい上げる。
「私もアナシラみたいな素敵な女性になる。だからいつまでも私の事を忘れないで。」
アナシラはそんなイシャナをただそっと抱きしめた。
そして…カカセオはバラカと向かい合った。
バラカはいつもの様に軽快な雰囲気を崩さ無かった。
カカセオの中で、今までバラカと共に過ごしてきた時間が一気に溢れ出るのを止められなかった。
「バラカ…俺は…」
「おい、泣くなよ?めでたい門出だぞ?俺はこういう場面でも泣いた事は無いんだ。勘弁しろよ?」
「わかっている…俺はヒナレへ向かい伝説になる。お前はエジプトで伝説をつくる、だろ?」
「ああ、その通りだ。あの時交わした約束を忘れるな。お前はこの先、多くのナブタプラヤの民を未知なる海の中で導いて行かねばならない。」
「強くあれ、カカセオ。」
「わかった。伝説の中でまた会おう。」
「ああ、その時を楽しみにしている。」
バラカは強く、深く頷く。
かがり火が二人をオレンジ色に染め、その影を揺らめかせていた。
出港の時が来た。
カカセオとアナシラは船へ振り向き、さざ波の中に一歩踏み出した。
船の上にアナシラを乗せるとカカセオも乗り込み、誰かが角笛を吹き鳴らした。
その時、カカセオは急に立ち上がると船から飛び降りバラカの元へと向かって走り出した。海の飛沫がいくつも跳ねた。
カカセオの目には涙が溢れ出ていた。
バラカはその姿を見て両手を広げた。
二人は抱き合うと強く抱擁した。
「バラカ!俺はいつもお前を追い続けて来た。お前の存在を…その背中を…その存在を…」
「俺もいつかお前の様な大きな男になりたかった。お前から教わった全ての事は忘れない。俺もまた、それを伝えられる存在となる。」
「ああ、カカセオ、わかってる。お前の存在もまた、俺の歩みを進ませてきた。」
「…ありがとうな、カカセオ…」
バラカの声はかすかに震えていた。
それは誰も見たことの無い姿であった。
……
そして、静かに、涙が流れた。
いつも強く、賢く、冷静に皆を導くバラカに涙など似合わない。
しかし、最愛の弟分であるカカセオとの今生の別れは、この男の目に涙をもたらしたのだ。
二人はキツく抱き合うと暫く黙り込んだ。
言葉にならない想いをその力で伝え合った。
そして離れた後、カカセオの両腕を掴み、目を見つめるとバラカは言った。
「さらばだ、我が弟よ。」
二人の向こう側の空にミカ・ナ・サム──オリオンの三つ星──の後を追って、シリウスが青い輝きを携え、昇った。
カカセオは強く頷き、振り返ると水面を弾かせながら船へ走って行った。
カカセオが再び船に駆け戻り、二艘の船からそれぞれ角笛が鳴り響いた後、静かに海を滑り出すその時──
空に一つ、光が走った。
星が、流れた。
船はゆっくりとミカ・ナ・サムとシリウスの下へと進んで行った──
誰もが言葉を失い、その背を見つめていた。
それぞれの胸に、祈りを灯しながら──
── 第一部・エジプト編 完 ──
水甕の星(みずがめのほし) 川上小次郎 @kojiroutorakichi
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