第三章∶五節 静寂の星

「カカセオ、きっとお前もセヘテプを気に入るさ。」


ヌエベへ向う道中バラカはカカセオに言った。


「……。」


しばし無言のまま歩き、カカセオが口を開いた。


「バラカ、お前の言葉を信じたい。ただ、それが簡単に出来ないだけだ。」


カカセオは少し眉をひそませた。


「ああ、確かに上エジプトの人間を全て信じろとは言わないさ。大きな勢力だ。色んな人間がいるだろう。しかし、お前も分かっているだろうが、先入観や既成概念は相手を見誤らせる。それを少しでも緩和させる為に俺は言ったんだ。後はお前の眼で確かめるが良い。」


そうバラカ微笑み肩を叩くとカカセオは頷きながら呟いた。


「にしても久しぶりにここまで来たが、こんなに砂漠化の影響が出ているとは驚きだ。」


夏至を超え雨季になったというのにヌエベ付近では雨が降った形成が無い。かつて緑が茂っていた丘は今や干上がり、風が舞い上げる砂塵が目に沁みた。

カカセオは迫りくる砂漠化の脅威を目の当たりにし、サルナプ村でのバラカの報告を思い返していた。


二人はヌエベに着くとアルムが笑顔で出迎えた。

アルムとカカセオは五年ぶりの再会である。

三人は昔話に花を咲かせながら長老マルカムの家へと向かうと、そこにはザウリとマシリがマルカムと共に火を囲んでいた。


カカセオは久しぶりのマルカムの対面に両手をマルカムの腿に乗せた。マルカムは片手の平をカカセオの額に当て長老への挨拶を終えた。

マルカムは炉の炎に照らされた顔をしわくちゃにして言う。


「久しぶりじゃな、サルナプの猛き風よ。」


カカセオは笑みを浮かべて返す。


「まだヌエベの焔は消えていないようで、何よりだ。」  


優しい空気が炎で揺れた。


そんな中、バラカはザウリとマシリに棒の書簡による伝令の成果を尋ねた。

ザウリはタリナム村とゼクハナ村において何の支障無く上手く言ったことを告げ、マシリはルハマス村での出来事を詳細に語った。


「うむ、ルハマス村においては仕方のない事だ。我らサルナプ村と違いネヘスウとの関係が深い。しかし、その中で大競技会への参加を決めたという事はマシリの判断力による物だろう。流石だな、よくやった。」


マシリは安堵の表情を浮かべ肩を落とした。

バラカはその様子を見届け、一呼吸おいてから切り出した。


「さて、まだセヘテプはヌエベ村に到着していないようだが、大競技会について話を詰めよう。」


アルムは待ち望んでいたかの様に身振り手振りを混じえて言葉を継ぐ。


「既に槍、弓、投石紐、的の準備は出来ている。後は会場を如何に設えるかという所だ。」


「そうだな、ヘリアカル・ライジングの際の儀式に上エジプト側も参加させる。きっと彼らの街でも盛大に行われる筈だからな。今年はナブタプラヤ式でシリウスへの祈りを共有してもらおう。」


バラカがそう言うとマルカムは口を開いた。


「うむ、セヘテプは中々見上げた男じゃ。我らの儀式に参加させる事に異論は無い。」


アルムも頷く。


「彼は今まで来ていたトヘルとは全く違った。上エジプトとは言え一枚岩ではない事が分かった。」


「トヘル?」


バラカが聞くと、マルカムはやや苦笑しながら言った。


「あの男は、ヌエベの風も土も感じようとせなんだ。儀礼の火にさえ顔をしかめ、終始効率ばかりを求めておった。」


「そう言うことか。サルナプでの悪い噂はその男の仕業だな。セヘテプならばそんな事にはならないと思ったが、納得した。しかし、それならば当日にも来る可能性はある。」


バラカが視線を上に向けて考えているとアルムは腕を組み言う。


「あいつが儀式に参加するのは俺としては承認出来んな。」


「しかし、あやつだけ外す訳にはいかんじゃろう。」


マルカムが困った顔でそう言うと皆、頭を悩ませた。

焚き火がぱちりと爆ぜた音が、重苦しい沈黙を裂いた。


「……まあ、来るなら来るで良いのではないだろうか。」


カカセオが火を見つめながら、静かに言った。


「俺たちが守るのは、儀式の本質だ。誰が来ようと、それを穢させなければいい。違うか?アルム。」


「しかし、もしあやつがシリウスの輝く最中に変な言葉でも口にしたらどうするというのだ。」


アルムは頭を抱え込んだ。

ヘリアカル・ライジングの儀式の際、シリウスが天空に輝く間に余計な言葉を発する事は禁忌とされている。それは星がその言葉を聞き入れてしまうからだ。それにより天の運行が乱れてしまう可能性さえあると信じられているのだ。


