第四章∶九節 潮風に揺れて

タウの浜辺には、数十のテントを張られていた。その前には海水を蒸留して真水を取る土器が並ぶ。

太陽の日差しに照りつけられた浜辺に白いテントとターコイズブルーの海が潮風を受けて揺らめいている。


先遣隊の他にもタ・セット・ネチェルの岩陰から染み出る水を求めて交易民、海の民が数十人居合わせており、彼らは到着した本隊を迎え入れた。解体された二艘の大型船を引き、神の渓谷タ・セット・ネチェルを越えてやってきた百名を超える大移動は、交易民や海の民にネケンの名を強く印象づける事になった。


一行は海岸にほど近い場所にキャンプを張り、やがて一つの小さな町のように変貌させていく。

交易民達は噂に聴くネケンの代表者であるセヘテプのテントに押しかけた。

セヘテプは海の情報を出来うる限り集め、この先の交易への足かがりを掴もうと必死に耳を傾けていた。


一方で、ネケンの船大工は荷車を並べ、船を再構築するための準備に入っている。


ナブタプラヤの民とゲブトゥの若者達はその初めて触れるターコイズブルーの海は、まるで宝石が揺れているような美しさだ。壮大な波の音は心を揺さぶった。

人々は、思わず叫びながら走り出す。

汗と土埃にまみれた身体を洗い、海水を舐め、その塩辛さに驚き水を掛け合う、追いかけ合い、波と戯れながら、無邪気な歓声が空に溶けていった。


カカセオ夫婦とバラカは、そんな光景を少し離れた焚き火の傍から眺めていた。

バラカは静かに巻いたタバコを取り出し、火をつけ、煙を吐き出すとポツリと一言呟く。


「……ついに来たな。」


「ああ。長かったような、あっという間だったような…」


カカセオは目を細めて、煌く水平線を見つめる。


「しかし、この海を前にすれば、どれも過去のことに思えてしまう。」


波の音が轟く。


「ほんとうに、美しいな。」


バラカはそれ以上、何も言わなかった。

タバコの煙と太陽と、ターコイズブルーの海、そして白い波。

それは、旅の終わりと始まりにふさわしい、静かな昼下がりだった。


「さて、俺も海へ入ろうか。」


バラカはタバコを焚火にくべると立ち上がった。

カカセオとアナシラも立ち上がり三人は海へ入る。


熱い太陽に晒された肌に海の冷たさが広がる。頭から飛び込み寄せては返す波に身を委ねた。


これから、この海に抱かれる旅に出る。この果てしない水平線の向こうに本当に大地があるのか、今は信じることが出来ない。

水中の音に耳を澄ませる。

泡の巻かれる音がめくるめく様々な音を立てる。

カカセオは遠い大地の音を聞こうと目を瞑った。

太陽で赤くなったまぶたの裏に様々な想いが形になり始めた。

見知らぬ服を着た人々、見知らぬ家、見知らぬ土器、見知らぬ食べ物。そして…ヒナレ。

ぼんやりと輪郭が浮かんでは消える。

しばらくそうしていると、急に顔へ水がかかった。

驚いて顔を上げると、ターコイズブルーに輝く水面にアナシラが笑っていた。


なんと美しい女なのだろうか…


日の光を浴びて海に浮かぶアナシラの姿は、まるでクラウンクレイン(カンムリヅル)の様に優雅でしなやかであった。


浜辺は晩の宴に向けて、いつにもまして熱狂的な予兆を見せていた。

誰もがこの素晴らしい風景に身体が疼いた。


何人かの若者は狩りに出かけ、数頭のガゼル(鹿のような動物)やオオトカゲを獲ってきていた。

浜辺で粛々と解体され、波で洗われる。


女達はミレットを茹で、ソルガムのパンを焼いた。


夕日はタ・セット・ネチェルへ沈まんと最後の赤い光を放射状に空へ放ち、ターコイズブルーの水平線から藍色が湧き上がる中に、宵の明星が一つ、太陽の輝きを跳ね返していた。

肉の焼ける匂いが潮風に乗って皆を誘う。

一人、二人と叩き出す太鼓の音と、時を告げる角笛の音が鳴り始めた。


──浜辺で…ナブタプラヤの宴が始まろうとしていた。


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