第三章∶七節 ヘリアカル・ライジング

地平線に、金の糸が一本すっと引かれる。

藍色に染まりゆく空では、星が一つ、また一つとその姿を消し始めていた。

ヌエベ村のストーンサークルにはすでに多くの者が集まり、誰もが声を発せず、ただ時の訪れを待っている。


東へ向く二列の石柱の間に、全身を布で覆ったカーメスが、黒曜石で出来た天の鏡を抱えるように膝に置いて岩のように座す。

彼はもはや人というより、沈黙そのものであった。


その背後には、マルカムやアルム、バラカ、カカセオとセヘテプを中心とするネケンの族長達が、円を描くように座している。

ストーンサークルの外では火が焚かれ、その上に石板が静かに焼かれいた。


薪が小さく弾ける音。

その火が空を撫でる微かな音。

それらが流れる時のすべてだった。


大地は空の沈黙に沈み、わずかに漂う冷気が皮膚を引き締める。

木々の枝に佇む鳥達も、ただ静かにその時を待っていた。


やがて、金の糸は次第に帯へと紡がれはじめた。

そこに…一点の輝く星が、ゆっくりと微かに空が震えるような気配と共に姿を現す。


──ヘリアカル・ライジング──


シリウスは赤、青、緑に鋭く変化を起こし、瞬いていた。

まるで、チカチカと音が聴こえてくるようであった。

カーメスは天の鏡を掲げその光を受け止める。


天の鏡に移ったシリウスが瞬き、焚火の炎がその音に呼応するかのように揺らめく。


皆が沈黙のまま、その眼差しで星を祝う。



程なくして金の帯は広がりその真ん中から太陽が昇り出す。炎は熾火となった。

そこに一羽のハヤブサ(ホルス)がどこからともなくやって来て飛び回っている。

シリウスは太陽の輝きの中に次第とその姿を消していった。


ストーンサークルの外から焼かれた石板がカーメスの前に運び込まれた。

カーメスは天の鏡を置くとマントから包を取り出した。その中には神秘のアカシアが細かく砕かれていた。

精霊ヌクアシャへのチャントを歌い始める。


「星降る朝に

聖なる朝に

偉大なヌクアシャが降りてくる

円盤に乗り空からやってくる


ミカ・ナ・サムの

その夕日色の星の


その彼方からヌクアシャは降りてくる

偉大なヌクアシャ

円盤に乗り空からやってくる


ミカ・ナ・サムの

その夕日色の星の


星降る朝に

聖なる朝に

偉大なヌクアシャは降りてくる

円盤に乗り空からやってくる」


ハヤブサは太陽に照らされた空を縦横無尽に駆け回る。

ひとしきり歌い終えると石板の上に神秘のアカシアの粉をごそっと撒いた。

たちまち激しく煙が上がる。

ハヤブサの鋭い鳴き声が響く。

カーメスは両手でマントをひるがえし頭ごと被るとその煙に覆い被さり何度も深く呼吸し、神秘のアカシアの煙を吸い込んだ。


その異様さにネケンの使節団達は驚いた。

一体何をしている…?


カーメスがマントをたくし上げると充満していた煙が宙に放たれる。

苦悶にも似た表情で空を見上げ激しくチャントを歌い始めた。


「偉大なヌクアシャが降りてくる

円盤に乗り空からやってくる


彼方からヌクアシャは降りてくる

偉大なヌクアシャ

円盤に乗り空からやってくる


偉大なヌクアシャは降りてくる

円盤に乗り空からやってくる」


最高潮に達すると、唸るような、そして地響きの様にしわがれた声をあげた。


「私はホルス

空と大地の交わる所


私はホルス 

夜と朝の交わる所


私はホルス

過去と未来の交わる所


お前達に告げる

この虚空から


お前達に告げる

この無限から


お前達に告げる

この因果から


時間は無い

時は刻む

時は巡る


その時は来る

砂と

嵐と

虚無が


全ては闇に帰る

全ては秘められる

そして全ては開かれる


遠い未来

果てしない時を超えて

その時全ては開かれる


時間は無い

砂が

嵐が

虚無が…」


そしてカーメスは大きな唸り声と共に地面に倒れ込んだ…

飛び回っていたハヤブサは鋭い鳴き声を残し彼方へと姿を消す。

天の鏡は、明けた空の一部をそのまま切り取ったかのように沈黙していた。


間をおいて集まった人々にざわめきが走る。

何がおこった…?カーメスが気絶した…?時間が無い…?


マルカムはカーメスを抱き抱え揺すり起こした。


「カーメス!大丈夫か?しっかりするんじゃ!」


アルムも慌てて側に寄る。

強大な呪力を持つカーメスが、口寄せの途中で気絶するなど今までに無い事であった。

マルカムがカーメスの頬を数度叩くが意識は戻らない。


セヘテプ一向は混乱し、どうすれば良いのか辺りを見回す事しか出来ない。

バラカとカカセオはその神託の内容を知ってしまった衝撃で身動きが取れなかった。

人々は意識の戻らないカーメスを案じて左右に首を伸ばして見守る。


程なくして、小さく唸るとカーメスは起き上がり頭を振った。


「何が起こった…?」


マルカムに両手を伸ばし、しがみつくと目を見開いて問うた。

マルカムが静かに顔を横に振ると、カーメスは察した様に顎を埋めた。


アルムは人々に合図し、時を告げる牛の角笛が吹き鳴らされる。

人々はストーンサークルの周りを円で囲み足を踏み鳴らし始めた。


「ナーア、ナーア、カム・ヌアー・・・」


人々が歌と共に回転し足踏みは大地の音を立てる。砂ぼこりが天に向かって舞い、次第に熱狂へと変わっていった。


ストーンサークルの中でセヘテプ一向は、人々の回転の渦にあった。

大地の振動と空間の震えが膨大なエネルギーを産み出し、身体ごと上昇させられる様なまるで異次元の感覚をもたらしている。


「ナーア…ナーア…ナーア……」


人々の輪唱の中に詩を唱える声が始まる。


「新たな運命を迎えた」


「ナーア…ナーア…ナーア……」


「シリウスのその輝きの下に」


「ナーア…ナーア…ナーア……」


「ハヤブサは空を飛び」


「ナーア…ナーア…ナーア……」


「神託は授けられた」


「ナーア…ナーア…ナーア……」


「ナブタプラヤよ永遠に…」


「ナーア…ナーア…ナーア……ヌアー・・・」


ナブタプラヤの民はその神託を受け入れた…

時を告げる牛の角笛が長く吹き鳴らされた──

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