カカセオは少し目を細めた。

火の揺らめきが頬を照らし、ゆっくりと言葉を選ぶ。


「星が言葉を聞き入れるというなら、なおさらだ。」


「……?」


皆がカカセオを見つめる。


「だからこそ、我らの祈りがある。どんな言葉が発せられようと、星に届くべきものは我らの想いだ。その前ではどんな言葉も虚しいに過ぎん。」


マルカムが目を細めて笑った。


「サルナプの猛き風、やはり戻ってきたな。」


バラカは満足気にカカセオを見つめ、アルムは呆気にとられた。


「いずれにしても言葉を発しないよう釘は刺しておこう。それで良いか?アルム。」


「あ…あぁ、分かった。」


バラカにそう言われるとアルムは動揺しながらも承諾した。


丁度その時、扉を叩く音がした。


「誰だ?」


「セヘテプだ。皆、ここに集まっていると話を聞いて訪ねた。」


アルムが扉を開けるとセヘテプが一人でやって来ていた。

扉の隙間から夜風が入り、炉の炎が一瞬揺れた。

中へ入ると炎に照らされた五人の男の中に一人だけ見覚えの無い男がいる。逞しい身体つきの真っ直ぐな目をした若者であった。どうしたものかと思っているとバラカが口を開いた。


「同じサルナプからやって来たカカセオだ。」


カカセオはセヘテプを見据え軽く会釈した。


「ネケンからやって来たセヘテプだ。」


そうゆっくりと落ち着き払った言葉で返した。

炉の火がかすかに薪を弾けさせる音を立てた。


「ネケン?それは貴方の街の名か?」


カカセオはそう言うと心の中で思った。

これがセヘテプか。バラカの言う通り只者ではなさそうだ。あの眼光、体格は幾度の修羅場を潜って来た男が持つ特有の物だ。


二人が言葉を交わした後、数拍の沈黙が炉の炎の揺らめきと共に流れた。

炎の音だけが、土壁に囲まれた静かな空間を満たしていた。


「うむ、私の街の名はまだお主達に伝えていなかったな。上エジプトにおいて最も栄えた所だ。」


セヘテプは周囲に気を配る事なく、自然と空気に馴染むように静かに座った。

その仕草ひとつで、彼の内にある落ち着きと統率力が伝わる。

ひと月ぶりの再会だが、互いに同じ時間を過ごして来た様な感覚だった。

バラカは問うた。


「ネケンで大競技会の事は話をしたのか?」


炉の火が揺れ、セヘテプの頬に淡い影を刻んだ。誰もが彼の発する沈黙に耳を澄ませた。


「あぁ、皆も興味深く話を聞いていた。しかし、一つ心配事がある。」


溜息で間を取ると話し始めた。


「以前、ヌエベにやって来ていた使者も大競技会に来ることになった。この男の家系はネケンにて祖父から続く族長格で、皆の信頼も厚かったが先代は病に倒れ命を失った。そういった経緯でこの男が族長となったが、どうにも物事の本質が見えておらん。大方この村でも何かと失礼を働いたかも知れぬと案じておる。」


アルムは身を乗り出して思いの丈をぶつける様に村での狼藉を話し、ヘリアカル・ライジングでの儀式についてトヘルへの懸念を伝えた。


「うむ、シリウスが昇る際には言葉を発してはならぬのだな。流石にそこまで愚かな行為はせぬであろうが、私の方からもキツく言っておく。」

「しかし、星が言葉を聞き入れてしまうとはなんとも深遠な世界観。どんな儀式を持ってヘリアカル・ライジングを祝うのか今から楽しみだ。」


セヘテプはほとほと感心した様子であった。

炎がパチパチと音を立てる中、マルカムが髭を撫でながら口を開いた。


「前回お主がここを訪れたのはひと月程前じゃ。ネケンからは船とロバで一週間はかかるじゃろう。これから戻ってまた大競技会へ来るとなると大変な距離と時間を要する。務めもあるじゃろうに何がお主を動かす?」


セヘテプは静かに炎を見つめながら短く応えた。


「バラカとの、約束だ。」


それだけで充分だった。

その場の誰もが、彼が何を重んじているのか悟った。

そんな姿を見てカカセオの警戒心は音もなく崩れ去っていった。


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